★じゅんれい☆彡 ~las chicas estrelladas~
紙月三角
(フランス)
サン=ジャン=ピエ=ド=ポール ~
★1日目☆彡 サン=ジャン=ピエ=ド=ポール ~ (24km)
カミーノ。
スペイン語で「道」という意味の単語。
これに、定冠詞を付けて『
それは、キリスト教の十二使徒の一人、聖
そのルーツは、今から千年以上も前に聖ヤコブの墓がサンティアゴで見つかったことにさかのぼる。その道自体が世界遺産として認められていることもあってか、今では毎年世界中のたくさんの人が、『
その目的は、本来のキリスト教徒の巡礼だけには収まらない。ある人はスポーツ感覚で。また別の人は仕事や学業で疲弊した心を癒やすために……。
一番オーソドックスなルートでも800キロ近くあって、一か月以上はかかるっていうその巡礼路を歩いているんだ。
「そして今日もまた一人……バルセロナからやってきた美少女が、その巡礼路を歩いていたのであった、なぁーんてね。は……はは……あははは…………はーあ」
そんな冗談を言って、一人で笑うあたし。でも、疲れすぎて口角がうまく動いてくれなかったせいか、途中からほとんどため息になってしまう。
今朝早くに、旅の出発地点であるフランス南部の都市サン=ジャン=ピエ=ド=ポールを出てから既に3時間以上。そのほとんどが上り道だったせいで、全身の疲労は既にピークを越えてる。
しかも、六月の今って一応スペインは夏で、本当ならTシャツ一枚でも過ごせるくらいのはずなのに……。標高千メートル以上のピレネー山脈まで来ちゃうと、そういう下界の常識はあんまり通用しないみたい。ちょっと奮発して用意してきた有名アウトドアブランドの登山用ジャケットでもどうにもならないほどの、全身が震える肌寒さだった。
「はあ……はあ……はあ…………んぅぅっ」
ちょっと立ち止まって、深呼吸。それから、周囲を見渡してみた。
視界の上半分は、どこまでも続く雲ひとつない青い空。下半分は、大きな緑のジュータンを広げたように若草が茂る山肌と、その山の中を伸びていく一本の道だ。それが向かう先は、まだ見えない。
これが、サンティアゴまで続く道。あたしがこれから進む順路。この道があたしを、長い長い旅へと、連れて行ってくれるんだ。
胸の中で少しの不安と……その何倍も大きな期待が膨らんでいくのが分かった。
あたしの名前は、チカ・ブランコ・アリアス。
一応、ぱっと見はどこにでもいるような十六歳のスペイン人女子……なんだけど。実は訳あって学校には行ってなくて、普段はバルセロナのランブラス通りの近くで、大道芸みたいなことをしてその日の生活費を稼いで暮らしている。そんなあたしが今、どうして
「……あ」
そのとき、背後から一陣の爽やかな風が吹きつけた。
ここまで歩きづめで体中から汗がにじみ続けていたあたしにとって、その風は心地いいシャワーみたいだった。熱のこもった体をクールダウンして、たまった疲れのいくらかを癒してくれる。
背すじを伸ばしてからもう一度、さっきよりもずっと深く深く、澄んだ空気を深呼吸する。
「うぅ、気っ持ちいぃー……」
峠向こうの岩の上に、古びたマリア像が見える。きっと、今までこの道を通っていったたくさんのキリスト教徒たちが、あの聖母の面影に祈りを捧げてきたのだろう。さっきの風が運んできた空気には、もしかしたらそんな巡礼者たちの祈りの言葉の余韻が、今も残されているのかもしれない。
「都会の喧騒から離れた、穏やかな空間と時間……。悠久の時間の中に残る、過去のキリスト教徒たちの想い……」
目を閉じる。
それだけで、全身の感覚が研ぎ澄まされて、精神の力が高まっていくような気分になる。風がやんで、草木の揺れる音が途切れる。それに合わせて息を止めると、もはや唯一聞こえてくるのは、ドクンドクンという自分の胸の音だけだ。
まるで……自分の体が空気に溶けて、ピレネーの一部になってしまったような。この神聖な道と一体化してしまったかのような、不思議な気分……。
「この道は、あたしが生まれるずっと前から、このままの形で残っていた道……。今までたくさんの人たちが、いろんな想いを抱えて歩いてきた道……。そんな歴史ある素晴らしい道を、黙々と歩くこと。自分のエゴを捨てて、大地と一つになること。大自然に眠る
自分が特別な場所にいるという非日常感が、あたしの心を次第に高ぶらせる。
「……ああ、楽しみだなあ! このステキな旅の終わりには、一体何が待っているんだろう⁉ あたしはこの旅の先でどんな『答え』を見つけて、どんな『新しい自分』に出会えるんだろう⁉ そんなことを考えると、胸が躍るよっ! 本当に、ワクワクが止まんないよっ!」
そして最後に、目をキラキラと輝かせてあたしは宣言した。
「さあっ! 休憩は終わりにして、また歩き出そう! 希望に満ち溢れた、この、ステキな旅を……」
と、そのとき、
