31 優子ちゃんの直筆キルレター


 7月の東京は既に猛暑日の様相を呈していた。


 しかし一方で、私は晴れやかな気分だった。期末テストが終わったのである。大学の並木道を歩く学徒の足取りも心なしか清々しく感じる。


(さて、しばらく東京に残って向井君とのデートを満喫するで!)


 私の恋は順風満帆であった。私たちはどんな死亡フラグにも打ち勝って見せる。そういう気持ちで毎日頑張れるのである。


 しかし、ニタニタしながら歩いていると、急に声をかけられた。


「玲奈、久しぶりね」


「優子ちゃん?」


 珍しい。家を乗っ取られて以来ちょっと距離を開けていた優子ちゃん。しかし、今日の優子ちゃんは相変わらず天使である。清楚な大学生らしい爽やかな服装に、ちょっとあざとい声色。今日の彼女は天使モードである。


 と、思ったけど目つきが違う。人を疑う目つき。大きくも凛々しい瞳が私を見る。そう言えば優子ちゃんに関しては左衛門から注意されていた。


「ねぇ、玲奈ってミスコン出るの?」


 正にその要注意ミスコンの話題を優子ちゃんが切り出すのであった。


(ミスコンが優子ちゃんの逆鱗げきりんってホンマなんか…)


「いや、出場せぇへんよ」


 と、軽く断ってすぐに逃げようとした。しかし、優子ちゃんの陰から学園祭実行委員の腕章をつけた男子二人と女子一人の合計三人が登場して、いきなり地面に頭をついて土下座を始めた。


「東金玲奈様。そこを何とか、お願いします!」


「お願いします!」


「いやいや…」


 大学ミスコンと言えば私たちの大学でも有名な風物詩である。特にメディアにも紹介されるほどに重要なイベントであり選考委員も常に必死。全国に知らされても恥ずかしくないような逸材を常に探し歩いている。それが、ミスコン実行委員会! どんな乗り気でない女子学生でもその気にさせてしまう煽て上手な方たちで構成され、狙った獲物は逃さない。恥も外聞も関係なく大学の並木道のど真ん中というこんな人目の多い場所で恥ずかしがらずに土下座を敢行できるほどのエリートスカウターである。しかも、逃げようと後ずさろうとすると、最前列で土下座する女子が私のスカートをすかさずつかんで逃がしてくれない。


「お願いします。出場してください」


 困り果てる私である。優子ちゃんに助けを求めようとして視線を送る。しかし、優子ちゃんはじっと私を見るばかりで、何もしようとしない。私は左衛門に言われていたことを思い出す。


「良いですか母さん。堂野優子はあなたを試します。本当に参加しないと固くちかえるか、あなたを試す状況に追いやります。ですから、その時は土下座おじさんとの対決を思い出し、心をおににして断り続けてください」


 ここは、心を鬼にしなければならない。これは申し訳ないが、未来の息子のためではない。向井君と私の平穏のためである。


「お願いします!」


 そして、私はこの言葉に4時間耐えた。同じ場所でずっとしつこく付きまとわれ、陽も完全に落ちて暗くなっている。そして、そろそろお互い体力の限界であった。


「玲奈って思っているより頑固なのね」


 優子ちゃんは結局、4時間にわたって私を見ているばかり。助けてくれなかったけれど、戦いの終わった今はいい笑顔だった。どうやら私は優子チェックをクリアしたようである。人を試すのに4時間も費やす優子の疑り深さ…。しかし、逆にそれを乗り越えたことで私は信頼を得たのである。


「ね、ファミレスで良かったらごはんいかない?」


 そして、誘われた。なんと優子ちゃんのおごりである。それで、優子ちゃんと一緒に入ったお店は庶民に愛されるイタリア料理のレストラン。


 注文用紙にてきぱきと書き込む優子ちゃん。どうやら、優子ちゃんお勧めメニューがあるらしい。そうして届いたのが恐ろしく安いドリアであった。


 目の前の優子ちゃんは「フーフー」とドリアを冷ましながら黙々と食べている。不味くはないらしい…。ドリアをスプーンで少しだけすくって、恐る恐る口に運ぶ…。


「あ、おいしい!」


 私、東金玲奈はお金持ちの家に生まれたセレブです。高級料理と称して無駄に高いものを良いものだって食べさせられてきたけれど、最近、それは庶民たちの搾取さくしゅなのではないかと思ってきました。


「それで、お願いがあるんだけどさ…」


 優子ちゃんはようやく本題を切り出すのである。


「その、ちょっと玲奈の部屋貸してくれない?」


「えっ?」


 私が意図的に忘れていた嫌な記憶を思い出した。我が家を何者かが占領し、死ぬような思いをして部屋から逃げ出し、更に行く当てもなく明朝みょうちょうの都内で彷徨さまよった記憶。口の中が何か酸っぱい味に変わった。


「そんな顔しないでよ。ああいうことはしないから」


「なら、どないするん?」


「ちょっと内職ないしょくをしたくて」


 優子ちゃんの家は貧乏である。歳の離れた弟がたくさんいて、みんなを大学に入れようとすると、けっこうお金が必要である。それで、アルバイト代わりの内職がしたいのだという。優子ちゃんは自販機のばねを加工する様子の写真を見せてくれた。


(4畳半の部屋って本当に人間が住めるんやな…)


「家だと集中できないし、どこか場所を借りたらそれこそ割に合わないのよ。私一人だけだからお願いします。契約書も書くから」


「そういうことならええよ。せやけど、また占拠しはったら…」


「怖い弁護士と特殊部隊でも雇うって? メイコちゃんから聞いたわ」


 どうやら、私の戦力は知っているらしい。ほんと、武力って人を平和にするんやな。それをわかっているなら計算高い優子ちゃんがこれ以上リスクを冒して何かすることもないだろう。そう思った私はようやく快く部屋を貸すことにしたのである。


「それで、いつがええの?」


「明日から良いかな?」




 ということで、翌日には優子ちゃんが部屋にやって来るのだった。私は部屋でスマホをいじり、その向かい側で優子ちゃんは内職セットを広げ始める。


「どんな内職しはるの?」


「手紙の代筆よ」


 先に聞いていた自動販売機のばねと比べるととっても素敵なアルバイトである! 私も優子ちゃんの直筆のお手紙欲しいかもしれない。


 しかし、この代筆のアルバイト。とても不思議である。何かおかしいのだ。優子ちゃんは代筆作業をするときに、埃が落ちないように長い髪を束ねてまとめており、更にクリーンルーム用の作業着と帽子をかぶりマスクまでつけている。だけど、私の部屋は家政婦さんが掃除してくれるとは言ってもクリーンルームではないのでもともとほこりが飛び交っている。だから、その防塵ぼうじん対策は意味があるのだろうか。


「ちょっと、便せん並べるの手伝ってくれる?」


「ええよ」


 と、並べ終わってから気づいたけれど、優子ちゃんは綿の手袋をして指紋が付かないようにしているのだけど、私は便せんを素手で触ってしまった。


「あ、指紋…」


 だけど、優子ちゃんは…


「別にいいよ。誰か見てるわけじゃないし」


 と、全く気にしていなかった。防塵対策に厳しいならあとで怒られてしまうのは優子ちゃんであるが本当に大丈夫なのか心配になった。


 そして、優子ちゃんは静かに一枚ずつ直筆の手紙を書き始める。私は手紙の中身が気になってしまったが、優子ちゃんは衝立で隠して見せてくれないのだった。


「ごめんね、プライバシーに関わるのよ」


 カリカリと万年筆の音がテーブルを伝ってくる。そして、書き終えるとインクをドライヤーで乾かし丁寧に折りたたんでから封筒に綴じるのである。そして、紅い蝋燭ろうそくろうで綴じて、薔薇ばらのスタンプで刻印される。私ももらったことないようなお洒落なお手紙。いったい誰に届くのか気になって仕方なかった。



「あー、終わった! 今日はありがとう。おかげで全部終わったわ」


 優子ちゃんは3時間ほどかけて20通の手紙を書き終えた。


「これくらいなら、全然ええよ」


 そして、手紙の代筆で生じたいくつかのゴミを優子ちゃんは片付け始めた。


「あ、いらないなら置いて行ってええよ。捨てとくから」


「そう? ならお言葉に甘えてお願いするわ」


 しかし、私の違和感が最高潮に達したのはこの片付けのときであった。便せんを彩るための色紙に混ざって一つ不穏なものを発見する。


 安くて薄いカミソリの袋が沢山あったのである。


「あれ、こんなにたくさんのカミソリどないしたん?」


 しかし、優子ちゃんはニコニコ笑っている。


「ふふふ。見てしまいましたね」


 それでいて目つきはマジ。端的に彼女の様相を説明するなら、私がこれ以上何かを聞いたら口封じされそうな空気である。


(これ、やばないか?)


 今までの優子ちゃんは私の目の前でカミソリレターを作っていたのだ。私の部屋で作り、自分は防塵対策することで痕跡を消して証拠を隠滅。一方で、万が一事件になった時は物的証拠となる手紙には私の痕跡がべったり付いている。やられた。このままでは私が犯人に仕立て上げられてしまう。


 セキュリティーを今から呼んでも間に合わないだろう。私は成す術なく優子ちゃんを解放することになった。やはり、二人きりになるべきではなかったのだ!


 た、助けて左衛門!

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