サン・ファン・デ・オルテガ③
「……皆様、せっかくのお料理が冷めてしまわないうちに、少しだけお時間をご頂戴してもよろしいでしょうか?」
夕食は、簡単なトマトソースのパスタに色とりどりのサラダと、コーンスープだった。アルベルゲで巡礼者が自炊するときの、結構一般的なメニューだ。そんなシンプルな料理を、キッチンと併設された食卓にあった大きなテーブルに並べて、あたしとアキちゃんを含めた巡礼者たちが取り囲むようにその席についている。
「主よ。今日のこの素晴らしい料理と、素晴らしい友たちに出会えた奇跡を感謝します。どうか、これからも我らの元に、ささやかにして喜ばしい奇跡のあらんことを…………アーメン」
「アーメン……」
シスターのフェリシーさんが食前の祈りを捧げると、それに続いて、他の巡礼者たちも言葉を続ける。その静かで厳かな雰囲気は、食卓というよりは、まるでミサが行われている教会みたいだ。全く信心なんてないあたしも、一応その場の雰囲気を読んで、周りと同じように祈りの言葉をつぶやいておいた。
でも……。
そんな中で、一人だけ態度が悪い人物がいて……。
「……バッカみたい」
「ちょ、ちょっとアキちゃん⁉ こういうときは、何も考えずにマネしておくのが…………って、あ、あれ?」
つまらなそうに悪態をついた人物を、あたしは慌てて注意しようとする。でもその言葉の主は、あたしの右隣に座っていたアキちゃんじゃなかった。
「じゅるり……」
当のアキちゃんは、今は完全に目の前の料理にくぎ付けになっていて、それどころじゃなかった。別に祈りの言葉も言ってなかったけど……その代わりに、悪態をついたりもしていない。
「ふんっ」
さっき空気の読めない態度をとっていたのは、遅れてこのアルベルゲにやってきた、黒い肌のカールヘアーのドイツ人……アミーナさんだった。
「……くだらない」
みんなが手を合わせて、静かに祈りを捧げている中で、彼女はまたそうつぶやいた。その、蚊が飛ぶよりも小さな言葉は、彼女の対面の席に座っているあたしにしか聞こえていないみたいだった。
「それでは、いただきましょう」
やがて、祈りを終えたフェリシーさんがそう言うと……「おあずけ」を命じられていた犬のように、アキちゃんが目の前の料理をがっつき始めた。
周囲の他の巡礼者の人たちも、おのおのに目の前の料理に手を伸ばしたり、隣の人と話を始めたりして……いつの間にかその場は、アルベルゲの夕食としてはよくある感じの、騒がしい晩餐になっていた。
「あー! シスター、ボクいいこと思いついたネーっ!」
突然、テーブルを囲んでいた巡礼者のうち、あたしの左隣に座っていた金髪の細身の男の人が、そんなことを叫んで立ち上がった。
「今日ここで素晴らしいミンナと出会えた奇跡に感謝して、さらなる親睦を深めるためにも、今から一人ずつ自己紹介しましょー⁉ ウン、それがいいですネーっ! ジーザスも、きっとそれを願ってるネー! ということで、チャオー! ボクは、イターリアからやってきました……」
一方的にまくしたてて、誰の返事も聞かないまま、その人は勝手に自己紹介を始めてしまう。
実はこの人、あたしたちがこのアルベルゲにやってきてからずっと、フェリシーさんに視線を送ったり、彼女に話しかけたりしていた。今だって、「みんなと親睦を深めるため」なんて言っていたくせに、ずっとフェリシーさんのほうを向いて自己紹介している。その態度をみるかぎり、彼の今の行動原理はキリスト教としての信仰心じゃなく……純粋な下心だろう。
まあ、夕食のときに順番に自己紹介をするなんてのは、別に彼が言い出さなくてもカミーノだったらよくある光景だから、別にいいんだけどね。これまでだってアルベルゲでみんなで夕食食べるときは、自己紹介するのが恒例だったし。
これまで十日も歩いていると、自己紹介の台詞もだいぶ言い慣れてくる。あたしの言う内容ももうほとんど決まりきってきて……「魔女の修行のためにカミーノを歩いている」ことを言って。それから、ちょっとその場を盛り上げるための一発芸として、「コインを浮かせる」魔法を使って見せる。だいたいそんな感じ。まあ、初日にロンセスバリェスでやったこととおんなじだ。
そのイタリア人の男の人も、もう既に何回も同じ文言を言っているようで、すごくペラペラと流暢な感じで自己紹介をしていた。
とりあえず、すぐに自分の番が回ってきそうな気がしたので、あたしは懐からコインを出す準備を始めていた。
そのとき……、
「そもそもボクがこのカミーノにやってきたーのは、この神秘的な旅の途中でー、奇跡的な美貌をもった運命の
「……
目の前の席のアミーナさんがそうつぶやいて、立ち上がった。ちょうどイタリア人の自己紹介が盛り上がっているところだったので、周囲の人たちはあまりそのことを気にした様子はない。
アミーナさんはそのまま何も言わずに、キッチンの出口の扉へと向かって行って……出て行ってしまった。
「え……?」
彼女の席に置かれたお皿には、取り分けられた料理が、まだだいぶ残っている。……っていうか、さっき夕食が始まったばかりなんだから、それは当然だ。彼女、一口か二口食べただけで、ほとんどそれを残してしまったってことになる。
いや……夕食の代金なら、食べる前にみんな回収してあるし。例の宿泊台帳も、そのときにフェリシーさんに言われて書いたみたいだから……別に、いいのかもしれない。けど、さあ……。
そりゃ……今日の料理が、全部口に合わなかったっていう可能性はあるよ? それに、他人と触れ合うのが苦手っていうなら、それは別にその人の個性だから、あたしがどうこう言う問題でもないしね?