「ふん……ダッサ」
隣を、一人の少女が通り過ぎて行った。
「『答え』とか『新しい自分』とか……言ってて恥ずかしくねーのかしら?」
「あ…………」
さっきの盛大な独り言は、思いっきりその少女に聞かれてしまっていたらしい――しかも、小馬鹿にされるというおまけつきで――。あたしの顔は、
「ぐ、ぐぬぬぅぅ……」
……も、もちろん。
ここは、年間二十万人以上の人が歩くっていう
でも……でも……。
だ、だからって、通り過ぎるときに鼻で笑う事なくないっ⁉ 「ダッサ」なんて、言わなくてもよくないっ⁉
こちとら、まだ太陽も上らないような早朝からずぅーっと、代わり映えのしない悠久の大自然の中をひたすら歩いてきて……もう、身も心も疲労
そりゃ、おかしなテンションにもなるでしょーがっ⁉ 痛いポエムの一つや二つ、独り言でつぶやいたとしても仕方ないでしょーがっ⁉
自分を追い抜いていった彼女に、そんな反論をぶつけてやりたいのに……。でも、そのときのあたしは、彼女の背中を恨めし気に見ていることしかできなかった。
お人形のようにシュッとしてスレンダーな体形。輝くような金髪はツインテールでまとめていて、そのお陰で、先のとがった長い耳がピンと伸びているのがよく見える。スカートから伸びる細くて長い生脚も、通り過ぎて行ったときに見えたかわいらしい横顔も……まるで、雪で覆われる冬場のピレネーのように真っ白だ。
その身体的特徴はどれもこれも人間離れしているほど美しくて……実際その言葉の通り、彼女が人間ではなく森の妖精エルフ族であることを表していた。
「くっそぉ……」
エルフと言えば、植物のような長寿が有名な種族。しかも、千年以上生きた個体でもシミやシワとは無縁で、あたしたちで言うところの二十歳くらいの若々しい外見を保ち続けるらしい。人間……特に、若い女性たちの間では、神格化されるくらいに憧れの存在だ。化粧品のテレビCMとか広告なんて、「美しさが引き立つ」とか言って、一時期までほとんど全部エルフ族の人がモデルをやっていたくらいだ。最近じゃあ、「化粧品がすごいのか、もともとエルフ族が綺麗なだけなのか分からない」とか言って、一周回って人間のモデルも使われるようになってきてるけどね。
……まあ、ようするに。
そんな外見チートのエルフ様に、ごくごく普通のスペイン人少女のあたしがゴチャゴチャ言ったところで、ひがみにしかならないっていうか……。
「さっき『バルセロナの美少女』とか聞こえた気がしたんだけど……美少女なんてどこにいるのかしら(笑)?」とか言われたら、みじめすぎて死にたくなるっていうか……。
そんなわけで。エルフ様のつぶやきにイラついた気持ちをグッと抑えたあたしは、あくまで自然に、紳士的に――あるいは淑女的に?――、大人な態度で、この場をやり過ごすことにした。つまり、自分を追い抜いて行ったエルフの少女の背中に、恨み節ではなくこんな言葉を投げたんだ。
「ブエン・カミーノっ!」
ブエン・カミーノ……直訳すると、「よい旅を!」みたいな意味のスペイン語。でも、カミーノの巡礼路上では、これはある種の魔法の言葉だ。
国も、宗教も、言葉も考え方も全然違ういろんな人たちが、「サンティアゴ」というたった一つの目標を目指して歩くのが、カミーノという巡礼路だ。そんな道の上でも、この「ブエン・カミーノ」という簡単な挨拶一つで、あたしたちは自分とはまったく違う見知らぬ誰かの幸運を願ったり、お互いを励まし合ったり出来る。それは、あたしたちがお互いを「同じ道を歩く仲間」として認めている証でもあり、この道が長い間信仰を集めてきた理由でもあって……。
「……はぁ?」
無意識のうちにまた、自分の中の恥ずかしいポエミィな部分が出てきかけていたあたしを、小馬鹿にするように。そのエルフの娘は、こっちを振り返って軽く首をかしげただけで、あとは何も言わずにさっさと先に進んでしまった。
「……え?」
い、いやいやいやいや……。
え? えーっとぉ……む、無視? 今あの娘、あたしのこと……無視した?
おいおいおい……こっちが
「カッチーン……」
それが、あたしの堪忍袋の緒が切れた瞬間だった。
本当はもう少しスローペースで進む予定だった体にムチ打って、ズンズンと大股で進む。そして、自分をバカにして追い抜いて行ったエルフの少女をアッサリと追い抜き返してから、
「ブゥゥウエェン・カァミィイイノォー?」
彼女の目の前でイヤミったらしく、もう一度そう言ってやった。
「なっ⁉」
馬鹿にされたことが分かったらしいエルフは、あたしに対して、明らかな怒りの表情を向けている。
「な、なんなのよ、アンタはぁ⁉」
でも、先に馬鹿にしてきたのはそっちだからね? あたしはそれに、仕返ししただけだし? っていうか、「誰かに挨拶されたら、自分も挨拶を返しましょう」っていう最低限のマナーを、教えてあげてるだけじゃね? ぷぷぷ……あー、スッキリした!
よーし。これでまた、これからの長い道のりを、余計なストレスを抱えずに進んでいけそうだ。そんなふうに満足したあたしが、またペースを緩めて進み始めたところで……エルフの少女の方も、逆襲してきた。
「そんなので、ワタシを追い抜いたつもりですの? はっ。
なんて言うと、川遊びで飛び石を渡るように、丈夫そうな木靴で地面をピョンピョンと小刻みに蹴りながら、あっという間にあたしを追い越し返して先に進んでしまった。
「あ、ちょっとっ!」
「あら……いつの間にそんなに後ろにいっちゃったのかしら? やっぱり人間って、どんくさいんですのねー?」
「く、くっそっ!」
すぐにあたしも速足になって、彼女に追いつく。
「……ど、どうだ!」
でも……、
「だ、だからっ! そ、そんなの全然、
なんて言って、彼女もあたしに追いついてきて……。
それからも……。
「ま、まだまだですわっ! その程度じゃあ、気高いハイエルフであるこのワタシに、人間風情が追いつくことなんて……」
「ふ、ふざけんなぁっ! あたしが、そんな手脚ヒョロヒョロでひ弱そうなあんたに負けるはずが……!」
「そ、それはこっちのセリフよ! ワタシが本気を出したら、短命種のアンタなんかに……!」
「く、くそがぁーっ! あ、あんま、人間様なめんなよぉーっ!」
とか……、
「はあ……はあ……はあ……。そ、そのへんで、諦めて森に帰ったら……どうっすかー、エルフさーん? はあ……はあ……はあ……。人間の世界の空気が、お口に合わないんじゃないっすかー? はあ……はあ……」
「ぜえ……ぜえ……ぜえ……。バ、バカ言ってるんじゃ、ねーですわ……。ぜえ……ぜえ……ぜえ……。ワ、ワタシには、これからやらなくちゃいけない仕事がたくさんあるんだから……帰るわけねーですわ……! ぜえ……ぜえ……ぜえ……。そ、そっちこそ、こんな自然がいっぱいの山なんて、もったい無いですわ……! アンタたち人間どもなんて、大人しく低地で牛や豚と一緒に肥え太ってれば、いいんですわ……ぜえ……ぜえ……ぜえ……」
「な、なんだ……とー……! はあ……はあ……。う、牛とか言って……じ、自分が貧乳だからって……あたしのグラマラスなボデーに、嫉妬して……」
「そ、そんな下品な体なんかに……嫉妬なんて、するわけねーですわよ!」
「お、おい、こらーっ!」
なんて言いながら……、
「はあ……はあ……………………」
「ぜえ……ぜえ……………………」
最後には、息が上がりすぎて、ほとんど何も言えなくなるくらいになりながら……。あたしたちは無駄に、一進一退の追い越し追い越され合いの競争を繰り広げた。
正直、こんな山道で、ほとんど走るくらいの速度で競争していたなんて、自分でもどうかしてたと思う。
実は、そのときあたしたちが進んでいた道は「ナポレオンルート」とも呼ばれていて、かの有名な皇帝ナポレオンがスペイン遠征をしたときのルートでもある。多くの人にとっては、カミーノで一番初日に歩く山道でありながら、その実、カミーノの全行程の中で最も厳しい峠道とも言われていて……。そのキツさを証明するように、道中には、途中で息絶えてしまった巡礼者たちの墓標が立っているくらいだったんだ。
だから、そんな道を、こんなふうにふざけて進んでしまって……途中で何か怪我でもしたらそれこそ一大事だったんだけど……。でも幸いにしてあたしたちはなんとか無事に、その「追いかけっこ」の決着をつけることが出来た。
「へいへいへーい! どうしたどうしたー⁉ もうギブアップですかー?」
そのころにはとっくに国境を過ぎていて、フランスのサン=ジャンからスタートしたカミーノも、今はスペインに入っていた。もう少しで峠の最高地点を迎えて、あとはほとんど下り、という場所だ。
「ぜえ…………ぜえ…………」
「なんだよなんだよー? 口ほどにもないじゃーん?」
「…………」
数十メートル後ろに、すっかり小さくなったエルフ少女の姿が見える。
今は彼女、道沿いにあった避難用のほったて小屋みたいなところに寄りかかっている。スタミナは完全に切れてしまったらしく、煽りまくってるあたしに対して追いかけてくることは出来ず、恨めしそうにずっとこっちを睨みつけているだけだ。でも、座り込んだり横になったりしないで、静かに水なんか飲んでいるところは、強がりにしてもほめてあげてもいいかもね。
ま、「追いかけっこ」はあたしの圧勝だったわけだけどー。
勝利の余韻と、敗者を見下す快感で一時的にハイになって、あたしは疲れを忘れることが出来ていた。
っていうか、冷静に考えたら、そもそもなんで「追いかけっこ」なんてしてたんだっけ……?
ま、まあ、とにかくあたしはその後も、さらに二時間近く歩き続けて……予定よりもだいぶ早い時間に、その日の目標だったロンセスバリェスに到着した。
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