~ サンティアゴ・デ・コンポステーラ

★32日目☆彡  ~ サンティアゴ・デ・コンポステーラ(5km)



 歓喜の丘のアルベルゲは、いつもよりもだいぶ遅く、朝の八時くらいに出発した。

 それは、少しでもこのカミーノを引き延ばしたかったから……っていうのもあるけど。それよりなにより、他の巡礼者が大勢一気に出発するので、その時間をずらしたかったんだ。

 それでも、カミーノ最大のアルベルゲから歩き始める人は全然絶えなくて、結局大勢と一緒に歩く形になってしまったけど。


 アルベルゲを出てしばらく歩くと、すぐに周囲は、ビジネスマンとかオシャレな格好した学生とかが歩いてるような普通の大都市になった。

 今までとは別世界。ちょっと我に返って、自分の姿を見返してみると……今まで歩いてきた汚れやくたびれた感じが服とか装備に出ちゃってて、恥ずかしい。いや、もちろん周囲には同じような巡礼者がいっぱいいるんだから、気にしなければいいんだろうけど……。でも、やっぱり年頃の乙女としては、ちょっと気になっちゃうというか……。ほら、アキちゃんだってきっと……。

「チカ! チカ! ケバブとかあるわよ⁉ どうする⁉ 朝食に、ちょうどいいんじゃない⁉」

 ……いや、この娘はそういうんじゃないみたい。この娘にとっては、色気より食い気、花より団子。他の何よりも、食べ物が大好きなんだから。

「うん……サンティアゴはタルトが有名らしいから、それもあとで食べようね……」

 ははは……。テイクアウトで買ったケバブを食べながら歩くアキちゃんには、旅の最後の感慨みたいなものは、皆無だった。


 それから、ストリートミュージシャンがたくさんいる街のメインストリートを抜けて、あたしたちは大聖堂を目指した。道は、他の巡礼者の後をついて行くだけでいいから全然迷わない。

 そして……いろいろと歩いたあげく、最後にトンネルみたいなところをくぐると……。


 ついた……。


 そのオブラドイロ広場っていう名前の広場では、たくさんの巡礼者が同じ方向を見ながら、涙を流してハグし合ったり、握手したりしていた。遠巻きに座り込んで、しみじみとその方向を眺めている人もいる。


 あたしたちも今、その巡礼者たちと同じ方向を向いている。

 青空を突き刺すように伸びるバロック様式の二つの尖塔。綺麗なガラスがはめられた正面ファサード。それは、この旅のゴール……サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂だ。

 ブルゴスの大聖堂と比べたら、ずっと小さい。

 でも、「ここまでやってきたんだ」、「ここを目指していたんだ」という自分の気持ちが、目で見える以上の何かを、あたしに感じさせているような気がした。それは、キリスト教徒じゃないあたしにも分かるような、不思議な感覚。気持ちを揺さぶるような、まさに神との対話というにふさわしいような……。

「また、恥ずかしいポエムを考えてるの?」

「……う」

 気づくと、隣のアキちゃんがからかうようにあたしのほうを見ていた。

「い、いや……そういうわけじゃ」

「まあ、いいんじゃない? ワタシ、チカのそういうところ……最近はそんなに嫌いじゃないし」

「え……」

 突然そんなことを言われて、呆然としてしまう。あたしがその意味を考えているうちに、

「でも、考えるのは自由だけど……ワタシと一緒のときはお願いだからそのポエムを声には出さないでね? 仲間だなんて思われたら、恥ずかしいから」

 なんて言いながら、アキちゃんはさっさと大聖堂の入り口へと行ってしまった。


 ちぇ……なんだよう。

 あたしも、彼女を追いかけて、大聖堂の中に入った。


 中に入ってまず目にするのが、「栄光の門」という、キリスト様や聖ヤコブ様の彫刻が彫られた門だ。その門の柱の根本の部分には、これまでここにやってきたたくさんの巡礼者たちが手を置いて祈ったせいで、柱が指の形にくぼんでしまっている場所があった。それがさながら、指を置く所定位置のようで。今も、次から次へとたくさんの巡礼者たちがやってきてはその柱のくぼみに手を置いて、彫刻に祈りを捧げていた。きっと、キリスト教への信仰心を持ってここまで歩き切った人たちには、その行為がとても重要で神聖なことなんだろう。

