~ ブルゴス①

★11日目☆彡  ~ ブルゴス(26km)



 サン・ファン・デ・オルテガからちょうど一日歩いた距離にあるブルゴスは、カミーノの中で一番の大都市だ。特に、そこにあるゴシック様式の大聖堂は、それ単体で世界遺産として登録されるほどに立派で、まともに見学しようと思ったら丸一日くらいかかる。実はあたしも最初から、今日中にブルゴスまで行って、明日は丸々観光にあてようかと思っていたんだ。今日この付近に宿をとっている人は、だいたい同じような考えなんじゃないかな。

 でも、あたしのその予定は、フェリシーさんの「計画」によって少しだけ変更することになった。



 あのあと、フェリシーさんはあたしの寝室を出て行く前に、もう少しだけ「計画」の詳細を話してくれた。そのときの話を、まとめると……。


 妹さんのことがあって、神様の奇跡を信じていないアミーナさんは、このままだとカミーノのゴール地点のサンティアゴまで到着したときに、自ら命を絶ってしまう。道中でそれを知ったフェリシーさんは、彼女を何とか止めたいと思っていた。だから、実は今までずっとアミーナさんと同じペースでカミーノを歩いて、アルベルゲも出来る限り彼女と同じになるようにして、彼女と話をしようと努力してきたんだそうだ。

 でも、他人と触れ合うことを拒絶しているアミーナさんは、そんなフェリシーさんともほとんど関わりを持とうとしなかった。まして、神様を恨んでいるアミーナさんにしてみれば、シスターのフェリシーさんなんて憎むべき敵みたいなものだ。結局今までフェリシーさんは、彼女の考えを変えることは出来なかったんだ。


 そんなとき、フェリシーさんは昨日の夕食であたしがコインを浮かせる魔法を使うのを見た。そして、閃いたんだそうだ。

 あたしの魔法を使って、何か不思議なことを起こすことが出来れば……アミーナさんは、神様の奇跡の存在を信じてくれるんじゃないだろうか? 例えば、妹さんが守護霊となって今もアミーナさんのそばにいる……なんてことを彼女に信じさせることが出来れば……。アミーナさんは、もしかしたら自殺を思いとどまってくれるんじゃないか?

 ちょうど、夕食の自己紹介の途中で出て行ってしまったアミーナさんは、あたしが魔女見習いで魔法を使えることを知らない。それに、ブルゴスの大聖堂はすごく大きくてキリスト教的にも重要な場所なので、奇跡の一つや二つ起きても不思議じゃない。だったら、そこであたしの魔法を使えば、彼女に奇跡の存在を信じ込ませることができるかもしれない、と。


 彼女のその提案は、アミーナさんのことについて悩んでいたあたしにとっては、まさに渡りに船。自分の悩みを解消することのできる、絶好の機会だと思えた。だから、自分に出来ることがあるならぜひとも協力したい、と思った……んだけど。

 でも、カトリックのシスターのフェリシーさんが、カトリックの教義上禁忌とされている「自殺」を防ごうとするのは当然として……そのためにアミーナさんに嘘をついて、彼女を欺くのはキリスト教的に大丈夫なの? それだと結局、教義に反してることになるんじゃあ……という心配も、あたしの頭には浮かんでいた。

 でも、そのことについては、フェリシーさん的には問題ないみたいだった。



「人それぞれキリスト教の教義の捉え方に、違いはあるかと思いますが……わたくしは、盲目的に教義に従い、それを理由にして目の前の迷える人を救わないことが、必ずしも正しいことだとは思いません。たとえ見かけ上は教義に反しているように思えたとしても、それが自分の信じるしゅ御心みこころに沿っていると思えるならば、恐れずに行動する。それこそが、真の意味での信仰心だと考えます」

「へー。その考え方は、なんかいいね。キリスト教徒じゃないあたしも、ちょっと理解できるよ」

「ありがとうございます。わたくしが考えますに……きっと教義というものは、本来それほど難しい物ではないのだと思います。それを信じる者各々が、しゅの望むことのために自分に何が出来るかを考え、その実現のために尽力する……それだけなのだと思います」

