~ ロス・アルコス

★6日目☆彡  ~ ロス・アルコス(21km)



 昨日遅くまで宴会をしていたせいで、結局、今日はあたしが起きるのも七時を過ぎていて、エステーリャを出発出来たのはいつも通りの八時ごろになってしまった。

 まあ、同じアルベルゲの他の人は既に出発してしまったらしいので、単純にあたしたちが早起きが苦手なだけって可能性もあるけど……。


 昨日無理やり起こす、なんて言った手前、やっぱりいつも通り遅く起きてきたアキちゃんに何も言う事が出来ず、ちょっと気まずい。あたしは、その件には触れずに、何事もなかったかのようにふるまって、今日もカミーノを開始した。



 それから。あたしたちがエステーリャを出発して一時間くらい歩いた、イラチェという村に入るところで……突然アキちゃんがあたしに、話しかけてきた。

「チカ! チカ! ここよっ! ここを曲がるのよ!」

 珍しく、テンションが上がっているアキちゃん。あたしの肩をバンバンと叩きながら、村の中心部へと向かう大通りから一本脇にそれた細い道を指さしている。

「愚かで無知なチカに、このワタシが教えてあげるわ! 実はこの先で、面白いものが見れるのよっ⁉」

 ああ、そういえば……。来る前に事前にネットで調べた情報によると、このイラチェ村は「あるもの」で巡礼者に有名なんだ。

 というか、言われなくてもカミーノ順路はもとからその脇道を通るようになっている。ホタテ貝の順路指示モホンも、アキちゃんが指さしているのと同じ方向を示している。だから、その有名な「あるもの」は最初からカミーノの通り道にあって、あたしも見る予定だったんだ。

 でも……。

「あ、うん……」

 そのネット情報によると、その「あるもの」は、もしかしたらアキちゃんが言っているような「面白いもの」ではないのかもしれないのだけど……。

 あたしの心配をよそに、アキちゃんは笑いをこらえるように口元を押さえて、すごく楽しそうだ。そんな彼女を見ていると、あたしは思っていることを言っていいものかどうか迷ってしまう。

「実はワタシ、昨日の夕食のときに近くにいた人間から聞いたのだけど……ああもう! まったく、人間って変なことばっかり考えるものよねっ⁉ 気高いハイエルフのワタシには、バカバカしすぎて笑っちゃうわよっ! だ、だって、だってこの先に……ワ、ワインが……ワインが……ぷぷっ! あー、くっだらねーですわっ!」

「…………」


 その脇道の先には、修道院とワイナリーがある。

 実はこのイラチェ村では、大昔に、カミーノを歩く巡礼者たちに修道院が無料でワインをふるまっていたという逸話がある。で、その逸話の精神が今でも受け継がれていて……さすがに一人一人にワインをふるまうということはしないけれど……その代わりに、ワイナリーの前に「ひねると赤ワインが出てくる蛇口」というものを置いて、巡礼者が自由にワインを飲めるようにしているんだそうだ。

 その話は、カミーノのガイドブックなら必ずのっているくらい有名な話で、当然あたしも知っていた。アキちゃんが言っている「面白いもの」っていうのも、その蛇口のことで間違いないと思う。昨日の夕食のパーティーのときに、相変わらずオーバーなリアクションで笑いをとっていたアキちゃんに、他の巡礼者の人がその話をしていたのをあたしも聞いていたしね。

 だけど……実はガイドブックとかでそのイラチェ村の「蛇口」が紹介されてるページには、大抵の場合は一緒に、ある「注意書き」もしてあったりして……。



「み、見なさいチカっ! あ、あの蛇口っ! あれよっ! あ、あ、あれがなんと……ぷふぅっ!」

「あ、で、でもアキちゃん……実は、それって……」

 その蛇口と、それを目当てに集まっているらしい他の巡礼者の人たちの姿が見えてくると、アキちゃんのテンションはいよいよマックスになる。あたしが「注意書き」の内容を教えようとするのも待たずに、そこに駆け出していた。

