40 喪失


 水をたくさん含んだ雪は、コートをずっしりと重くして、一歩踏み出すたびに靴の中で水が虫みたいにうごめいた。かじかんで感触がなくなった手の感覚。水で濡れてぺったんこになった髪も何もかも今はどうでもよかった。


 なにせ、今の私にぴったりの衣装だから。


 そのまま、家の廊下にびちゃびちゃの衣装を脱ぎ捨てて。シャワーを浴びながらこっそり泣く。水が涙を拭い、音がわめき声をごまかしてくれるだろうから。




 散々泣いた後、裸のまま体中から水滴をぽたぽたと垂らしたままリビングへ向かう。本物の絨毯は水をよく吸ってくれるもので、濡れるとふかふかの絨毯がぺたりと、私の足の形に沿って跡を残す。そのままの勢いでソファーに倒れこむ私。


 私はようやく、ビービーと警報を鳴らすスマホに気が付いた。


 そう言えば、ハッピーエンド・インジケーターなんていう私の幸せが終わる瞬間を知らせてくれる便利な未来の技術があった。あともう数時間だけでも反応が早ければ。ちょっとは悲しみが和らいだと思うのに。




 通知をスライドして向井君から連絡がないか確認してみる。でも、友達の他愛もないやっかみはあっても、本命のメッセージが入っていない。


(もしかして何か事件にでも巻き込まれている?)




 時間は12月25日の昼ごろにさかのぼる。


「向井君、あいつらだ」


 ジョージは無事に待ち伏せポイントに到着した。大都会のはざまの裏路地にはがらくたが山のように積まれており、一人のゴスロリ衣装の少女風20代女子とそれにおそい掛かっているように見えなくもない、酔っ払い二人。


 ジョージは厳しいと思いながらも、頑張って演技を続ける。もし、変な嫌疑をかけられてもフラッシュモブの練習をしていたと言い訳すれば通じそうだったから。


「き、貴様ら私の娘を返しなさい!」


「…」


 プレカリはグロッキーで返事をしない。


「明美ちゃん…、どうして…リュートには優しいんだ?」

 

 旅人も何か傷心するような言葉を吐いて魂がここにない。


 そんな堕落した二人を両腕で支えるようにメイコは


「た、助けてー」


 と、へたくそな演技をする。ジョージは思った。作戦は失敗であると。しかし、振り返ると向井の姿がなかった。


(逃げられた?)


 かと思ったが、向井は女神像の陰から顔を出しながら小さな声で語る。


(そ、その子を話すんだ!)


 正直、まったく男らしくはないが、それでも勇気を振り絞ってへたくそなフラッシュモブに乗ってくれているのだろうか? 


「お、おう。彼の言うとおりだ。早く解放してくれないか」


「う、うっせーこっちは傷心中なんだ! 黙ってろ!」


 旅人は嚙み合っているようで噛み合っていない話をするが、この状況ではそこまで違和感はない。


「向井君、二人で一斉にとびかかろう!」


「は、はい!」


 ジョージは向井を物陰から引きずり出し、どんと背中を押す。


「え、えぇぇぇ!」


 動揺する向井に対して、メイコは両腕で支える二人の男を向井に向かって投げつける。ひょろ長いプレカリで足を止めて、重量級の旅人で仕留める二段構えであった。


「うげぇ!」


 イケメンらしからぬ断末魔だんまつまを上げ、向井は確保されるのであった。



 倉庫の裏側から歩いてくるリュート。


「いや、よくやった。後はこいつを24時までに龍志に届ければ 任務完了だ」


 メイコが近寄ってきて、ジョージに耳打ちする。


「これ、目覚めたらなんて説明するの?」


 間接的にだとしても、暴力をふるってしまったメイコにはそれなりに罪の意識があるらしい。


「そりゃ、フラッシュモブ練習中の事故だろうよ」


 そして、ジョージの考えた言い訳に対して、メイコは妙に納得した顔をするのであった。


「お前ら、無駄話してなくていいから運ぶ準備しろよ」


 二人はプレカリが用意してきた麻袋あさぶくろに向井を詰め込んで、車に乗せる。


「それで、目的地は?」


「とある工事中のショッピングモールまで行く」


 ワンボックスのハンドルを握るケンジは、一度ははっきりと頷く。だが、


「で、住所は?」


「…」


 リュートの返事はなかった。




(私の何が悪かったんだろう…)


 反省すべき点はよくわからない。向井君はいつも優しくて笑顔だったから楽しんでいたのだと勘違いしていただけかもしれない。


(どうしてこんな日に…)


 ショックすぎるとどうしても思考がネガティブになりがちである。初夏から今まで楽しく過ごしてきたと思っていたのに、どうして今更気持ちが離れてしまうのか?


(これも全部私のため?)


 もしかして、向井君は私を不幸にするための刺客しきゃく? 狙ってやったの? 他人に自宅を占拠されるという、ありえないようなことが入学早々にあった。東京ではこれが普通なのかもしれない。


 そう考えると、私の好みのドストライクな男子が都合よく登場するのもおかしい。人生なんてこんなに都合よくできていないはずなのに。


(やっぱり、私を貶めるためだったの?)


 ネガティブなことを考え始めると、負の連鎖は止まらないものである。今までは未来に対する希望が私の気持ちを押し上げてくれていたのに、そんな気持ちがなくなった瞬間、私の心は今まで通り、結局のところ。今回の私も運命には抗えなかったのである。


(左衛門になんて説明しようかな…)


 きっとがっかりするんだろうな。なんだかんだ支援してくれてたから。困ったときはなんだかんだ助けてくれてたし、我ながら良い息子を持ったものである。いつもだったら私の不幸を察知して駆けつけてくれて、連絡くれるころだしね。


 ふと、左衛門がいるんじゃないかと思ってスマホの画面を眺めてみる。真っ暗にブラックアウトした画面。やっぱり、助けてはくれないのかな?


 と、思うじゃないですか?

「あ、母さん。ようやく気付きましたか?」


「さ、左衛門!」


 涙があふれてくる感動の場面。やっぱり持つべきものは未来の息子である。


「あのね、左衛門。今日は…」


「あの、母さん。事情は知ってるので説明は割愛かつあいしてください」


「あ、うん。そうだよね」


 左衛門は未来人。大体のことは把握しているのである。こっちはショックだったのでちょっとはお話聞いてほしいのだけど…。


「それで、裸だと録画できないので服着てもらっていいですか?」


「あ…」


 私はスマホを放り投げて急いで服を探すのである。


 なんだか、こういうあわただしい雰囲気って左衛門との出会いを思い出してちょっと懐かしくないですか?

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