「なるほどー」

「つまり……ウソも方便、ということですね」

「ふーん…………って、それってキリスト教じゃなくって、仏教の言葉じゃなかったっけ?」

「そうでしたか? でも、実はキリスト教にも同じような言葉はございますよ?」

「あ、そうなんだ?」

「はい。例えば、聖書『ルカの福音書』第十章、第二十五節には……」

「うんうん」

「いえ……第二十五章、第十節だったでしょうか?」

「え……?」

「それとも、第五十二章、第十節? あるいは第百二十五章……? むしろ、第千二百五十章の……」

「あ、うん。もう大丈夫。言いたいことは、だいたい伝わったから」


 ……そんな感じで。

 フェリシーさんは、なかなか柔軟な考えを持ったカトリック教徒みたいだった。



 そしてあたしたちは、サン・ファン・デ・オルテガからブルゴスに向かって出発した。

「それではみなさん……怪我などしませんように、落ち着いてゆっくりと、歩いてまいりましょう」

「はーい!」

オ・カピート了解! オーケーネーっ!」

「……はいはい」

 フェリシーさんをリーダーにして、昨日のナンパなイタリア人と、その他に同じアルベルゲに泊まった五人くらいの老若男女の巡礼者。そこに、昨日からあたしとアキちゃんの二人も加わっている。結構、大所帯なパーティーだ。

 フランスのル・ピュイから歩いているのはフェリシーさんだけで、他の人は、あたしらみたいに道中で彼女に出会って、彼女の人望に惹かれたりそのほかの色々な理由で、行動を共にしているらしい。


 そんなあたしたちの前、五十メートルくらい先を、カールヘアーのアミーナさんが歩いている。

 あたしらのパーティーは、サン・ファン・デ・オルテガのアルベルゲを出発した時間も、そのあとときどき休憩するときのタイミングも、全部リーダーのフェリシーさんの号令に従っていた。だから、先にアルベルゲを出発したアミーナさんから、常にあたしたちのパーティーが付かず離れずの距離を保っていられたのも、決して偶然というわけじゃなかった。

 きっと彼女はこれまでもずっと、アミーナさんを見失わないように自分たちのパーティーをコントロールしながら、このカミーノを歩いてきたんだ。



「それで……ブルゴスについてから、なのですが……」

 どうやら、「アミーナさんに奇跡を見せる」という計画は、あたし以外の人には秘密らしい。歩いている途中で他の人たちの注意がそれるたび、フェリシーさんはあたしのところへとやってきて、そんなふうに計画の詳細を耳打ちをしていた。まあ、確かに計画を知っている人が少ない方が、バレる危険性が少なくなっていいのかもしれない。

「決行は、明日……わたくしが何とかしてアミーナさんをブルゴス大聖堂の見学ツアーに参加するように仕向けますので、そこで……」

「う、うん……はい」

 でも。

 フェリシーさんみたいな綺麗な人と、二人だけの秘密を共有しているという特別感。……それになにより、そんな彼女が今、自分の耳元で生暖かい息をかけながら話をしているという状況に、なんだか無駄にドキドキしてしまう。

 もちろん、あたしには女の子のフェリシーさんに対して「そんな感情」はない。ましてや彼女は聖職者で、しかも変な思いからじゃなく、アミーナさんを助けるためっていう大義のためにあたしに耳打ちをしているんだ。だから、今の状況にドキドキするなんておかしなことで、絶対に間違っている……のだけど。

 そんな無数の言い訳があるにも関わらず、フェリシーさんが耳打ちをするたびに、あたしの気持ちは意味もなく高まってしまうのだった。




 それから、気配り上手なフェリシーさんがあたしも含めたパーティーメンバーのことをいろいろと気遣ってくれたおかげで。あたしたちは特にアクシデントもなく、割と楽々と、ブルゴスに到着することが出来た。

