~ モンテ・ド・ゴソ
★30日目☆彡 ~ アルスーア(28km)
もうこの辺りまで来ると、人里から完全に離れるっていうことはないらしい。常に視界のどこかには、民家や町が見えている。自分の前にも後にも、休日に公園を散歩しているかのような軽装で歩いている巡礼者の集団がいる。ちょっと前の、周囲に畑と自分以外何もないようなメセタが、懐かしく思えるくらいだ。
一日に十キロくらいしか歩かない――っていうか、歩けない――っぽい、ご老人の巡礼者集団を追い抜いたり。親と一緒にサリアから歩き始めたっぽい小学生くらいの子供に何故か張り合われて、ダッシュで追い抜かされたりしながら。あたしたちは自分のペースでカミーノを進んだ。
途中、沼地が点在する森の中のような道を通って、例の、タコ料理が有名なメリーデに通りかかる。でも、微妙に食事のタイミングじゃなかったのと、アキちゃんが
「タコはこの前食ったからいいですわ。それより今は、肉の気分かしらね……じゅるりっ」
なんて言いながら、通り道にいた放牧された牛を見ていたので……。そのままメリーデは通り過ぎた。
★31日目☆彡 ~ モンテ・ド・ゴソ(34km)
昨日泊まったアルスーアからは、サンティアゴまであと二日の距離だ。あたしは昨日の内に地図を見ながら、今日のルートと泊まる場所を決めていた。
そして同時に、彼女に自分の気持ちを伝えるタイミングも。
ここまできたら、あとはもう、黙々と歩くだけだ。今日歩く予定の距離はいつもより少し多めだけれど、ここまでやって来たあたしたちなら、何の問題もなかった。
一日中歩き続けると、すぐ近くの空を飛行機が飛んでいるのが見えた。サンティアゴ・デ・コンポステーラ空港が近いんだろう。サンティアゴにゴールしたあと、きっとバルセロナに戻るためにあたしも利用することになる空港だ。
本当に……もう、終わりが近づいているんだ。
今日の宿として決めていたのは、空港を通り過ぎて十キロ弱。ゴールまでは、もう目と鼻の先の場所。モンテ・ド・ゴソだ。
そこに到着した巡礼者は、その近くの小高い丘で初めて、ゴール地点のサンティアゴの大聖堂を目視することが出来る。そのときの感動と、今まで長い距離を歩いてきたことへの感慨深さで、誰もが歓喜して声を上げる。だから、その丘は
モンテ・ド・ゴソからサンティアゴの大聖堂までは、距離にして五キロもない。もう少しがんばれば、今日のうちにゴールしてしまうことも可能だ。でも、少しでもこのカミーノの旅を長引かせたい人は多いらしく、このモンテ・ド・ゴソで一泊して、明日の朝サンティアゴにゴールするという人も多い。
それを証明するようにここのアルベルゲは、収容人数三十人くらいの宿泊棟が何個もあって、全部合わせると最大で八百人まで泊まれるっていう、多分カミーノで最大級のものだった。
夜。
アルベルゲに併設されたレストランで簡単な食事をとったあと、あたしとアキちゃんはお互いに少し自由時間を過ごした。
そして、夜の十時ごろに場所を決めて、待ち合わせをした。
それは、かつてこのカミーノ巡礼がもっと険しくて大変だったころの敬虔なキリスト教徒の姿。そして、カミーノが有名になって以前よりもずっと旅がしやすくなった現在でも、ごく普通の巡礼者たちの姿でもあるんだろう。
ようやくゴールにたどりついた。この長い旅が終わることが嬉しい。やっと毎日の疲労から解放される。そんな、喜びの感情。
でも……今のあたしは、その銅像の二人とは真逆の気持ちだった。
あたしは、全然喜ばしくなんかない。
この旅が終わってしまうことが、たまらくつらい。
だってそうなったら……もうアキちゃんと一緒に旅をすることが出来ないんだから。
「……来たわよ」
その銅像の場所で先に待っていたあたしのもとに、アキちゃんが現れた。
彼女はあたしの隣に腰かけて、銅像と同じように丘からサンティアゴを見下ろす。
「もう、明日には到着するのね」
「うん」
アルベルゲのほうからは、老若男女入り混じった巡礼者たちが、何かを話して笑い合っている声が聞こえてくる。サンティアゴの街中にも、無数の明かりが輝いている。
そのすべてが、「幸せ」や「喜び」を象徴しているような気がした。まるで、今のあたしに見せつけるように。
「アキちゃんは、明日サンティアゴについたら、どうするの?」
「そうね……」
あたしたちは、二人とも顔をサンティアゴのほうに向けて、目を合わせずに話している。合わすことが、出来ずにいる。
「一旦、エルフの
あたしは、やっぱり彼女の顔を見ることが出来ない。その顔を見て、もしもそこから何かを感じ取ってしまったら……もう、それ以上の言葉を言うことが出来なくなってしまいそうだったから。自分の気持ちを、伝えることが出来なくなってしまいそうだったから。
「も、もしもアキちゃんさえよければ……次に新しい調査をするときは、またあたしと……」
「一度戻ったら、次に人間の国にやってくるのは、多分どんなに早くても百年後くらいね」
「え……」
「エルフの時間は、アナタたち人間と比べると、とてもゆっくりだから」
「……そっ、か」
あたしはそれを、なんとなく分かっていた気がした。
流れる時間の違うあたしたちは、きっと一度別れてしまったら、もう同じ時間を過ごすことは出来ない。まるで、それぞれがそれぞれのペースでいろんな道を進んでいくカミーノのように。
だからこそあたしは、アキちゃんが「北の道」に行ってしまったとき、あんなに悲しい思いをしたんだ。
