ブルゴス③

 告解場を移動して、あたしたちは今、ブルゴスの大聖堂の一番豪華なメイン主祭壇チャペル前にきていた。

 見上げるほどの高さの金色に輝く祭壇に、さまざまなきらびやかな装飾や、ブルゴスの守護聖人の聖母サンタマリアの美しいレリーフがある。祭壇の上部はステンドグラスの窓が取り囲まれていて、カラフルな光を聖堂内に取り込んでいる。


 実はフェリシーさんは、「誰もいないはずなのに声が聞こえる⁉ 奇跡を体験、アンビリバボー!」作戦の他に……それが失敗したときの代替案プランBについても、考えてくれていた。


『ブルゴスの大聖堂につとめる神父様は、実は、わたくしの所属している修道院とも交流がございまして……。わたくしたちの事情をお話したところ、アミーナさんのために、明日大聖堂でミサを開いていただけるそうです。わたくしは、アミーナさんがそのミサに参加していただけるように仕向けますので、もしもプランAが失敗した場合、チカさんにはそこで別の奇跡を起こしていただきたいと思います』


 今祭壇の前では、真っ白な祭服に身を包んだカトリックの神父様が、厳かにミサをとりおこなっている。その神父様はフェリシーさんの知り合いで、今回の作戦の仕掛け人の一人だ。

「……おおイエスよ。どうか、小さきわたしたちのもとにおいでください。わたしたちのもとに、愛の秘跡をお与えください。わたしたちは、あなたを拝領する幸せを待ち望んでいます……」

 神父様がそういうと、あたしたちを含めたミサの参加者たちは祭壇の前に列を作って並び始める。ミサが、「聖体拝領」――キリストの肉と血に見立てたパンとワインが教徒に与えられる儀式――の段階に入ったということだ。つまり……もうすぐ作戦の本番だ。


 今行われているミサは、巡礼者の身近で不幸があって亡くなってしまった人たちの冥福を祈り、その人を失った悲しみを、神様に取り除いてもらうために行われている……という設定だ。そのミサの「聖体拝領」で、神父様がパンとワインを渡すとき……あたしがそのワインを、キリストの血に変える。それが、今回の作戦だ。

 ……いやいやいや。

 もちろん、魔法センスのないあたしなんかが、リアルでそんなガチ奇跡を起こせるわけじゃない。もしもあたしにそんなことが出来たら、キリスト教会から聖人認定されちゃって死後に彫刻とか作られちゃう。

 だからこれはあくまで、「そう見えるような魔法を使う」だけ。実際にあたしがやるのは、事前にフェリシーさんがワインの器に入れておいた「羊の血が入った袋」を、魔法で破ってしまうだけだ。そうやって、破れた袋から血をあふれ出させて、まるでワインが血に変わったように見せるんだ。


 「聖体拝領」の順番は、あたしがその魔法を使ったすぐあとに、アミーナさんの番がくるようにする。

 そうすると、「身近な人の不幸を悼むミサ」の途中で、アミーナさんの「聖体拝領」の順番が回ってきたタイミングで、「ワインが突然血に変わった」ってことになる。そんなの、奇跡としか思えない。きっと、アミーナさんのそばにいる妹さんの守護聖霊が、奇跡を起こしてくれたんだ……ってことで。

 名付けて、「わー! 妹さんは、今でもアミーナさんの心の中に永遠に生き続けてるんだね⁉ アンビリバボー!」作戦……っていうのが、フェリシーさんが考えたプランBの詳細なんだけど。


 え? なんか明らかに、プランAより大がかりじゃない? 神父様とか巻き込んでるし。血袋とか用意してるし。

 フェリシーさんもしかして、さっきの告解場の作戦は、失敗すること前提だったの? どうせあたしがなんかヘマやらかすって、最初っから分かってたってこと? ……じゃあ、はじめっからプランBだけでいいじゃん!

 フェリシーさんは柔軟っていうより、最初に思っていたイメージよりもずっといい加減な人なのかもしれない……と、あたしは気づき始めていた。



 ……とにかく。

 「聖体拝領」の列は順調に進んでいって、いよいよ次があたしの番となった。その列のあたしの次には、ちゃんとアミーナさんに並んでもらっている。

 もちろん、さっき告解場でのプランA失敗の原因を作っちゃったアキちゃんのことについても、今回はばっちり対策済みだ。

 実は、この「聖体拝領」っていう儀式は、カトリックに洗礼を受けている信者しか参加できないっていう決まりがある。エルフのアキちゃんは、当然キリスト教の洗礼なんて受けていないから、もともとこの「聖体拝領」には参加できない。それに加えて、事前にこっそり彼女にも作戦の内容を説明して、邪魔しないでいてくれるようにお願いもしておいた。だから、さっきみたいに彼女が作戦を台無しにしちゃう可能性は今回はゼロだ。

 まあ……ちなみに捨て子のあたしも、実はキリスト教の洗礼なんか受けてないんだけど……作戦に支障が出るから、今回は特別に勘弁してもらった。「聖体拝領」のやり方も、昨日の内にフェリシーさんから聞いている。

 だから、今回の作戦は完璧だ。確実に成功するはず……多分。きっと。


 前の人の順番も終わった。ついに、あたしの番だ。

 神父様の前に進む。

「キリスト様の、御体おんからだです」

「……アーメン」

 神父さんが差し出した丸いせんべいのようなパンを、そのまま口に入れて食べる。うーん、あんまり美味しくないな……って、そんなこと気にしてる場合じゃない。

「キリスト様の、御血おんちです」

 次に神父さんは、ワインが入ったカリスをあたしの前に差し出す。中にはうっすらと、例の血袋が入っているのが見える。あたしはそれを受け取って、一口飲む。

「……アーメン」

 そして……。

 神父さんにカリスを返す前に、その中に入っている血袋の一点に力が入るように、自分の魔法の力を使った。血袋に、指で直接押しているみたいなへこみが出来る。やがてその凹みは深くなっていって、その袋に穴が開く。

 はず、なんだけど……。


「え……」

 力が、足りない……⁉


 コインを浮かすだけの力があれば、血袋の一点を突き破ることは出来る。それは、分かっていた。だからこそフェリシーさんはこの作戦を提案したし、あたしもそれを受け入れたんだ。

 魔法の力は、イメージの力。精神を集中して想像力を働かせれば、出来ないことが出来るようになる。動かないものだって、動かすことが出来る。いつもお師匠様にそう教わっていた。だからあたしは昨日のうちに、何度も袋を破る練習をしたし、この作戦のイメージトレーニングをしていた。十分に、袋を破れるイメージは出来上がっていた……はずなのに。


 どうして……? どうして袋に、穴があかないの……?


 カリスを受け取ってから、もう十秒くらい経っている。あんまり時間をかけてしまったら、さすがに、すぐ後ろにいるアミーナさんに怪しまれてしまう。彼女の番が回ってきたときにカリスの中に血があったとしても、それがあたしが何かしたせいだとバレてしまっていたら、意味なんてない。作戦は失敗だ。

 想像以上に手間取ってしまっていることに、あたしの心はかなり焦っていた。

 早く……早く……早く、しなくちゃ、いけないのに……。


 ……魔法がうまくコントロールできない? それは、心に迷いがあるときだよ。

 ……チカちゃんの心の中に、何か悩んでることがあるときなんだよ。


 昔お師匠様に言われた、そんなセリフを思い出す。

 で、でも……迷い? 悩み? そんなの、今のあたしにはないよ? ある、わけが……。



 ……え?

 突然そのとき頭の中に、思ってもいなかった言葉が浮かんできた。


 え? え? ……ア、『アキちゃん』?

 アキちゃんが、あたしの悩み? 今のあたしは、アキちゃんのことで……心に迷いがあるっていうの?


 それって、もしかして……。

 彼女が昨日、夕食を飛び出してアミーナさんに向き合おうとしたこと……? あたしは、何も出来なかったのに……。彼女が、アタシの持っていないものを持っていること……? 「自分だけのカミーノを歩く理由」を持っていること……?


 違う……。

 違うでしょ……。そんなこと、あたしは何も気にしてない……はず、だけど……。

 カリスを持つ手が震え始めて、中のワインの水面が、かすかな波紋を作っている。

 ち、違う……。

 違うはず、なのに……。

 魔法どころか、自分の腕の震えさえ満足にコントロール出来ない。


 ど、どうしよう……。ど、どうしたら……。

 目の前の仕掛け人の神父様も、そんなあたしの様子に、目が泳ぎ始めている。でも、それがまたあたしを焦らせる。

 ち、違う……違うから……。

 自分の頭の中に浮かんでくるアキちゃんのイメージを否定するように、あたしは首を左右に動かす。


 そして。

 首を動かしたことで広がった視界の端に、チラリと見てしまった。


 見えなくてよかったのに。見たくなかったのに。

 つい、見てしまった。



 作戦の邪魔にならないように、礼拝堂の隅で大人しくしてもらっている……アキちゃん。

 彼女の隣には、フェリシーさんもいる。


 二人は何かを話しているみたいだ。距離が離れているから、声は聞こえない。

 フェリシーさんが、アキちゃんに自分のスマホの画面を見せる。フェリシーさんに何か言われて、アキちゃんは、そのスマホを操作する。そして、何を見たのか……驚きの表情を作る。そのあとフェリシーさんが何か、彼女をからかうようなことを言って……アキちゃんは顔を赤くして、フェリシーさんを小突く。

 それからアキちゃんは、少し照れるみたいに何かつぶやいて……そして、フェリシーさんに向かって、楽しそうに笑いかけていた。



 あ。


 ああー、そう……なんだ。


 あの娘って……ああいう顔、するんだ……あたし以外の人にも。

 そっか……。そりゃあ……そう、だよね。



 次の瞬間。

 それまで全然力が入らなかったあたしの魔法が突然暴走して……持っていたカリスの中のワインと血袋が、文字通り爆発した。

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