 彼女は、その蛇口の存在が相当ツボにはまってしまったらしい。


「いい⁉ チカ、心の準備はいい⁉ いくわよ⁉ な、なんとこの蛇口……この、蛇口から……」

「あー、えと……アキちゃん……あのさ……多分なんだけど……」

 ワイナリーが用意している蛇口は二つある。そのうちの、右側はただの水が出る普通の蛇口で、ワインが出るのは左側だ。アキちゃんは昨日そのことも聞いていたみたいで、ちゃんと間違えずに左側の蛇口に手をかけている。


 でも……。

 あたしはもう、次の展開が読めてしまっていた。だって、周囲の巡礼者の人たちが、さっさと先に進み始めていたから。持ってきたペットボトルとか瓶に無料のワインを詰める人で、行列が出来ることもあるって聞いていたのに……全然そんなことになっていなかったから。

「ほ、ほら! チカ、見なさいっ! なんとこの蛇口から、ワインが……!」

 そしてアキちゃんは、その蛇口を思いっきりひねった。

 ……でも。



 ぴちょん。



 その蛇口からは、ほんの一滴の赤い雫がこぼれ落ちてきただけだった。


「あ、あれ……?」

 あっけにとられているアキちゃん。

「え、えと……あの……」

 全然あたしは悪くないはずだけど……なぜか申し訳ない気分になりながら、あたしはアキちゃんに説明してあげた。


「あ、あのさ……この蛇口ってさ……。隣のワイナリーで作ったワインが余ったときじゃないと、出ないっぽいんだよね? だ、だから、時期とかタイミングとかによって、今みたいにワインが全然出ないときも結構多いらしくって……。今日なんて、あたしたち出発も遅かったじゃん? だから、ワインが終わっちゃってても仕方ないっていうか……。あ、あんまり期待しないほうがいいよーって、先に言っておけばよかったんだけど……」

「な、な、な……」

「えと……なんか、がっかりさせちゃって……ごめんね?」

「な、な、な……なんなのよーっ! そ、そういうことを知ってたのなら、早く言いなさいよっ⁉」

「い、いやあ……アキちゃんがあんまりにも楽しそうだったから、なかなか言い出せなくて……」

「あーもうっ! せっかく、チカに自慢してあげようと思ったのに……ただ恥かいただけじゃないのっ! そ、それもこれも全部……チカが今日、早起きしなかったせいじゃないのっ⁉」

「な⁉ き、気づいてたの⁉ ……っていうか、それは今、関係ないでしょっ⁉ そんなこと言ったらそもそもアキちゃんだって、いつも通り、起きるの遅かったじゃんっ!」

「だから、チカが早起きして、ワタシを起こす約束だったはずでしょうって言ってるのよっ! ワタシは、チカが起こしてくれるものだと期待して、あえていつも通りに眠っていたのよっ!」

「ち、ちげーしっ! 約束は、そもそも自分で『早起きしようね』って話だしっ! 最初っから、自分で起きる気ゼロかよっ!」

「ええ、そうよっ! この気高いハイエルフのワタシが、早起きなんてするはずがねーでしょうがっ!」

「あー、開き直った! なに、その怠け者宣言⁉  あと……いつも言ってる、その『気高いハイエルフの……』ってやつ、本当は関係ないでしょっ⁉ エルフのせいにしてるけど、実はほとんどアキちゃんの個人的な欠点でしょっ⁉」

「う、うるさいわねっ! チカのくせに、ワタシを侮辱するんじゃないわよーっ!」


 そんな感じで。

 さっき一人で盛り上がっていた分、恥ずかしくなっちゃったらしく、顔を真っ赤にして悪態をつくアキちゃん。そんな彼女につられて、あたしもエキサイトしちゃって……。

 結局、それからしばらくの間、あたしたちは険悪な感じが続いた。


 まあそれも、途中で立ち寄ったレストランでお昼ご飯を食べたアキちゃんが例の面白リアクションをした瞬間になあなあになって、いつも通りに戻っちゃったんだけどね。




 それからの道は、相変わらず平坦で何もない道が続いた。建物はおろか、日陰を作る木さえもない。巨大な円柱状に丸められた乾燥した麦わらが転がる麦畑や、オリーブ畑が延々と続いているだけの、果てしなく開けた道。相変わらず、遮るものがない灼熱の太陽の中を歩くのはツラい。

 それでも、特に大きな問題もなく歩みを進めたあたしたちは、ロス・アルコスという小さな町に到着して、そこのアルベルゲで一泊した。

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