17 未来法則「末は博士か大臣か」というのは間違いで「末はどうせサラリーマン」
少し時が戻る。これは土下座おじさんと戦う一週間前の玲奈である。
月曜日。朝、スマホが鳴った。目覚めればそこは上野のホテルであった。朝はいつもと違って電車で通学。この世界の終わりみたいな満員電車に初めて乗った。
そして、1限目の授業に顔を出すといきなり優子と目が合う。今日は堕天していない、いつも通りの天使であった。昨日の今日でいろいろあったので、なんだか気まずい。しかも優子は一目散にこちらに向かってくる。
「これ、弟の学費なんでしょ? 自分で振り込みなさいよ」
彼女が渡してきたのは一つの封筒だった。
「あ、ありがとう」
お礼を言ったけど、昨晩は優子ちゃんがその封筒をするりと持って行ったのである。とにかく、優子ちゃんははあの魔境(まきょう)から無事で帰ってきたらしい。改めて優子の強さを知ることになったのである。
ただ、彼女は封筒を渡すとすぐに窓際の席にぽつりと一人で移動してしまう。どうやら警戒されているらしい。私も別に優子だけが学友というわけではない。この日を境に私と優子の距離はだんだん開いていくようになった。
(お金取り戻してくれただけでもありがたいけど…)
意外と義理堅(ぎりがた)い優子の態度に少しだけ信頼度が上がるのであった。
その日の夜。睡眠学習装置による特訓初日である。
「特訓中は特に意識はありません」
「それって効果あるん?」
「潜在意識に直接語り掛けるので口で説教するよりは強力ですよ。反射的な反応力も鍛えられますし」
「そうなんや。それで、どんな訓練なん?」
「ずばり、お断り訓練です」
「お断り訓練?」
使い方は簡単である。ヘッドホンをして眠れば良い。ヘッドホンから流れる催眠導入波の影響で深い眠りに誘われ、タイムリープマシンを経由したこの空間で仮想訓練を実施できる。
ここから訓練が始まる。
そこは、大阪駅周辺の地下街。通称梅田ダンジョンだった。しかも、60年後の街並みらしい。
「すごいやん、ここ未来やんな!」
左衛門に語り掛けるようにしゃべってしまったが、ここは訓練世界。大声で独り言をつぶやいたようなそんな状況で、目の前を通る人にチラ見されてしまう。恥ずかしい。
(あんま変わっとらんな。こっち行くとJRやろ?)
町は人通りが多く、少子高齢化をあまり感じない元気な街並みである。よかった、大阪はさびれてないで!
「あの、ちょっとお時間良いですか?」
唐突に声を掛けられる。これは、今の大阪でも同じことを聞かれた気がする…。
「ただいま不動産のアンケートをしておりまして…、少々お時間いただいてもよろしいでしょうか…」
(お断わりの訓練ってこういうことなんか!)
この結果について、私は記憶にないのが残念である。
翌朝。火曜日。三回目の上野のホテルでの朝を迎える。いつもの癖でシャツにパンツのまま窓のカーテンをガッとあけてしまい、近くのおじさんと目が合ったのはとても嫌な思い出である。
「1年のうちは早起きしないとダメな感じ。マジめんどい」
大学一年生用のシラバスが配られ、上期の授業の計画を友達と一緒に立てていた。
「化学科に物理とか数学っていらなくね?」
「そないなことないで。化学やって化粧品作るだけが仕事やないねん。材料分析するときの原子顕微鏡や熱反応の制御ではな、バリ数学や物理が必要やねん」
机を囲う学友たちが、一斉に私を見る。
「玲奈、調子でも悪いの?」
「へ?」
「なんか、いつもとキャラ違くない? そんな強い関西弁キャラだっけ?」
「!!!」
「いつもはちょっぴり訛ってるだけのぶりっ子で可愛いけど、今日はガチでなんか怖い」
「あ、あれ、何でやろう、おかしいなぁ」
これは、睡眠学習装置の影響なのか? その日の夜に左衛門に問う。
「関西弁が濃くなる理由ですか?」
「せや!」
「と言うか、お断り訓練をすると、思ったことを口に出すようになるので、普段喋っている関西弁が出たのでは?」
「いや私、河内(かわち)弁(べん)なんてよう使(つか)わんもん。かわいいは正義。せやから濁点(だくてん)は悪やねん」
《おいおい、茨木県民にヘイト向けられてんぞ》
《↑栃木県民に言われる筋合いねーべ! てめーらも濁点ばっかりだろうが!》
《さり気に関東の『~じゃん』とかもディスって行くスタイルの玲奈ママである》
「そうすると、学習装置が貴方に対して提案した可能性がありますね。その、ガチ関西弁って関東の人には怒っているように見えるんですよ」
《確かにちょっと怖いよね…》
「そうなんや。なら共通語になおした方がええんかな?」
《それは、ちょっと待った!》
《玲奈ちゃんの京都弁みたいな関西弁は萌えポイントだからやめないで》
《そのままの玲奈ちゃんがかわいい》
「そこまで言われたら、なおさへん! ちなみに京都やないで。大阪やからね!」
水曜日の昼下がり、みんなでお昼ご飯を食べているとき…に電話が鳴る。
メイコ「もしもし、玲奈ちゃん?」
玲奈「何ですか?」
メイコ「ミケにごはん作りたいんだけど、何かあるかな?」
私は思い出した。そう言えばあの家には三毛猫の先輩がいた。お腹がぶよぶよして、ぼてぼてと歩く猫。野良の癖にデブなので私以外にもご飯をもらっていると思うけど、お腹を空かせているなら可哀想である。
玲奈「それなら、キッチンの棚に缶詰ありますよ」
メイコ「あーほんとだ。じゃ、焼きそばか何かに混ぜて出しとくね」
メイコさんはそのまま通話を切ってしまう。猫に焼きそばは流石に食べさせすぎではないだろうか。あと、塩辛いから体に悪いんやない?
(三毛猫先輩にはお家奪還したらちゃんと健康的な生活させへんとな)
木曜日のこと、特に特訓の話も聞くことがなくなったので、普通に左衛門とトークすることになった。
彰「今日は、玲奈ちゃんが聞くよ! 未来人に質問のコーナー」
これは、台本の通りお話すれば良いだけのお仕事である。一応、借金返済のために視聴数稼がないとあかんでな。
精神が無事なパラレル世界の私はけっこう貴重らしく、持ちまわりで番組に参加することになったのである。過去の人である私たちに、未来人が未来の進んだテクノロジーを教えてくれるという。番組の趣旨としては、過去の人間にいろいろ教えてあげることで未来人としての尊厳を刺激する狙いの、未来人自己満足型教養バラエティーである。
「はい、左衛門。さっそく質問ですバタフライエフェクトって存在しはりますか?」
バタフライエフェクトとは、時間(じかん)遡行(そこう)系(けい)SFでは有名な言葉であり、過去に戻って行われたわずかな変更が結果的に未来を大きく変えてしまうことを言う。蝶(ちょう)の羽ばたきによって起こされたわずかな風が、やがて台風を起こすような大きな影響を及ぼすという比喩(ひゆ)が名前の由来である。
「はい、もちろんありますよ」
「なら、それ使って私の運命変えられへんかな?」
左衛門たちが与えた私の人生への影響。微々たるものかもしれないけれど、それがバタフライエフェクトで増幅されて運命から逃れたりせえへんかなとは思った。
「運命を発散させる力は台風、運命を収束させる力はブラックホールですのでちょっと」
「運命を収束させるブラックホール?」
ブラックホールは宇宙の特異点。巨大すぎる質量によって空間に穴が開いたようになってしまった場所のこと。つまり、運命の束縛する力は強すぎるのだ。
「例えば、赤ちゃんの将来の可能性ってどれくらいだと思います?」
「それは、無限大やろ!」
「そう思いますよね? ある有名なタイムリープ実験があるので、その例でお話ししましょう」
その実験の被験者は、博士自身であり。博士は数百台のタイムリープマシンを同時に使い、一分前の自分を100人集めて連絡を取った。博士はその百人を使って実験したのである。
実験方法は、とあるテーマについてブレーンストーミング(アイディアを発案させることに特化した会議形式)を開催して一人の自分と100人の自分で比較実験を行ったのである。これは複数回実施され、賛同する多くの研究者が協力して、かなり入念に検証された。
そうして、博士はその実験を「想像よりずっと矮小な運命」と名付け、論文を発表した。その後は思っているよりも自分の才能が狭いことに気づいてしまい、夢を馳せる研究者をやめてパートタイム労働者に戻ってしまったという。
「つまり、人の可能性は無限ではなかったのです」
一人の自分のアイディアと、100人自分のアイディアはびっくりするような精度で同じ答えに収束してしまう。もっとバラエティに富んでもよさそうだが、そんなことはない。博士はこの結果を踏まえて、運命はブラックホールにも類似するほど強力な力を秘めていると論文を綴(つづ)ったのである。
「ある子供の人生を追跡調査しても、末は博士でもなければ大臣にもならない。毎回、ぎりぎり食っていける漫画家だった。人生が本当にランダムだとしたらこんなことはあり得ません。人間の可能性というのは分岐の数こそ無限大ですが、発散性はそんなになかったのです」
――未来ある子供たちにどんな教育をさせようと、末は博士でも大臣でもなく、だいたい労働者である。
左衛門の話を聞いている私は悲しい気持ちになった。未来を変えようという話をしているのに、運命は超強いって話聞かされるんやで。机の上のスマホが10時を示し、一緒にハッピーエンド値も表示される。なんか下げ幅増えてへん?
「しゅーん」
「ですが、これは自助努力の話です。第三の人からの干渉によって回避の可能性あがることも証明されています」
「ということは、左衛門が助けてくれるんやな?」
「えぇ、そのための未来の息子です!」
「ほんまありがとう! やっぱ、持つべきものは未来の息子やな!」
後日、玲奈は土下座おじさんと対決し、運命の収束力を思い知るなど知ることとなる。
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