~ カストロヘリス
★13日目☆彡 ~ カストロヘリス(41km)
ブルゴスを出発すると、しばらくの間、障害物がない平らな道が続く。いわゆる
今朝、ドイツに発つアミーナさんが、あたしたちの泊まっていたアルベルゲまで見送りに来てくれたのが朝の七時。そこから出発して、しばらくの間はまだ周囲は暗くて、すごく順調に歩くことが出来た。でも……太陽が出てしまったあとは、もうダメだ。
日陰も何もない道をひたすら進んでいるうちに、気づいたらカラカラの干物になっている……なんて笑えない。そうならないために、あたしたちはしょっちゅう休憩を挟んで、頻繁に水分を補給しなくてはいけなかった。
昨日のアルベルゲで一緒だったこともあって、あたしとアキちゃんは、今日もフェリシーさんたちのパーティーと一緒に歩いていた。休憩のタイミングや、水分や補給食をどこでどのくらいとっておけばいいのかとかは、パーティーリーダーのフェリシーさんの指示に従っていれば間違いはなかった。だから正直そういう意味では、歩くのは結構楽だった。
でも……。何もない退屈な道を歩く間、あたしは余計なことを考えてしまって、精神的には結構疲労していた。
昨日の、大聖堂でのこと……。
フェリシーさんと話しながら、笑っていたアキちゃん……あのときの彼女の顔が、頭から離れない。
これまでずっと、一緒だったのに……。
……違う。
何も知らない彼女に、いろいろ教えてあげたのは、あたしなのに……。
……そんなの、どうでもいいでしょ。
ロンセスバリェスでも、パンプローナでも、あたしは彼女を見捨てなかったのに……。
……違う、違う、違う! 「そんなこと」、あたしは気にしてない!
それは、昨日からずっと、あたしの頭の中に付きまとっていた言葉たちだ。
でも、もしかしたら……それよりもずっと前から……ログローニョでヤイコさんと話したときから。あるいは……アキちゃんと最初に出会った時から。
あたしはそんな言葉を、どこかで考えていたのかもしれない。
彼女のことを、「恐れて」いたのかもしれない……。
いや! そんなはずはない!
まるで、自分が二つに分裂してしまったのかと思うほどに。
カミーノを歩きながら、あたしは心の中で「何か」の葛藤と戦い続けなければいけなかった。
そして……。
あたしたちの一行が、今日の目的地のオルミージョス・デル・カミーノという小さな町まであと五キロくらいという地点で、おそらく今日最後になる休憩をしていたとき……。
「それ」は、とうとう限界を迎えてしまった。
★☆★☆★☆★☆★☆
「え? え? え? えーっと……アキちゃん今、なんて言ったの?」
休憩中に水を飲んでいるあたしに、アキちゃんが話しかけてきた。
おとといから、どうもあたしは彼女に対して気まずい気持ちになっていて、微妙に距離を置いてしまっていた。だから、こんなふうに面と向かってちゃんとアキちゃんと話すのは、ずいぶん久しぶりな気がした。
「もう! チカったら、ちゃんとワタシの話を聞きなさいよっ! だから……明日からはここをずっと北上して、『北の道』に行きましょう、って言ったのよ!」
そのときのアキちゃんは、いつもよりもずいぶんとテンションが高いように見えた。
よく見ると、そんな彼女の隣にはフェリシーさんがいる。彼女は、何故か少し申し訳なさそうな顔をして、目を伏せている。彼女たちを見ているあたしの胸に、一瞬、チクリと針で刺されたような痛みが走った。
「え? なんで? なんで、『北の道』に行かなくちゃいけないの?」
「あー、じれったいわねっ! ほら、ここからずっと北に進んで行くと、海岸線に出るでしょう? そこを、今度は海沿いに西に向かって行っても、結局いつかは今向かっているのと同じゴールに着けるらしいのよっ! その道を、『北の道』っていうらしんだけど……」
「いやいやいや、そうじゃなくって」
「北の道」の説明を始めるアキちゃんを、強引に遮る。
だって彼女に説明されるまでもなく、あたしだってイベリコ半島の海岸線を通ってサンティアゴまで行く「北の道」のことなんて、知ってるし。っていうか、それをアキちゃんに教えたのって、あたしじゃなかったっけ?
「あたしが言ってるのは……どうして、今現在あたしたちが進んでる一番メジャーな『フランス人の道』を外れて、明日からいきなり『北の道』に行かなくちゃいけないの、ってこと。そんなの普通に遠回りだし。意味が分からないんだけど?」
「もう、何よっ⁉ チカのくせに、めんどくさいこと言わないでよっ! いいじゃない、遠回りだって! あっあー、大丈夫よ? 心配しなくても、『北の道』だって、スタンプカードにスタンプは押してもらえるし……」
「だからぁ……そうじゃないって言ってるでしょっ!」
要領を得ないアキちゃんの返答に、ついついイライラして大声を出してしまった。でも、別におかしなことを言ってるわけじゃない。だから、あたしは謝らなかった。
「さっきからあたしが聞いてるのは、『どうして』、そんなことしなくちゃいけないの、ってこと! 理由もないのに……」
「あ、あの……」
そこで。アキちゃんの隣にいたフェリシーさんが、ようやく助け舟を出してくれた。完全にイラつきがピークに達していたあたしは、そんなフェリシーさんに対してまで、睨みをきかせてしまう。
また何か言おうとしているアキちゃんを制して、彼女は改めて説明を始めた。
「実は、ここから北西に百五十キロほど進んだところに、サント・トリビオ・デ・リエバナという修道院があるのですが……そこには、キリスト様が
「はあ? それは、フェリシーさんの都合でしょ? あたしたちには関係ないじゃん。だから、あたしが聞いているのは、どうしてアキちゃんとあたしが……」
どうして……。
「そうそうそう! そうなのよ!」
やっぱりそこでアキちゃんが、口をはさんでくる。
「なんでも、キリストが十字架に
「ええ。アキさんに先ほどと同じ話をしたところ、このようにとても興味を持ってくださいまして……。でしたらチカさんのご意見も、聞いてみましょうということになったのです」
「……ふーん」
どうして……。
「ってことだから、明日からはこの赤毛の案内で、北上することになるわよ? チカ、別にいいわよね? っていうか、別に行かない理由なんてないでしょ?」
興奮気味のアキちゃんは、あたしの答えなんか聞かずに、すでに勝手に話を進めてしまっている。
「海沿いってことは……途中のレストランには魚料理とかが多いのかしら? ……んんんんっ! 想像しただけでヨダレが……って、この気高いハイエルフのワタシが、そ、そんな、生臭そうな料理なんて……」
でも、
「……あたし、行かないから」
あたしはそんなアキちゃんのテンションとは対照的に、冷めた調子でそう言った。
「え?」
「……」
あたしの言った言葉が理解できなかったのか、アキちゃんはヨダレを垂らしただらしない顔のまま、硬直している。隣のフェリシーさんは、相変わらず気まずい表情だ。
そんな二人にダメ押しするように、あたしはまた繰り返した。
「あたしは、このまま『フランス人の道』を行く。道を外れて北上なんてしないし、『北の道』も行かない」
「え? え? チカ、何言ってるの?」
「……だから、さっき言ったでしょ? あたしには、北上する理由なんてないんだよ。だから、ゴールのサンティアゴに行くのに、わざわざ遠回りの道なんて、いくはずないでしょ?」
どうして……。
一度反論を始めると、言葉がどんどん口からあふれ出してくる。
「アキちゃんこそ、ちょっといい加減すぎるんじゃないの? ピレネーから『フランス人の道』を歩き始めたくせに、途中でちょっと興味がある話を聞いたくらいで、そんなふうに簡単にルートを変更しちゃってさ。一度決めた道は、最後まで歩き通すべきなんじゃないの?」
「え……? だってワタシは別に、『フランス人の道』? とかに、こだわりないし……。っていうか、チカだって……」
「だいだいアキちゃんって、いつもそうだよね? 自分の歩く道に無頓着っていうか、無責任っていうか。これまで、アキちゃんが自分で進む道とか調べたことってあったっけ? いつも、あたしが地図とかアプリとか使って調べて、アキちゃんはそれについてきただけだよね? 普通こういうのって、自分で進む道とか、泊まる宿とかは、自分で調べないといけないんだと思うけど?」
「え? え? ちょ、ちょっと待ってよ、チカ……」
どうして……。
本当は、こんなこと言いたいんじゃないのに。こんなこと、思っていないのに。
