39 玲奈、死す!
換気扇の回る倉庫に古いブラウン管テレビが置いてある。画質が四半世紀前のクオリティーであるが、大家さんこのテレビをとても気に入っている。メイコは大家さんから伝授された通り、テレビ台に切れのある蹴りを食らわせる。
すると、ようやく画面が映るようになった。
――今日はいよいよクリスマス本番! イブが平日だったので恋人たちとのデートは今日、という方も多いのではないでしょうか? そしてなんと、今夜はホワイトクリスマスになりそうです。関東は夕方ごろから雨雲が広がり夜にかけて大雪になる予報です。しっかりと厚着をして、クリスマスデートを楽しみましょう――
「ヒロインとは悲劇の中にあってこそ輝く。だから今日、あの女の幸せを奪う」
天気予報の声が聞こえないような大声でリュートは力強く語る。
「お前ら準備は良いか?」
メイコは無視して今日も石像を掃除する。
「リュート様、状況報告します!」
今回、秘書役を務めるのは、印象が薄くてリュートに忘れられていた流浪人ケンジである。
ケンジの報告では準備状況は最悪だった。プレカリは二日酔いにより意識が朦朧としている状態。旅人は都内のどこかに消えてしまい消息不明。ジョージは向井君をおびき寄せるためのコスプレをこれから2時間かけて仕上げなければならなかった。
リュートは「ふむ」と首をかしげる。
「まぁ、あとは何とかしとけよ」
ケンジは改めてアウトソーシング(要するに下請け)のつらさを思い出すのだった。
朝、玲奈はまだ暗い時間に目が覚めた。
辺りはまだ暗いけれど、空は星が消え始め少し明るくなり始めているようなそんな時間に玲奈は左衛門にメッセージを打ち込む。
「今日は向井君とクリスマスなの。だから、お祝いしてね!」
クリスマス。家族でお祝いをすることはあったけれど、本当に特別な日になったのは私の人生で初めてである。待ち遠しくて、夜明けが来るのを眺めていると、左衛門から連絡が来る。
「おめでとうございます。またスタジオで
事情の分かっている息子にどんな話をしようか。私の自慢したい衝動は朝から高まるのである。
長い時間、私は今日までのことを話していた。それを黙って聞いていてくれる左衛門。今日の私は最高に幸せである。つまるところ私は玲奈史上最も幸せなのである。
メッセージで私の自慢を続けていると、空はいよいよ赤く染まって光が満ち、やがて、ゆっくりビルに反射した二つの太陽が手を取り合って昇っていく。その様子が眩しくて私は目を細めた。いつもよりちょっと気合の入った服で私は今年最後の授業に出かける。
もう授業も消化試合である。普段は陰気な先生がなぜかテスト範囲はサラッと教えてくれる。なぜかいつもより輝いている。
(きっと、先生もいいことあるんやろうね)
幸せ者としては、幸せのおすそ分けは必要だろう。しかし、気がかりが一つあった。
(今日は向井君の姿が見当たらない…)
向井君は
(何してるんやろう…調子悪いんかな?)
そして、浮かれ気分の私が思い至った結論は…
(もしかして…、サプライズの準備かな!)
そう思った私は、本日私のために頑張っている向井君のためにもしっかりノートをとった。向井君が私のために頑張っているのであれば、私も向井君のために頑張らねばならない。これくらいしかできないけれど、私は今、とにかく最高に幸せ。
これから私にどんな苦難があっても耐えられる!
