32 ジョージ、今助けるぞ!


 狭い4列シートの夜行バスが速度を落とした。どうやら、高速道路を降りたらしい。メイコが目覚めると、カーテンの向う側は既に明るくなってきていた。


従業員エンプロイー・ジョージをエンジョイ・ジョージに戻してやる」


 リュートによれば、ジョージは今パン工場でアルバイトをしているという。パンに挟まるトマトの有無をチェックする仕事は過酷かこく。衛生的で真っ白な工場の中で、8時間中1時間の休憩しか与えられず、流れてくる膨大なバーガーのトマトを無尽蔵むじんぞうに確認しなければならない。


 バスを降りてすぐ、リュートは歩き始める。ジョージとケンジの住むアパートに向かって。


「メイコ、奴らの朝は早い。急げ!」


「は? まだ5時半だよ?」


「何を言っている、ここから目的地まで10キロあるんだぞ? のんびりしてたら奴らの出勤時間に合わない」


「は? いま何キロって言った?」


 朝だけど、もうセミがミンミンと鳴いている。早朝だとして日本の夏は暑かった。道半ばでもメイコは既にくたくただった。自動販売機で100円の水を買い、飲もうとするとリュートが横からボトルを奪い飲んでしまう。たった一口で半分くらいまで減っていた。


 歩くこと2時間半。目的のアパートの前で張り込むリュート。狭いアパートに二人で暮らすジョージとケンジがついに顔を出す。


「ほらメイコ、奴らが如何に酷い生活を送っているか見るがいい」


 そのまま、工場へ向かう二人。作業服であった。


 そのまま尾行を続け、工場の向かいにあるファーストフード店にお邪魔して様子を見ることになる。


「あ、俺はポテトLとコーラな」


「いや、払えよ!」


 メイコはポテトSと照り焼きバーガーとカフェラテを注文する。リュートには水を持ってきたやった。


「注文と違うじゃないか!」


「いらないならあげないけど?」


 そう言うとリュートはポテトSの袋を持ち上げ口に一気に流し込む。


「なっ!」


 リュートは一口でポテトを平らげてしまう。しかも、張り込みと言ってファーストフード店に来たけれど、ここから工場の中は見えない。当たり前と言えば当たり前である。この状況、ぶっちゃけリュートにポテトを恵んでやっているだけであった。


 ただ、昼休みになると従業員が工場の庭や食堂に顔を出すようになる。


「ほら見ろ、ジョージとケンジは水だけしか飲んでないぞ!」


 リュートはアルバイト生活の悲惨ひさんさを嬉々として訴えるのであった。


「そんなにお金ないのかな?」


 と、しばらく様子を見ていると、バイト仲間と思われる女の子たちが二人を取り囲み始めた。なんと手作り弁当を広げてみんなでつまみ始めるのである。


「なんだ、思ったより楽しくやってそうじゃん」


「勘違いするな! あれはひもかつの一つだ! ああやって女から飯を恵んでもらうことで飢えをしのぐ。紐としては最後の手段だ」


 と、リュートの紐理論講座が始まるのである。しかし、しばらくするとジョージたちは何やらチケットのようなものをみんなに配り始める。


「あれ? もしかしてバンド再開してる?」


 かつて、ジョージとケンジは二人でバンドをやっていた。かつては熱心に取り組んでいて実は固定のファンもいたのだけど、リュートがバンドに加わってから完全に形骸化けいがいかしていた。ビンテージギターは質屋しちやに入ってお金に代わり、ジョージもケンジも楽器なしで音楽活動を続けるまでに没落ぼつらく、その代わり女性たちからお金をもらって生活するすべをリュートから学んだのである。


 昔を思い出したメイコは、久しぶりに彼らの歌を聞いてみたいと思う。それくらいには彼らの歌声に魅力みりょくがあった。


「あれは、チケットに見えるがチケットではない」


 メイコの思考にリュートが割り込む。


「じゃぁ、なに?」


未公開みこうかいかぶ詐欺さぎのようなものだ。いつか夢を叶えたらお前が最初の客だからと言って、ただの紙切れを現金に変える。紐テクの基本だ。俺も小銭がない時によくやる」


「ふーん、でもなんかいろんな人に売り始めてるよ?」


 ジョージとケンジは弁当を食べ終わると、チケットのようなものを近くの従業員たちに売り始める。お金のやり取りを見る限り、一枚1000円くらいで販売しているらしい。


「あり得ない! あいつ、紐活の基本である狭く深くを捨て、禁じ手と言われる広く浅く活動しているのか?」


 世界には良い紐と悪い紐がいる。広く浅く活動する紐はリュートにとって悪であり、正すべき相手らしい。リュートはなぜか紐らしからぬ行動に心を痛める。他人から搾取さくしゅして、ノーワーク・ゲットマネーがモットーの彼にとっては全ての労働者が奴隷。アンチ・ノブレスオブリージュを貫く高貴な紐であるならば薄利多売なんていう奴隷みたいな商売をしてはいけない!


「ダメだジョージ。今ならまだ戻れる!」


 リュートはこんなところで謎の正義感を開花させるのだった。


「やはり、基本から説き伏せねばなるまい」


 だから、工場の操業そうぎょうが終わる17時まで待つことになった。


 そして、リュートは工場の出口、それも守衛さんににらまれるような場所に仁王立ちしてジョージを待っている。出てくる従業員の人たちみんなから「やべーやつら」がいるって顔をされるような場所である。


 そして、待つこと15分。


「へい、ジョージ&ケンジ」


 彼らは一瞬びっくりする。襲うはずだった赤ずきんが重機関銃で武装していた時のオオカミみたいな顔をしていた。


「あ、あぁ…リュートとメイコ」


 メイコは強引に付き合わされている感を頑張って漂わせる。こんな頭のおかしいやつの仲間だと思われたらお嫁どころか就職もできなくなりそうだったから。


「お前ら、ちょっと付き合え」


 そう言ってリュートは朝から8時間にわたり占拠していたファーストフード店にまた戻る。そして、店員さんにめっちゃ嫌な顔されながらスマイルと水を注文する。


「久しぶりだな、リュート。元気だったか?」


 リュートは黙って話を聞く姿勢だった。おそらく彼の魂胆こんたんとしてはジョージからエンジョイできなくて辛いって言葉を吐き出させ、また、東京へ連れ戻すつもりなのだろう。


 しかし、ジョージは楽しそうに答えた。


「俺は人生で今が一番充実しているかもしれない」


 楽しそうなジョージを見てリュートの眉間みけんにしわが寄る。


「ジョーちゃんもしかしてバンド再開したの?」


「あぁ、それもスポンサー企業付きだ!」


「めっちゃすごいじゃん!」


 メイコとジョージとケンジ三人でパチーンと手を合わせた。


「リュート。聞いてくれ、これは俺たちが見つけた新しい紐理論。従来の常識を打ち破る新紐経済圏構想だ!」


「新紐経済圏だと?」

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