未来息子の親孝行

遥海 策人(はるみ さくと)

第01話 母と息子のファーストコンタクト

01 奈落の新入生


「母さん…動画とってもいいですか?」


 奇妙な夢で目が覚めた。まだ存在もしない息子が動画投稿者になって私を撮影する夢である。


 カーテンの隙間から二つに延びる光の筋ができていた。私はベッドの上をころりころりと転がって窓辺に近づき、カーテンを勢いよく開けた。


 ここは、東京の銀座。この場所では、ビルに反射したふたつの太陽が昇る。


「東京はやっぱ変わっとるんやね」


 私、東金とうがね玲奈れいなは今日から大学生。東京で一人暮らしである。


 ふと、コツンコツンと窓を叩く音に気づく。ここは10階のマンションなのだけど?


「にゃー」

 

 猫がガラスを叩いていた。どうやらこの場所には三毛猫の先輩がいたようである。一人暮らしの女の子にはちょうどいい同居人である。


「あんたも一人暮らしなんか?」


 窓を少し開けて手を差し伸べると、猫は近づいてくる。かなり人懐っこいようで、毛並みも整っていた。でも首輪はない。ねだるような仕草を見て私は察する。


「ちょっと待っててね」


 三毛猫はおとなしくお座りしたので、私は急いでツナの缶詰を持って来る。お皿によそって差し出すと、三毛猫はペロぺロと食べ始める。そして、すぐに私に従順になった。抱きかかえてみるとかなり重い。


「お前、太りすぎやね。ごはんこんなにいらんね」


「にゃー」


 悪びれる様子などない、ねだり上手な猫。甘えてくる様子から私はいい人認定されたらしい。


「お前はこの町で一人なの?」


「にゃー」


「私も東京で一人やから、今日からぎょうさん友達作るんや」


 朝6時。これが、私の大学生活の始まりだった。


 いい人。よくそう呼ばれる私。でもなりたいのはためになる人。東京まで来たんだから何か変われるやろう。わざわざ遠くに来た理由はそんなものである。


 午前10時から入学式。なので少し早めに九段下駅に向かう。


 日本武道館で行われるセレモニー。大学において保護者同伴の数少ないイベントであり、お父さんはこの日のために大きな一眼レフカメラを持ってきた。新調したレンズらしい。日本武道館なんて若い時にライブに来て以来だと昔話を始めた父に対して、私は「うんうん」と頷いて話を聞いていた。その中で、覚えている言葉は一つだけである。


「人生は学歴ではそんなに決まらん。けどな、ここで出来た友達でまぁまぁ決まるからな」


 例えば、隣の席に座った人。私はとう優子ゆうこさんとお話をして連絡先を交換した。とっても賢そうな女の子で、しかもめっちゃ美人。一緒にいるだけでウキウキしたくなるようなそんな人と初日に出会うことができた。


(これはきっとええことやね)


 例えば、同じ学科の学生が優秀かどうか。入学式において、理事長はこんなことを言った。


「少子化の進む日本においても今年の受験はまれにみる競争倍率でした。それを勝ち残った精鋭たち。それが貴方たちです」


 祝辞と共に語られる私たちへの熱い期待。真面目に話を聞いていた私は、やっぱりこれらかの自分には明るい未来が待っているものだと思っていた。



 この日、私の未来は間違いなく希望に満ちていたはずだ。



 午後。今度は学校内の紹介を兼ねたオリエンテーションが始まる。サークルの新勧からの先輩たちのお誘い。正直、様々なサークルはあれど、興味は薄かった。ずっと陸上部だったけど、べつに強いわけでもやりたいわけでもなくなんとなく誰かに誘われたから参加していた部活。今度もまた、なんとなく誘われるままに選んでしまうのかもしれない。


「堂野さんはサークルとかどないやろう?」


 堂野さんはスーツのまま長い足を組んで、更にスマホをいじりながら答える。


「サークルには興味ないわ。あなた、大学に何しに来たのよ」


 美女によるけっこう辛辣しんらつなコメント。聞いただけなのに、なぜか私は不真面目な子みたいなそういうレッテルまで張られた気がして。それで、ちょっと悲しい気持ちになる。だからこそ、私は折れてはいけない。「大阪の商人あきんどなめてもろてはこまりまっせ!」なんちゃって。


「学歴で人生はそんなに決まらんで。でもな、ここで出来た友達とはまぁまぁ長い付き合いになるんや」


 ちょっと悔し紛れにつぶやいた一言。でも、堂野さんの瞳はスマホから離れてこちらを向いた。


「あなたの言うことももっともね。ちょっときつい言い方してごめんね」


 こんなに早くお父さんの言葉が役に立つなんて。流石、一国一城を築いた経営者の一言は違うものである。それから、堂野さんはいろいろ話をしてくれるようになった。彼女には四人も弟がいて、彼女としてはなるべく全員を大学までかけてあげたいらしい。だけど、それほどお金がないから節約しながら大学を出て仕事して、ちょっとでも家計の足しになるように頑張りたいらしい。


 堂野優子はしっかり者である。だからこそ、私は彼女をたくましいと思った。貧乏人だと語った彼女だが、すでに私は尊敬している。


 そして、ちゃっかりもしている。


「え、私お金なくて…」


「大丈夫。もちろん僕たちが奢るからさ。お知合いになろうよ!」


 オリエンテーションが終わって、新入生歓迎のために、あらゆるサークルが飲み会のお誘いを行う。私も一緒についていくことになった。堂野さんらしくないけど、彼女が言うには「晩御飯代が浮くからラッキー」とのこと。先輩に対して上目遣いで受け答えしながら、自分の容姿を最大限度活用してなるべく学費を押さえながら学生ライフを満喫しようと言うのが彼女の狙いだ。


 そして、そのまま時が流れて夜22時頃。私は居酒屋の隅で疲れてうとうとと眠っていた。



 ――未来との明確な遭遇を意識した初めてのときだった



 ぼんやりとする意識の中で、低い声が私を呼んでいる。


「母さん…」


 またあの夢。私を呼ぶまだ見ぬ息子の声である。可愛らしい子だといいなと思っているけれど…


「母さん。東金玲奈さんで間違いありませんね?」


 めっちゃ渋い声の私の息子。私の息子かなりいい歳なのでは?


「いいですか。今、あなたの脳内に直接呼びかけています」


 やっぱりテレパシーみたいなやつやった!


 この天の声に近しい息子声。その後ろには睡眠へいざなうヒーリングミュージックが流れ、私の意識を更に深い眠りしようとする。どんどん催眠さいみん状態が深まっていくのがわかる。夢に落ちるとは正にこのこと。地面が暗くなって谷底に落ちて行くようなそんな感覚である。


(なんか、やばない?)


 抵抗を試みるも、ミュージックはどんどん強まり優しく柔らかい音色が私の精神を現世から引きはがし、抵抗する魂を鷲掴みにしてぐいぐいと奈落の底に引きずり込んでいく。


「こっちですよ」


(いや、ちょっと強引過ぎるのは嫌やねん!)


 私は、吸い込まれるように夢の底に落ちて行くのだった。

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