35 向井君に近寄る影


 リュートはアンティークのソファーに足を組んで深く座り肘をつく。まるで、この倉庫の帝王のようである。


 対するジョージはリュートの前で床に正座して跪いて、更に地に頭を付け、帝王のお目通しを待っている。


 リュートという男は一円もお金を払っていないのにこの倉庫を支配した。


「それでジョージ。適当な奴は見つかったか?」


 リュートは玲奈を揺するための適当な男を探していた。その男探しをジョージにさせるためジョージをここに呼びつけたのである。


「それが、そのですね…」


 いかにも言い訳を始めそうなジョージのしゃべり出し。視線を泳がせる挙動不審きょどうふしんな態度。従業員エンプロイージョージからエンジョイ・ジョージに戻ったジョージに輝きはなかった。


「言い訳ではなく、あの女の存在をリュージから適当に隠しつつ、それでいてあの女を篭絡できそうな男を連れてこいと言ったのだ。出来ぬのならまた…」


「いや、違うんです! これは…」


 おどおどするジョージ。まるで自分の失態を上様うえさまに詫びているようで、情けないことこの上ない。この状況を見たら誰もが、ジョージは無能で、リュートが有能に見えてしまうだろう。ここに、無能な上司が部下の仕事を応援しない理由がわかる。激励げきれいして仕事を前に進めて有能さを示すより、わざと失敗させてののしるほうが誰にでもできてマウントがとりやすいのである。


 けれど、実際はリュートがいなければジョージたちは自分たちで音楽活動をして商業化までこぎつけている。だから、本当はリュートなんて見限ってしまえば良いのである。この様子を横で見ているメイコは情けないと思いつつ、このリュートというしょうもない上にやたらしつこい男をどうにかする手立てが、不思議となにも浮かばないのであった。


 こういうジョージとリュートの問答はしばらく続いた。


「だから、用意する必要はなくてですね」


「男を用意せずにこの作戦は始まらない。早く用意しろ」


 相変わらずのリュート。それに対してジョージもジョージでどうしてこんなに言い訳を続けるのか? メイコはだんだん不思議になってきた。


「ジョーちゃん。もしかして予想外の事態?」


「そうなんだ、調べたら玲奈ちゃんにはもう男がいるみたいなんだ!」


 ジョージはこうやって丁寧に聞かないと話を整理できないくらいに狼狽うろたえている始末であった。


「なんだって? 同業者ひもか?! 早く駆逐してこい!」


「いや、リューちゃん待って。その彼氏の特徴を詳しく聞いてみよう」


「リュートの言っている通りの男だ。色白、長身でスリムな男だよ」


 その報告を聞いてより難しい顔をし始めるリュート。


「何だと? 俺と同じことを考えている組織が存在するのか?!」


 その一言を聞いてあきれるメイコ。やっぱこいつ馬鹿なんじゃないだろうかと、声に出す代わりにため息をついた。


「あんたみたいなやつが他に居てたまるか! 普通に彼氏なんじゃない? 利用しちゃえばいいだけでしょ」


 メイコは今では玲奈にそれほど恨みはないけれど、このリュートという厄災を跳ね除けるためのスケープゴートになってもらおうと思っていた。そうでなければ自分が不幸になりそうだから。


「なるほど、同業者ひもの用意した間者を逆に利用するってことだな? わかった、行ってこいジョージ!」


 そうしてアゴで使われるジョージなのであった。本当に今のジョージはエンジョイしているのだろうか? 名ばかりエンジョイ勢になってないか?




「おい、ミケ」


 そして、次の手下がやって来る。メイコが飼っている野良人のミケであった。


「どうしたリュート」


 メイコは驚いた。いつもは愛らしい鳴き声のミケが低い声を出している。その細い体のどこからそんな声が出ているのか? それよりも、むしろ、ちゃんと喋れるじゃん! という感動が勝った。雨に打たれ道端に捨てられているときからかたくなに猫のふりをしていたミケであるが。それに付き合っているうちに、いつの間にかメイコは本当にミケのことを本当に猫だと思ってしまっていた。


 普段はどこにいるかわからないけれど、ご飯の時間になると「ニャー」と鳴いてねだって来る様子を数年間も見続けているうちに、本当の猫だと思い込んでいたのだ。


 だから、メイコにとっては、ミケがしゃべった衝撃は普通の猫がしゃべったのと同じくらいすごいことに思えたのであった。


供物くもつができた、リュージに合わせろ」


「本当だな? まぁ、良いだろう」


 だから、メイコはこの二人の会話の中身に神経が向いていなかった。龍志りゅうじ、この近隣では少しだけ有名な反ぐれ集団のリーダー格である。


(流石に、そんなヤバいやつの話じゃないよね…)


 この時のメイコはミケがしゃべった驚きで頭がいっぱいだったのだ。




 龍志と反ぐれ組織のつながりはかなり長い。もともとは非行少年の集まりだった。しかし、誰よりも龍志はつっぱり続け、皆がいつの間にか真面目に仕事していることに気づいて、つっぱっている自分が格好悪いんじゃないかと諦めかけたときもあったけど、あれから30年以上つっぱり続けたのが彼らである。


「龍志さん、リュートという男がですね…」


「あ? あの紐男がなんだって?」


 龍志がだれかとしゃべるとき、いちいち眉間にしわを寄せ、威嚇するような口調で切り返す。法的にはそろそろ彼らも正式に反社会的勢力の一員になりそうな雰囲気で、組やどこかの党と同じように、まもなく公安委員会によって監視される存在となるだろう。


 それをリュージという男が知っているかは不明だが、近年の彼は稼ぐことが生きがいのようになっていた。自由に動けるのは今がラストチャンスだと悟っているのかもしれない。


「リュートがゆすりに最適な男がいると持ち掛けてきましてですね…」


 龍志の眉間のしわがさらに濃くなっていった。


「あのドケチなリュートが?」


 龍志が疑問を感じるのは当然であった。あまり賢くないリュートだったが、ケチだけでは片付けようのない特殊な行動力を発揮する。特に宿主にしつこく付きまとう寄生能力やお金を吸い取る搾取能力。こういうことをさせれば随一の能力を発揮する。


「そんなやつが急に擦り寄って来るなんてなんかあるに決まってんだろう」


 ミケ経由で届く詳細な情報。


「この男を使って逆美人局だと? しかも、市場は適当にそろえておいた?」


 短いメッセージと気の弱そうなイケメンの画像が一枚送られてくる。


「確かに悪くなさそうな条件だけどなぁ…」


 画面を眺めさらに眉をひそめる龍志。眉間のしわが切り立つように深くなり、両方の眉毛がつながりそうなほど険しい表情になる。ケチなリュートがおいしい話を寄越している。あのドケチなリュートだからこそ龍志は気がかりだった。


 龍志はリュートが自分を騙して何か金を得ようとか考えているのではないかと疑った。龍志は自分が警察に目を付けられていることは知っている。この男をえさにして警察に尻尾を掴まれるようなわなでも仕掛けて報奨金でも受け取るのか? しかし、その可能性は早々にないと踏んだ。警察に協力したところでリュートの望む油田のような資金源にはならない。


「絶対に何か裏がある。それを突き止めてやる!」

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