我ながらやたらポジティブになった精神性については感動すら覚えるほどである。自己肯定感が人生の幸せに影響するとは言うけれど、まさかここまで批判(架空)に対する耐性が付くとは思ってもみなかった。
ひとまず、何も知らずに心配しているそぶりを見せておこう。
「今日は授業どないしはったん? 体調悪いんか?」
こういうところがあざといと言われるのかもしれないけれど、向井君は私のために準備してくれているのだ。なら、しっかりと知らなかったふりをして
「ぜぇ、はぁ…。ぜぇ、はぁ…」
一方、ジョージは急いでいた。作戦のために向井をおびき寄せておかねばならない。今日は朝からめちゃくちゃ寒いというのに、息を切らせて目的地に走っている。
「あ、内藤先生。そんなに息を切らせてどうしたんですか?」
「んげ!」
予想外の場所で向井に出くわしジョージは困惑する。
「?」
ジョージは困りつつも協力が欲しそうな顔をして、向井をこのまま作戦に巻き込もうとたくらむ。何か弱みや隙を見せることで、相手の追及欲求を刺激してこの案件に誘い込む作戦を思いつく。
「あぁ、いやその今は非常事態で…」
しかし…、向井はジョージと違ってパリピではない。他人のプライベートは最大限配慮して干渉してこないタイプの人種である。
「あっ、お時間ないならお構いなくです」
故に向井は立ち去ろうとした。ジョージは慌てる。これだからクール系陰キャはダメなのだとパリピ代表としてお説教してやろうかと思ったが、そんなことをしたらせっかく
「実は困っていて助けてほしいんだ!」
陰キャはこれでも嫌がるやつが多いけど、どうだろうか?
「あ、そうだったんですね。僕でよければ協力しますよ!」
(なんやこいつ、イケメンやんけ…)
そんな感想はわきに置き、とにかくジョージはこの向井を目的地にうまく連れ込まなければならない。
「実は私の娘が誘拐されそうになっていて」
「じゃあ、僕は警察呼びますね!」
すぐさまスマホを取り出し110をダイヤルする向井。
「ちょっと待ったー! 警察に通報したら爆発する爆弾が仕掛けられていてだな!」
「先生、それ脅しですよ。どんな原理でそんなことできるんですか?」
(これだから理系は!)
「いや、その、警察が動いていると発覚すると娘を殺されそうでな!」
ジョージはいろいろ説明して何とか向井が通報するのを妨げることに成功する。
「とにかく、取引現場に一緒に来てくれないか?」
「わかりました、先生がおっしゃるなら」
玲奈は「…」スマホに視線を落とす。
(既読、つかへんなぁ…)
きっと、向井君は忙しいのだ。何せ、向井君は私のために頑張ってくれているんだから。ネガティブになるとそれだけで幸せ逃げるって言うし。
「よし、今日は楽しもう!」
私はうっかり声に出す。周りの視線を一斉に浴びてしまう。
「どうしたの急に?」
「あ。なんでもないです」
この程度の不幸で今の私がへこたれると思うなよ!
さて、今年の授業はもう終わり。大学の廊下の先にはクリスマス色に染まった町が待っている! 約束までちょっと時間があるからいつもの喫茶店に寄って、お化粧室借りよう。綺麗にせねば!
18時55分。
この時まで、私は心で鼻歌を歌いながら、気持ちでスキップしていた。待ち合わせ場所に到着する。いつも向井君は先に待っていて、ちょっと早めにデートを始めるのだけれど、今日はまだ到着していないようだった。
(珍しいなぁ…)
立ち止まると肌を突くような寒さ。にぎやかな街でも息は白く凍り、そして、恋人たちの祝福でもするように雪が降り始める。
(なんだかいい雰囲気)
しかし、それからしばらく待ち続ける。時刻は19時25分となっていた。
(遅いな…)
返信どころか既読もつかないメッセージ。疲れたので他の恋人たちが温めていたベンチに一人で腰かけた。
不安の募るまま、積雪は深くなる。
それから、かなり時間が経過したと思う。
「学生ですか? こんな時間にどうかしましたか」
眩しい懐中電灯で照らされて目が覚めた。警察官に声をかけられてはっとする私。時刻は24時を過ぎていた。
「ごめんなさい。もう帰ります」
「電車止まってるところもありますから、気をつけてくださいね」
「大丈夫です。歩いて帰れます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます