第08話 汗水垂らして働く喜びを

30 メイコのお部屋

 

 古い倉庫に取って付けたようなベランダがある。そこに置かれた洗濯機がガタガタと勢いよく回り脱水をかけていた。洗濯機が揺れるとその振動が部屋まで響き、薄いトタン屋根と一緒に部屋中にもうすぐ選択が終わる知らせを届けてくれるのである。


 メイコの部屋にはだいたいこの時間になるとやって来る客がいる。


「にゃー」


「ミケちゃんちょっと待ってて!」


 メイコは小さなキッチンに立ちスーパーで買ってきた二人前の焼きそばを炒めていた。野菜多め、味付けは濃い目。その二人前の焼きそばを二つの皿に分ける。そして、一つは部屋のちゃぶ台に置き、もう一つには鰹節かつおぶしをたっぷり乗せてから脱水中の洗濯機の上に置いた。


「ミケちゃん、できたよ!」


「にゃー」


 天井から雨どいを伝ってするりと降りてくる影。ぬるりと顔を出したのはやせた男である。彼は自称、びとミケ(三毛みけ恒造こうぞう42才)である。


「ミケちゃんごはんだよ!」


 ミケと呼ばれた男は洗濯機の陰から顔を覗かせる。そして、メイコの焼きそばをしばらく見つめた後に手づかみで食べ始めたのである。そして、食べ終わると、爪楊枝つまようじで歯の掃除をしてから、ニャーと声を出してまた屋上に消えていくのであった。


 ミケが軽やかに雨どいを伝って倉庫の屋上に登って行く。そして、姿勢を低くして四足歩行で屋上をスタスタと軽やかに歩き、初夏の太陽をしのげる大きな排気ダクトの陰に戻ろうとする。しかし、さっきまで自分の場所だったマイスポットには先客がいた。


「三毛谷。飯は食ったか?」


「あぁ、食った」


 ミケは、低い声で答える。立っていたのはリュートであった。


「リュート、お前がここに来るってことは悪い話だな?」

 

「そんなことはない。また銀座で暮らしたいだろう?」


 ミケは四足歩行をやめてするりと立ち上がった。やせ細ったあごに毛むくじゃらのひげを生やし、前髪も長く伸びて顔のほとんどを覆う。しかし、髪の隙間からのぞく鋭い眼光がリュートをしっかりと見下ろすのだった。


「ボスに話があるんだな?」


「手はずは任せた三毛谷」


「確約はできない。ボスは気難しいからな」


「リュージ、リュートと双璧を成す二人の龍じゃないか!」


りゅう様に失礼働くなら通さないぞ。とにかく面会のためには貢献こうけんの気持ちが必要だ」


貢献こうけんだと?」


 リュートは考えた。自分が支払えるもの…。リュートはじっくり考えた。自分による貢献とは何か。リュートは自己の魂の声を聞こうと頑張った。


「ないな」


 しかし、諦めてはリュージの協力は得られない。だから、必死に考えた。気温が徐々に上がり、環状八号線を取り囲む雲がもくもくと成長しどんどん高く空に登っていき、南に高く輝いた太陽がほんの少し傾くまで考え続けた。


「やっぱ、ないな」


 人から搾取することしかしてこなかったリュートに支払えるものはない。それが結論だった。


「つまり、貢献とやらも搾取で支払うしかない」


 リュートの見立てでは、玲奈のステータスはこうである。手持ち資金6千万円、じつのパパ活能力1億2千万円、身体価値1500万円×12年。しかし、玲奈というおいしいカモをそのまま反ぐれ組織のリュージに知らせれば、リュートの取り分はほとんどなくなってしまうだろう。それこそ紹介料としてわずかなお金をもらって終わりだ。


(そんなのはお断りだ)


 だから、リュートの脳細胞は活発に働き代案を探す。マネーロンダリングができるなら搾取ロンダリングもできるのでは? 上手く玲奈の存在を隠せるんじゃないだろうか?


 搾り取ることを考え始めたリュートの頭はどんどん高速で思考する。


 玲奈はなんだかんだで尽くすタイプ、都合よく男でもいればそいつを上手く使って、ダミーおぼっちゃまを創り上げて、玲奈という資金源を隠せるかもしれない。玲奈の趣味にぴったりな男を見繕って、イチャイチャさせてホスト気分で貢いでもらおうじゃないか。リュージにはそのイケメンボーイを差し出して玲奈資産の一部はくれてやるとして、俺は協力するふりをして玲奈本体から金を搾取しよう。


「よし、決まった!」


 横で昼寝をしていた三毛谷がいびきで返事する。空はすっかり夕焼け空であった。



「まずは理想的な男が必要だ!」


 リュートには生憎あいにく玲奈の好みに近そうなイケメンのストックがなかった。だから、ここは昔からの友人である彼を頼らねばならない。


「よし、決まりだな!」


 そうと決めたリュートは素早く行動する。屋上に続く階段からすたすたとリュートが降りて、倉庫内の作業場に顔を出す。




 一方で、このやり取りをする下の階。メイコの部屋には、一張羅いっちょうらのスーツ姿で東京まで戻って来た旅人コーダがいた。


「は?」


「その、しばらく泊めてほしくて…」


 旅人コーダがびしっと髪型を決めてから約20時間が経過して、そろそろワックスも重力に耐えきれなくなった頃であった。夏日の熱さの中で上着も脱ぎネクタイも外し、ベルトも緩めてしまったコーダはほぼ普段通りの締まりのない体つきとなっていた。


 一方で困り果てるメイコ。メイコの部屋は6畳一間。大の男が何人も居候いそうろうするようなスペースはないのである。


「いや、マジで困るんだけど」


「一人くらい何とかなるだろう」


 そうやって食い下がる旅人であった。


「あれ、なんか聞き覚えのある声がする」


 しかし、ここに歯磨きをしながら出てくる男が一人いた。プレカリであった。


「マジ、困るんだけど」


 メイコはこの狭い部屋に男二人を居候させるかどうか迷い、プレカリ同様にコーダにも以下の条件を出すことにした。


 メイコのバイトの一つである銅像磨き。これを一体終えるごとに3万5千円を支払うことにしたのである。ちなみに、銅像を一体掃除して出荷するごとにメイコはこの倉庫の大家さんから5万円もらえる。


「いやいや、中間マージン30%とかとりすぎだろ!」


「うるせーよ! 三公七民さんこうななみんだろうが! 日本がずっと温めてきた搾取さくしゅの黄金比だぞ! 文句があるなら他に行け!」


 旅人は舌打ちをしつつ、他に行く場所もないのでメイコにしたがわざるを得なかった。


「3万円じゃなんもできねーじゃん」


「働け! 屋根のあるところで寝たかったら私に従え!」


 旅人もプレカリも考えは同じであった。これなら、地元の生活の方がはるかにましだっただろうなと。


「おいプレカリ、お前もなのか?」


「あぁ、リュートのせいだよ」


 無駄話をしながら作業する二人。それを監督するメイコ。


「ちょっと、それじゃ磨き過ぎ! 適当に手を抜かないとアンティーク感でないでしょ!」


 そんないつもの3人に割って入る男が現れる。


「メイコ出かけるぞ!」


 一言だけ声をかけ、リュートはそのままメイコの腕を引いて強引に倉庫を出ようとする。


「ちょっと、仕事中なんだけど!」


「お前はさっき仕事をアウトソーシングしただろう。だから俺について来い。今なら夜行バスに間に合う」


「こんな時間からどこ行こうってのさ」


「これから、俺はジョージを助けに行く。お前もついて来い!」


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