でも、それにしたって、その態度はさあ……。
一人で、彼女が出て行った扉を見つめながら、そんなことを考えていたあたし。そこで隣のイタリア人に突然慣れ慣れしく肩を触られて、我に返らされた。
「ハイっ! 次はアナタっ! 自己紹介、よろしくネーっ!」
「え? あ、は、はい⁉ あ、あたしは……」
とりあえず、そこからはいつも通りの自己紹介をしたつもりだけど……。
正直、心の準備をする時間がなかったから、結構グダグダになってしまった。台詞はカミカミだったし。コインを浮かせる魔法も、精神統一がちゃんと出来ないと、暴走したり、力が弱くなっちゃうんだよね。今日は、さっきのアミーナさんのことが気になってしまって全然集中できなくて、浮いてるのか浮いてないのか微妙な感じになってしまった。
「……そ、そんな感じです」
結局、ロンセスバリェスでやったときのヤイコさんみたいに、ウケてくれる人もいなくて……あたしの自己紹介は、全然盛り上がらずに終わってしまった。
「じゃ、じゃあ、次はアキちゃんだね⁉ ほ、ほら……」
そんなスベった雰囲気がいたたまれなくて、あたしはさっさと隣のアキちゃんに自己紹介のターンを回した。
ちなみに、アキちゃんはこれまでこういう自己紹介のタイミングでは、どうしてたかっていうと……。
基本的には、「はあ? どうしてワタシが、人間なんかに自分のことを話さなくちゃいけないのよっ⁉ 気高いハイエルフのワタシが、そんなめんどくせーことするわけないでしょっ!」とか言って、彼女一人に任せるとその場の空気が最悪になるので……。要所要所であたしが適当にツッコミとか合いの手を入れてあげて、漫才みたいな感じにして誤魔化すのがいつものパターンだった。
でも。今日は、さっきのあたしの自己紹介のイメージを上書きするために、あえて何も言わないでおこう。せいぜい最悪な空気を作って、あたしのスベったイメージを帳消しにしておくれ。
なんて、あたしは意地の悪いことを考えていた。
……なのに。
ガタッ。
突然、さっきのアミーナさんみたいにアキちゃんが席を立って、あたしたちに背を向けた。
「え?」
「オー? 何事ネー?」
「……まあ?」
さっきとは違って、ちょうど自己紹介のターンがアキちゃんに回ってきているときだったので、その行動はみんなの視線を集めてしまう。
訳が分からなかったけど、あたしはとりあえず彼女の腕をつかむ。
「ちょ、ちょっとっ⁉ アキちゃん⁉ 何してるのっ⁉」
「……ああ、もうっ!」
でも、彼女はそれを振りほどいて、さっきアミーナさんが出て行ったのと同じ扉から、出て行ってしまった。
「え? え? えぇーっ⁉」
アキちゃんがいなくなって、みんなの視線は、今度はあたしのほうに向けられる。この訳の分からない今の状況を、説明して欲しいと思っているのだろう。
いや、あたしだって、わけ分かんないよっ⁉
あんまり混乱し過ぎたせいで、自分の前の赤ワインのボトルを倒して、テーブルの上にこぼしてしまったくらいだ。
そんな状況がいたたまれなくて、耐えきれなくなって……、
「ご、ごめんなさいっ! ア、アキちゃんって、ホント変わってて、めんどくさい娘で……」
なんていう、説明にも何にもなっていない言葉を言って……あたしもアキちゃんを追って、外へとつながる扉へと向かった。
ああもうっ! ホントに、なんなんだよっ!
扉を出ていくときに一瞬見えたんだけど……アキちゃんの席にあったお皿は、アミーナさんとは違って、全部がきれいに食べた後だった。
これであの娘、ただ単に夕食食べ終わったから満足して出て行っただけ、とかだったら……ぶん殴るからなっ⁉
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