フォンセバドン③
「ア、アキちゃんっ⁉」
見間違いかと思った。
あんまりにも自暴自棄になったあたしがおかしくなっちゃって、幻を見ているのかと思った。でも、そこにいたのは、どう見てもまぎれもなく、本当のアキちゃんだった。
「全く……チカは放っておくと、すぐに恥ずかしいことばっかり言ってるんだからっ! 仕方ないから、ここからはまたワタシが一緒にいて、変なことを言わないように見張ってあげるわよっ!」
「アキちゃん!」
あたしは、飛びかかるように彼女に抱きつく。それでも彼女は霧になって消えたりしない。あたしの腕に、アキちゃんの細い体の感触が伝わってくる。
やっぱり幻なんかじゃなく、本当の……アキちゃんなんだ……。
「アキちゃん……アキ、ちゃん……」
彼女を抱きしめる力が、制御できない。きっと、反対の立場だったら痛くて叫んじゃうくらいにしっかりと、力を込めて両腕で彼女を締め付けてしまっている。
でも、それは仕方なかったんだ。
もう二度と、彼女から離れたくなかったから。目の前から消えて欲しくなかったから。
「チカ……」
アキちゃんは、そんなあたしを嫌な顔もせずに受け入れてくれていた。
やがて。
目の前の彼女の存在を間違いないものとして確認できたあたしが、ようやく、少し落ちついてくると……。
頭の中には、今の状況に対する疑問が浮かんできた。
「で、でも、どうしてアキちゃんがここに……?」
フェリシーさんと「北の道」を目指したはずのアキちゃんが、「フランス人の道」のルート上の、
それなのに、どうして今アキちゃんがここにいるのか、あたしには全く分からなかった。
「キリストの十字架があるっていうサント・トリビオ・デ・リエバナ修道院までは、あの赤毛たちと一緒に行ったわ。でも、ワタシはそのあと……『北の道』には行かなかったのよ」
アキちゃんは、ちょっと恥ずかしそうにその説明を始めた。
「修道院に着いたところで、一人にしちゃったチカのことが……ちょっとかわいそうに思えてね。そしたらたまたま、あの赤毛が自動車でポンフェラダってとこまで行くっていうから……。ちょうどいいからワタシもそれに乗ってポンフェラダまで行って、そこからチカに会うためにここまで歩いてきたのよ」
「あ、赤毛って……それって、フェリシーさんのこと? え? じゃあ、フェリシーさんが、アキちゃんをここまで……?」
ポンフェラダは、ここから二十キロくらい先に進んだところにある町だ。
つまり、アキちゃんはフェリシーさんの車に乗ってポンフェラダに連れてきてもらって。そこから、多分今日の朝くらいに、カミーノを
サント・トリビオ・デ・リエバナからポンフェラダなんて、どう見積もっても百キロ以上はある。だから、フェリシーさんが「たまたま」ポンフェラダに行く用事があったなんていうのは、多分嘘だろう。きっと、このためだけに「わざわざ」レンタカーでも借りて、アキちゃんを送り届けてくれたんだ。
っていうか、「アミーナさんに嘘をついてしまった」からリエバナに行こうとしてたくせに、またアキちゃんに嘘ついたってことじゃん。本当に、あの人には敵わないな……。
と、そこで。
あたしはアキちゃんの説明に、まだ納得できないところがあることに気が付いた。
「……あれ? でも、それっておかしくない?」
「な、何がよっ⁉」
「フェリシーさんがアキちゃんをポンフェラダに送って、アキちゃんはポンフェラダから、カミーノを逆方向に歩いて、ここまで来たんだよね?」
「だから、そうだって言ってるでしょっ!」
「それって……フェリシーさんとかアキちゃんには、あたしが『ポンフェラダより前』にいるって、分かってたってことだよね? そうじゃなきゃ、アキちゃんはポンフェラダから逆方向に進もうなんて思わない。……っていうかフェリシーさんだって、アキちゃんを送り届けるのがポンフェラダでいいのかどうかってことも、分かるはずがないよね? もしかしたらあたしは、もうとっくにポンフェラダより先に行っちゃってるかもしれないんだし」