「スマホ持ってるんでしょ? ツイッターやってるんでしょ? だったら、自分の道くらい自分で調べなよ! なんでもかんでも、誰かに頼りきってないでさあっ! だからアキちゃんって、世間知らずとか言われちゃうんだよっ! ちょっと誘われたくらいで、そんなヒョイヒョイついてっちゃうんだよ! 初日のロンセスバリェスで、あんなに困ってたのに、全然反省してないじゃん!」
どうして……。
そこでアキちゃんが、あたしの頭に浮かんでいた言葉と同じことを尋ねてきた。
「ねえチカ、アナタどうして……そんなに怒っているの?」
「お、怒ってないよっ! ただ、当たり前のこと言ってるだけでしょっ!」
脊髄反射的に、そんな言葉を返すあたし。
でもそれは、彼女の言葉が、あまりにも図星だったからだ。
どうしてあたし、こんなにイライラしているんだろう……。
「あ、あの……」
「だ、だいたいアキちゃんは、いつもいつもそうやって……」
フェリシーさんが何か言おうとするけれど、それよりも早く言葉を重ねる。
そうしていれば、今の自分の感情を誤魔化せるような気がして。これ以上誰にも、今の自分の頭の中を知られたくなかったから。でも、それは多分逆効果なんだけど……。
そこでまた、状況をあまり理解していなそうなアキちゃんが、薄ら笑いを浮かべながら、こう言った。
「な、何なの? 何が気に入らないの? べ、別に、いいじゃない。どうせチカには、この道を歩かなくちゃいけない理由なんて、ないんだし……」
「っ⁉」
それを聞いた瞬間に、もうあたしは止まれなくなっていた。
あとは、もう完全に自動的に、叫んでいた。
「アキちゃんなんかに、あたしの何が分かるっていうんだよっ!」
「な……⁉」
「そんなに行きたいなら、アキちゃんだけで、北上でもなんでもすればいいじゃんっ! あたしに聞かなくても、一人で勝手にさあっ!」
「チ、チカさん……それは……」
フェリシーさんが止めようとするけど、それより早くアキちゃんが反論する。
「え、ええ、いいわよっ⁉ 別に、チカがいなくちゃ何も出来ないわけじゃないですものっ! ただ、これまで一緒だったから、一応礼儀として聞いてあげただけで……」
「はいはい! それはどうもっ! でも、そんなの余計なお世話だよっ! あたしにはあたしの都合があって、いつまでもアキちゃんの世話なんか焼きたくなかったんだからっ!」
「な、何よそれっ⁉ ワタシのこと、そんなふうに思ってたの⁉」
「そうだよ! アキちゃんなんて同じ人間でもなければ、別に友達でもないし! ただ、初日にロンセスバリェスで押し付けられたから、そのまま惰性で世話焼いてあげてただけなんだからっ! これ以上一緒に歩く理由もないんだから!」
「そ、そこまで言うのなら……ここから先は、別々に歩いたほうがよさそうですわねっ!」
「言われなくても、もうとっくにそのつもりだよっ!」
あたしは立ち上がると、自分のバッグを背負う。
そして、まだフェリシーさんが決めた休憩時間が残っている他のパーティーメンバーたちに背を向けて、カミーノを歩き出してしまった。
「じゃあね! ブエン・カミーノっ!」
「……」
「チカさん……」
投げやりな感じで叫んだ別れの挨拶には、誰からも返事は返ってこなかった。
どうして……。
このときのあたし、どうしてこんなにイラついていたのだろう。
どうして、「一人で勝手に行けばいい」なんて言ってしまったのだろう。
そんなことを言ったら、アキちゃんの性格なら、絶対にそれを受け入れてしまうって、わかっていたはずなのに……。
そこから先は、アキちゃんやフェリシーさんたちとなるべく距離が離れるように、あたしはいつもよりもハイペースで先を進んだ。
一番暑い時間をろくに休みもせずに進み続けて、フェリシーさんたちが今日泊まると話していたオルミージョス・デル・カミーノを越えて、さらにそこから町を二つも越えた。
明日から北上するアキちゃんたちと、もう二度と会わなくて済むように。彼女たちが「フランス人の道」を外れる地点を、今日中に越えてしまおうとして。
結局、あたしは当初の予定よりもニ十キロ近くも余計に歩いてしまった。
午後の五時過ぎくらいに、細くて真っすぐな並木道をずっと進んだ先にあった、カストロヘリスという丘の斜面に作られた町のアルベルゲにチェックインした。
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