 一応、巡礼者としてカミーノを歩き切ったとはいえ、信仰心がない自分たちまでその中に混ざるのはなんとなく違う気がしたので、あたしとアキちゃんはそのままそこを通り過ぎて、中に進んだ。


 シンプルな聖堂だから、「栄光の門」を過ぎると、奥にすぐ主祭壇が見える。そびえたつ立派な柱を左右に見ながら、一歩一歩その祭壇へと向かって行く。

 黄金の装飾に囲まれた祭壇。その中心に、聖ヤコブ様の像が見える。あの像の下に、千年以上前にこの地で発見されたっていう、ヤコブ様のお墓があるらしい。そう思うと、その黄金の祭壇全体が聖堂に差し込む光が反射して輝いていることもあって、何か神々しいオーラのようなものを感じる気がした。


 その祭壇の後ろには、何人かの巡礼者が行列を作っていた。実は、その祭壇は聖ヤコブ像の背後に回り込むことが出来るような構造になっていて、巡礼者はその像を後ろから抱擁することができるらしい。巡礼が無事に終わったことを報告して、見守ってくれたヤコブ様に感謝を伝える意味があるんだそうだ。想像通り、アキちゃんは「ワタシは別にいい」って言ったけど、せっかくなのであたしはその行列に並んでみた。

 列のあたしの前の人は、多分結構敬虔なキリスト教信者だったらしくて、ずいぶんと長い間そのヤコブ像を抱きしめていた。ようやくその像から離れたとき、薄っすらと涙を流していたくらいだ。それだけ、教徒にとってこれまでのカミーノ巡礼が神聖なもので、それを終えたという喜びが大きいってことなんだろう。

 その人に少しつられてしまったのか……あたしもその像を抱きしめたとき、自然とこれまでの長い旅のことを振り返ってしまって、少し感動してしまった。



 やがて……。

 ざっくりと聖堂の観光を済ませて、ひと段落すると……あたしたちは、また外のオブラドイロ広場に出ていた。二人とも、他の巡礼者たちがしているように、大聖堂のファサードを見上げている。



「終わっちゃった、ね……」

「ええ」


 あたしたちのカミーノは、終わった。

 本当に、終わってしまった。


 今まで、毎日毎日長い時間と距離を歩いてきたからか……正直、今日の五キロぽっちの移動距離なんて、全然歩いた気がしない。ほとんど一瞬だったような気さえしている。

 だから、まだ全然終わった気がしない。

 これからも、明日からも、アキちゃんと一緒に歩き続けることが出来るような気がしてしまっている。



 でも、それはもうできないんだ。

 ここが、この旅のゴールなんだから。

 もう、全部終わってしまったんだから。


 それを意識すると、どうしても、感情が抑えられなくなる。


 アキちゃんとのお別れを意識すると、涙が出てしまいそうになる。


 でも……そんなの、あたしらしくない。

 大好きな彼女には、そんなあたしを見せたくない。


 彼女とは、笑顔で別れたい……から。

 あたしは湧いてくる感情を押し殺して、無駄に饒舌な言葉を並べる。


「あ、そういえばさ……毎日十二時から、大聖堂で巡礼者を祝福するミサがあるらしいよ⁉ しかも、十一時までに巡礼者事務所ってところで受付して巡礼者の証明書発行してもらっておくと、ミサのときに巡礼者全員のカミーノ出発地点と、出身国と名前を呼んでくれるんだって⁉ あたしの場合は、出発地点はサン=ジャンで、国はスペインで呼んでくれるってことかな? アキちゃんは、どうなんだろ? 出発地点はおんなじサン=ジャンだとしても……エルフの郷に、国とかって概念あるの⁉ あ、それにね、そのミサのときに、お香を入れたでっかい香炉ボタフメイロを振り子みたいに振るっていうのが、有名なんだって! 毎日やるわけじゃないらしいけど、今日とか明日ってどうなんだろうね? もしも、アキちゃんが興味あるなら、これから巡礼事務所に行って、十二時のミサに参加して……」