アキちゃんは本当は「北の道」に行かなかったから、鉄の十字架であたしとまた再会することが出来た。でも、今度はそうじゃない。サンティアゴにゴールしてしまったら、そこから先はもうお互い別々の道だ。今度こそ本当に、あたしたちはお別れになるんだ。だからこそ……あたしは今日、アキちゃんをここに呼び出したんだ。
カミーノの最後の日に、彼女に自分の気持ちを伝えるために。
「ねえ……アキちゃん」
「……何よ」
「あたし……あたしさ。アキちゃんと一緒にここまで旅が出来て……嬉しかったよ。最初はケンカしてたけど……。でも、途中でアキちゃんがいなくなったときに、気づいたんだ。アキちゃんと一緒にいるのがすごく楽しかったってこと。あたしはアキちゃんが……アキちゃんと一緒にいる時間が、大好きだったんだってこと……」
「チカ……」
「鉄の十字架で、あたしが石にどんな願い事を書いたか……言うね? あたしはあのとき、『これからもずっとアキちゃんと一緒にいたい』って書いたんだ。そのくらい、あのときアキちゃんと再会できて嬉しかったから。また、アキちゃんと一緒にいられてることが嬉しかったから。……アキちゃんが、好きだから」
「……」
あたしは、アキちゃんのほうを向いて、彼女の顔を見る。
彼女もそれに合わせるように、ゆっくりとあたしのほうに顔を向けて、目を合わせる。
それからあたしは、はっきりと言った。
「アキちゃん……大好きだよ」
沈黙。
長い長い、もうこのまま終わらないんじゃないかと思えるような、沈黙。
でも……。
うつむいている彼女が、独り言のようにつぶやいた。
「チカ……アナタと出会ってからのワタシ、ちょっと、変なのよ……」
「え?」
「昔のワタシは、人間になんて全然興味なかった。アナタと出会う前のワタシなら……あの、めんどくさそうな巻き毛のことなんて、絶対相手にしなかっただろうし。あの赤髪が道を外れて北上するって言ったときも、ついて行こうなんて思ったりしなかった。ワタシにはエルフの長老様から与えられた仕事があるんだから、それを遂行することだけしか考えなかった……でも、チカのせいで、そうじゃなくなったわ」
「あ、あたし? あたしのせいって……」
「アナタと出会って……人間にも、いろいろな人がいることが分かったわ。野蛮で、汚らわしいだけじゃなく……ムカつく人間とか……下品でイヤらしい人間とか……」
「ちょ、ちょっと……?」
「……下らなくて、いつもバカみたいなことばっかり言ってる人間とか……頼んでもいないことに口を出して、失敗ばかりしてる人間とか……」
「ア、アキちゃん……? もしかして、それ、全部あたしのことだって言ってる? って、っていうか、ここぞとばかりに壮大にディスってる?」
「……でも」
「え」
「そんな人間を……アナタを、知っていくうちに……だんだん楽しくなってきて……。もっと、もっといろいろなことを知りたくなった。自分の知らない外の世界に、興味を持つことが出来た。新しいことを知って、成長することが出来た。それは全部、チカのおかげ……だと思うわ」
「ア、アキちゃん……」
彼女がそんなことを考えていたなんて……。
あたしを、そんなふうに思っていてくれたなんて……。
それから、アキちゃんは意を決したように、こう続けた。
「アナタと一緒にいる時間は……ワタシもすごく楽しかった! だから、だからワタシ……アナタに会いに戻ってきたのよ! チカとまた一緒にこの道を歩きたいって思ったから、『北の道』に行かなかったのよ! ワタシだって……あの十字架の石には、同じことを書いたんだからね⁉ 『チカと、これからも一緒にいたい』って! だ、だって……ワタシも……ワタシも……!」
「……っ!」
そこで……。
その銅像の場所に、あたしたち以外の誰かがやって来たのが分かった。
よく分からない言葉をしゃべりながら、ときどき大きな笑い声をあげる。多分、酔っぱらっている若い巡礼者のグループだろう。
……でも、それは仕方ない。ここは、たくさんの巡礼者が泊まっている、観光地みたいなところだから。さっきまで二人きりになっていられたことが、奇跡みたいなものだったんだから。
「もう……行こっか? 明日はそんなに早く出発する必要はないけど……でも、あんまり夜更かしするのも、体に悪いし」
「ええ」
あたしたちはそこで話すのをやめて、自分たちの宿泊棟に戻った。
話は中途半端になってしまって、あたしは、アキちゃんがそのときなんて言おうとしていたのか分からなかった。
でも、あたしが彼女に言いたいことはちゃんと伝えられた。あたしの彼女への気持ちは、ちゃんと彼女に伝わった。
それから彼女の気持ちも…………言葉じゃない何か別の感覚で、ちゃんと分かったと思う。
だから、もういいんだ。
この旅の最後の夜に、二人の気持ちはちゃんとつながったんだから。
だからもう、これで十分なんだ。思い残すことは、無いんだ。
明日はいよいよ、あたしたちの最後の
残り五キロを歩いて、あたしたちの旅は終わるんだ。
見上げると、空には満天の星空が広がっていた。
これなら、明日の天気も心配なさそうだ。
何年も前に、サンティアゴでキリスト教徒がヤコブの聖遺体を見つけた日も、今日みたいに星が輝いていたらしい。だから、それが街の名前になって、
……知らないけどね。
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