あたしが、そんな疑問を彼女に向けると、何故かアキちゃんは怒るように顔を赤くして、あたしを睨みつけ始めた。
「え……? あ、あれ? あたし、なんか変なこと言った? ……い、いや、合ってるよね? やっぱり、普通に考えたらアキちゃんたちには、あたしの今の居場所が分かるはずがないんだから、これは当然の疑問で……」
「……チカっ!」
そこでアキちゃんは、やっぱりよく分かんないけど怒りを爆発させて、大声で叫ぶ。そして、あたしに自分のスマホの画面を見せた。
「っていうか、こういう恥ずかしいこと……やめてちょうだいよっ!」
「え……?」
そのときアキちゃんが見せてくれたのは……スマホの動画アプリの画面だった。彼女がその画面をタップすると、アプリの動画が再生される。それは、前に一回あたしも見たことがあるユーチューブチャンネルの、とある
『はぁーい、皆さんこんにちわぁー。ヒジュちゃんチャンネルの、ヒジュちゃんでぇーす。今日は昨日に引き続きぃー、カミーノで見つけた面白い光景をご紹介しまぁーす』
「あ……」
それは、あたしたちと途中で別れた、韓国人のヒジュちゃんの動画だった。あたしは韓国料理動画しか見たことはなかったけど、そういえば彼女たち、それ以外の動画も上げてるんだっけ。
その動画では、ヒジュちゃんたちはカミーノの途中のどこかの砂利道にいるみたいだった。ヒジュちゃんはカメラと一緒に、なんだかあたしにも見覚えがあるその場所に、ズームして近づいていく。
よく見るとその道の上には、たくさんの小石が規則的に並べられていた。
『わぁー! 見てくださぁーい、みなさぁーん? こんなとこにまた、
その砂利道の真ん中には、確かにヒジュちゃんが言うように、「たくさんの小石を並べて描いた絵」のようなものがあった。ちょうど、ときどきカミーノの途中で見かける「小石で作った進行方向を教えてくれる矢印」とか「後続の巡礼者に向けたメッセージ」みたいな感じだ。
でも、その絵は矢印とか文字とかいったシンプルなものじゃなく、もっと複雑で手の込んだ絵……っていうか、人の顔だった。しかも、ロングヘアーからのぞく耳の先がとがっているという、とても特徴的な容貌をした人で…………って⁉ にゃ、にゃにぃっ⁉
その絵の内容に気づいたあたしは、思わず変な声を上げてしまった。
だってその絵は、どっからどうみても完璧に、見間違いようもなく明らかに……エルフのアキちゃんだったんだから。つまり、カミーノの道の真ん中に、小石を並べて描かれたアキちゃんの顔の絵があったんだ。
『うっわぁー! この絵をカミーノで見つけるのは、これで何個目ですかねぇー? こんなにたくさん、こんなに手の込んだ絵を残すってことはぁ、これを描いた人はぁ、よっぽどこの絵の人が好きなんですねぇー⁉』
「これだけじゃないわよっ!」
「え……? え……?」
最後まで見ても、あたしにはその動画の意味がさっぱり分からなかった。
顔を真っ赤にして起こっているらしいアキちゃんは、さらにスマホを操作して、次に別のアプリの画面をあたしに見せた。それはどうやら、ツイッターのタイムライン画面のようだった。
「……ええ⁉」
その画面を見ると、やっぱりそこにも、さっきみたいな「小石で描いたアキちゃんの顔」の写真が、たくさん投稿されていた。それらの投稿者はみんなバラバラだったけど、どれも一緒に「♯カストロヘリス」とか「♯ブルゴス」とか「♯レオン」とか……カミーノの途中にある町の位置情報がついている。よくよく考えて見るとそれは全部、あたしがこれまでに
「え? え? だ、誰がこんなことを…………は、はあっ⁉」
そのあたしの質問の答えは、アキちゃんが、そのタイムライン画面を一番古い投稿までスクロールして遡ったときに、分かった。