「……いいわ」

 アキちゃんは、こっちを向かずにゆっくりと首を振った。

「え……」

「別に、ワタシはキリスト教徒じゃないし。人間に名前や国を呼ばれても、嬉しくなんかないもの」


 それは、残酷な事実を告げる宣告だった。

 もう、彼女にはここにいる用事はない。だから、ここでお別れ。

 アキちゃんはエルフの郷に帰ってしまう。彼女とは時間の流れが違うあたしは、もう二度と彼女とは会えない。

 その時間がやって来たってことなんだ。


「そ、っか……」

 昨日の夜から、もうその覚悟はできていたと思ったのに。

 彼女とは、笑顔でお別れしようと思ったのに。


 でも、やっぱりそんなの無理だ。


 両目からは、ぼたぼたと涙がこぼれる。

 やっと見つけたあたしのカミーノを歩く意味……。

 それは、やっとできたあたしの友達で……。

 そして、あたしの大好きな人……。


 その人と、別れなくちゃいけないなんて……。



 でも……あたしがどう思っても、これはもう、仕方がないことなんだ。

 あたしたちの人生カミーノは、ここで別々の道に別れてしまうのだから。


 だから。

 だから最後は、せめて笑顔で……こう言ってお別れしよう。

 この旅の途中で、何度も聞いてきた、自分でも何度も言ってきた言葉。何回も励まされ、また誰かを励ましてもきた、この言葉で……。


「アキちゃん、それじゃあね……さよならブエン……いい旅をカミーノ!」

「チカ……」

 それからアキちゃんは、あたしの言葉にこう返した。


 


 ★☆★☆★☆★☆★☆




 大聖堂のすぐ近くにある五つ星レストランの「パラドール・デ・サンティアゴ・デ・コンポステーラ」では、毎日先着十名の巡礼者に、無料で料理を提供している。

かつて、巡礼者のための王立救護院だったという歴史があり、現在でもその伝統を受け継いで行われている、巡礼の最終地点特有のサービスだ。


 一応、その資格があるのは巡礼事務所で発行されてから三日以内の巡礼証明書を持っている者に限られるのだが……チカたちよりも先にサンティアゴに到着していた自転車巡礼者の長谷部矢伊子はその権利を最大限に行使して、図々しくも今日まで三日連続でその無料の料理を食べていた。


「いやー、ようやくあの二人、ゴールインしたねー⁉」

「ええ……」

 矢伊子の向かいには、吸い込まれるようなほど真っ黒なローブを着た女性がいる。彼女の前のテーブルの上には、占い師が使うような水晶玉。その水晶玉には、サンティアゴの大聖堂前にいるチカとアキの姿が映っていた。

「で……うちのチカちゃん、どう思った?」

 ローブの女性が矢伊子に尋ねる。

「うーん……。正直、控えめに言って……」

 矢伊子は、少し考える振りをするが、すぐに、

「……さいっこう、だね!」

 と微笑んだ。

「青くって、可愛くって、思春期全開って感じで、もうお姉さんの大好物だよ! つまみ食いしたくなっちゃったっ! 貴女が弟子を取ったなんて聞いたときは驚いたけど……あの娘なら、無理もないね!」

「私、つまみ食い目的で弟子を取ったわけじゃないから……。あなたと一緒にしないでね?」

 黒ローブは呆れるようにそう言ってから、独り言のようにつぶやく。

「私がつけてあげたあの娘の名前……チカ・ブランコ真っ白な女の子。これからどんな色にでも染まれるように……自由にこの世界で羽ばたいて欲しい、って意味だったんだけどね。でも、これまでのあの娘って、それをちょっと勘違いしちゃってるようで……。変なところで慎重っていうか臆病で、何色に染まることも恐れちゃってるような感じだったからさ。『カミーノでも行ってこい』ってくらいの荒療治が必要かと思ったんだよね」

「でも、そんなこと言いながらあなた……ときどき蝶々とかになって、あの娘の様子を見てたでしょ? まったく、過保護なんだから。今だってこうして、ゴール地点で待っててくれてるし……荒療治が聞いてあきれるよー!」

「そ、それは……まあね」

「ふふーん……意外と、いいお師匠様、してんじゃん?」

 そう言って、矢伊子は席を立つ。

「じゃ、私はそろそろまた走り出すことにするよ。カミーノで私の助けを必要としてる、信者ファンのみんなのためにね」

 そして、出口に向かって勝手に歩き始めた。


 ローブの女性は、そんな彼女には視線を向けずに、

「次は、六年後だっけ? そのときはあなた、また今とは別の姿になってるんでしょうね?」

 と言って、微笑んだ。

 矢伊子もそんな彼女には振り向かずに、答える。

「そうだねー。この姿も、結構気にいってたんだけどね。おんなじ姿をあんまり何回も使いまわしちゃうのも、問題あるからね。このヤコベ……じゃなくって長谷部矢伊子って姿は、今回限りかな」