 ブルゴスの旧市街は、パンプローナのときのようにぐるりと城壁に囲まれている。その城壁を抜けるために巡礼者が通ることになるサンタ・マリア門は、すごく豪華で見上げるほどに壮大で、まるでファンタジーゲームに出てくるお城……っていうか、むしろ世界的に有名なネズミのいる某遊園地のアトラクションの入り口かな、なんて思ってしまうくらいだった。


 ブルゴスでは、今日と明日の二泊する予定だ。

 そのうちの最初の一泊は、大聖堂近くの百人以上が泊まることのできる公営アルベルゲにチェックインした。


 そこは、五階建てでエレベーターがついているほど巨大で、新しめの施設で、設備も綺麗でしっかりしていて、これまで見てきたアルベルゲと比べるとなかなか快適なところだった――もちろん、昨日みたいな個室ベッドの快適さには敵わないけれど――。

 チェックインのタイミングが微妙にずれてしまったせいか、あたしは、フェリシーさんたちパーティーとは別の階のベッドを割り当てられてしまった。でも、アキちゃんとは同じ階の二段ベッドの上下を割り当てられたので、彼女と一緒に自分のベッドに向かった。

 そこで荷物を整理したり、汚れた服の洗濯をするために着替えを用意しているときに、少しアキちゃんと話すことが出来た。


 昨日のことがあってから、アキちゃんは少し寡黙になっていた。それに今日は、もっぱらフェリシーさんと明日の計画の打ち合わせをしていたので、アキちゃんとまともに話すのは、久しぶりな気がした。

「そういえば……ごめんね、アキちゃん?」

「……はあ? 何が、ごめんなのよ?」

「い、いやあ……今日、フェリシーさんたちと一緒に歩くこと。アキちゃんに相談もせずに決めちゃったじゃん? ほら、人間嫌いのアキちゃんのことだから、こんなにたくさんの人と一緒に行動するなんて、嫌だったんじゃない?」

「……ふん」

 なるべく、笑顔でふざけた感じで話したけど。もしかしたら、大声で怒られても仕方ないかな、なんて思っていた。

 「なんでこのワタシが、こんな知らない人間たちと一緒に歩かなくちゃいけねーんですのよっ! チカのくせに、勝手なこと決めるんじゃねーですわっ!」なんて……。

 でも、予想外なことに、アキちゃんは怒ったりしなかった。


「別に、構わないわ。……だって、昨日のうちにあの赤毛の人間から、聞いていましたもの」

「え……?」

 赤毛って、フェリシーさんのこと?

 フェリシーさんから、昨日のうちに……聞いていた?

「昨日の夕食が終わってすぐあと、自分の部屋に戻ってベッドで寝ようとしていたら……あの赤毛がやってきたんですわ。『あの巻き毛をどうにかするために、チカの力を借りたい』。だから『明日は自分たちと一緒に歩いてくれないか』って。だから……めんどくせーですけど、今日はアイツらと一緒にいてあげたんですわ!」

「……」


 あたしはそれを聞いて、荷物の整理をしていた手が止まってしまった。

 あたしが話すまでもなく、アキちゃんは、既にフェリシーさんからアミーナさんの計画のことを聞いていた。しかも……「部屋に戻ってベッドで寝ようとしていたとき」ということは、夕食が終わってすぐ……あたしよりも先ってことだ。

 つまりフェリシーさんは昨日……あたしよりも先に、アキちゃんに相談しに行ったんだ。


 それって……フェリシーさんはあたしよりも、アキちゃんのほうを優先すべきだって思ったってこと……?

 「あのとき」、呆気にとられて出遅れてしまったあたしよりも……彼女のことを気にかけていて、アミーナさんが食堂を飛び出していったとき、誰よりも先に彼女を追いかけていったアキちゃんのほうが、信頼できると思ったから……?


 それを考えてしまったから。あたしはそこから、しばらく動けなくなってしまった。

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