ツイッターに投稿されていた、一番最初の「アキちゃんの顔の絵」……それは、今日から十日くらい前のサン・ファン・デ・オルテガ……あたしたちが、フェリシーさんやアミーナさんと一緒に泊まったアルベルゲの、夕食の場面だった。その写真には、あたしが突然出て行ったアキちゃんを追いかけたときにワインをこぼしてしまった、あのテーブルが映っていた。
つまり……そこには小石じゃなくて赤いワインで、さっきみたいな絵が描かれていたんだ。あのときは、帰ってきた時点でフェリシーさんたちがもう片付けてくれてたから気づかなかったけど……あたしがこぼしたワインの液体は、テーブルの上で「アキちゃんの顔」のような形に散らばっていたんだ。
つまりつまり、あたしはあのとき無意識のうちに自分の魔法を使っていて……こぼれたワインを「アキちゃんの顔の形」に動かしていたってこと……? っていうか、あのときだけじゃなく……あたしは今まで通って来た道の途中で、「アキちゃんのことを強く考えてたとき」に……自分の魔法を暴走させて周囲の小石を動かして、「アキちゃんの顔」を作っていたってこと?
だから、SNSに投稿されたその「顔」写真の位置情報や時間を頼りにして、アキちゃんたちにはあたしの居場所が分かった。あたしに会うためには、ポンフェラダから逆方向に向かえばいいって分かった……ってこと? てか、これだとアキちゃんだけじゃなく、世界中の人にあたしの居場所が知られちゃってるっていうか……。全世界に、あたしのアキちゃんへの「想い」を発信しちゃってるっていうか……。
「はっ!」
そこで、ふと足元を見る。
すると、やっぱり思った通り、今もあたしは自分の魔法の力を暴走させていた。鉄の十字架の周りにあった小石の山を、あたしの魔法の力で動かして、意味のある形に並べていて……。
それは、目の前でプルプルと震えているエルフの女の子そっくりで……。
「だ、だからっ! チカがこういう恥ずかしいことするから、いちいちワタシがここまでやめさせに来ないといけなかったんでしょーがっ!」
アキちゃんはそう言って、足で「石の絵」を崩しにかかる。
「ご、ごめんごめんっ! あたし、全然気づかなくって……っていうか、自分の魔法が暴発して、完全に無意識のうちにやっちゃってたみたいで……」
でも、そんなことを言いながらも、アキちゃんと再会できたことでまだ感情が高ぶっちゃっているあたしは、魔法をさらに暴走させてしまう。だから、そことはまた別のところに、勝手にアキちゃんの顔が出来上がっていく。
「って⁉ 言ってるそばから、恥ずかしいことするんじゃねーですわっ!」
足元の石だけじゃなく周囲の霧にも、アキちゃんの姿がラテアートみたいに描かれている。アキちゃんは今や全身を使って、それらの「絵」を消そうとしてしる。
でも、そうしている間にも、新しい「絵」はどんどん出来上がっていて……、
「ちょ、ちょっとチカっ! もうやめなさいって言ってるでしょっ⁉ アンタ、わざとやってるでしょっ!」
「ち、違うって! だ、だから、自分でも感情が止めらんなくて……」
あたしが作ってしまった顔の「絵」を必死に消そうとして、アキちゃん本人が霧をはらっているうちに……次第に天候が回復してきて、霧そのものも晴れてきていたみたいだ。
真っ白だった景色は、だんだん周囲が見通せるようになってきた。
それでも、あたしの魔法の暴走はなかなか止められずに……アキちゃんは小石や霧で描かれた「絵」を、必死に消さないといけなかった。
それからようやく、いろいろなことが収まってくると。
あたしが道中に他にも余計な「絵」を描いてないか確かめるために、あたしたちはそこから少しルートを戻った。
そして、さっき通り過ぎてしまったフォンセバドンという町で宿を取ったあたしたちは、次の日からまた……二人でカミーノを歩くことになった。
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