「そう。まあ、なんでもいいけど。でも……次はもう少し、信者の人たちの信仰を裏切らないようなキャラになりなさいね」

「はいはーい」


 そして、矢伊子が音もたてずに部屋を出てくと、残された女性はまた、テーブルの水晶玉にうつるチカたちに視線をうつす。そして、嬉しそうに静かに微笑むのだった。




★エピローグ☆彡



 大都会サンティアゴを出発してから、もう五キロくらい。だんだん建物とか人工物が少なくなってきて、周囲には畑や草木が見えるようになってきた。

 少し前までの涼しくて歩きやすい曇り空なんてなかったみたいに、空は真っ青の快晴。おかげで、太陽がモロにあたしたちに降り注いでいて、今にも干からびそうだ。

 なのに……。


「チカ! チカ! フィステーラもムヒアも、海沿いなのよね⁉ ってことは、本場の海鮮料理が食べられるってことじゃない⁉ ワタシ、結局リエバナから『北の道』には入らなかったものだから、海沿いの町に行くのは初めてなのよね! ああ、楽しみだわぁー! これから先、どんな料理に出会えるのかしら……」

 アキちゃんは浮かれ気味で、どんどん先に向かってしまっている。

 全く……食い意地が張ってるんだから。



 あのあと、サンティアゴ大聖堂前でアキちゃんが言ったことに、あたしはすごく驚いた。


 だって、だってさ……。

 まさか彼女が、

「カミーノはサンティアゴで完全にゴールじゃなくって、そのあと西の海岸にある『フィステーラ』っていう町と、そこから北の海岸にある『ムヒア』って町に行くルートも続いてるんですって! だったら、せっかくだからその二つも行ってみたいじゃない?」

 なんて言うなんて、思わなかったんだもん。


 彼女が、自分でその情報を調べて、あたしを誘ってくれるなんて……。

 あたしと、もっと旅をして、もっと一緒にいようって言ってくれるなんて……思わなかったんだもん。


 サンティアゴからフィステーラまでは、九十キロくらい。そこからムヒアに行って、またサンティアゴまで戻ってくるのが、さらに百十キロくらい。せっかく終わったと思ったのに、今からさらに二百キロ、一週間くらいの旅をするっていうのにさ。

 何故だかテンション高くはしゃいじゃってるアキちゃん。この調子じゃあ絶対途中でバテて、休憩することになると思う。でも……。

「ああーん、ちょっと待ってよーっ! アキちゃーん!」

「待ちませんわっ! 悔しかったら、ワタシに追いついて見せなさーいっ!」

「言ったなーっ⁉ あたしだって、本気出したらもっと……」

「チカ、遅いですわーっ! 遅すぎますわー! あんまり遅すぎて、チカの頭の上でとまったハエが、そのまま産卵してますわよー⁉」

「はあーっ! そんなわけないでしょっ! この人間様を……チカ様を、なめんなよぉーっ!」


 そんな感じで、あたしも無駄に張り合っちゃって……。

 結局、そこから一キロも行かないところにあったバルであたしたちは仲良くノックダウンして、休憩しないといけないのでした。



 これからあと、一週間くらい……。それまでは、もう少しだけ彼女と一緒に旅が出来るんだ。休憩中にそんなことを考えて、あたしは一人幸せをかみしめていた。



「チカ! チカ! 知ってるかしら⁉ ここからずうぅーっと遠くの、『ニホン』という国にもね、このカミーノと同じように、何日も徒歩で歩いて旅をする巡礼路があるんですって! ハイエルフのワタシたちには、一か月も一年も、誤差みたいなものだわ。だから、もうちょっとエルフの郷に帰るのを遅らせて、そこに行こうと思うのだけど……当然、チカも一緒に来るわよね⁉ 島国みたいだから、やっぱりそこも海鮮が美味しいのかしら……うふふふ」



 はは……。

 彼女との旅は、まだまだ終わらないみたい。



 だったらさっきのあの言葉は、「さよなら」じゃなくて、こういう意味にした方がよさそうだ。


「アキちゃん……これからも素敵なブエン旅をしようね・カミーノ!」

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