12 こちら、銀座スカイランドマンション上空①


「さぁ、母さん。脱出してください」


 そんな、左衛門の声が聞こえるようだった。ここは、私の寝室である。隣には謎のパリピたち。


 私はそっとカーテンを開けてバルコニーに出る。


 隣の家は空き部屋。父の経営する物件であるからこの建物のことはかなり把握している。来年には建て替えリニューアルするから。住人なんてほとんどおらず、あれだけ騒いでも実は問題ない。


 そして、今は彼らが騒ぐほど私の逃走用の物音が消えて有利な状況である。ベランダを移動する私の物音が静かになるから。


 黒いロングスカートをまくり上げて、引っかからないよう縛ってまとめる。今の私。高校生の時よりミニのスカートである。


 リビング前のベランダをササっと通過して、私はエアコンの室外機を踏み台にしてバルコニーの手すりに登り、スリッパを隣の家のバルコニーへ投げ込む。


 そして、手すりの上に立ってフェンスにしがみつきながら隣の部屋のバルコニーに侵入する。高さ10階のマンション。二つの白い足の間から人で賑わう町の様子と歩道を歩く人が良く見えた。


(誰も上を見上げませんように!)


 スカートなんて着てこなければよかった。ビル風が吹き上げて布地をはためかせ、ほぼ丸見えであろうおしりを伝わってお腹に風が入ってくる。けど羞恥心よりも恐怖心が圧倒的にまさった。一歩一歩足を動かして、ようやく隣の部屋のバルコニーに入ったころである。


 ジョージ「玲奈ちゃーん? 意識ありますか?」


 と、寝室に呼び掛ける声が聞こえた。その次の瞬間には


 プレカリ「鍵かかってるぞ?」


 優子「うそでしょ?」


 すでに私の異常に気付き始めている連中。


(早くしないと…)


 メイコ「まぁ、それよりこっちのお金どうする?」


 優子「それ、人としてやってはいけない領域じゃない?」


 ジョージ「何言ってんだよ優子ちゃん。もう俺ら共犯だろ?」


 優子「ちゃんとばれないんでしょうね?」


 ジョージ「大丈夫、あの子めっちゃトロいから。リュートのそういうかんは当たるんだ」


 私は、そういうはなしごえを聞いて、心底しんそこ左衛門に感謝した。たったの10万円で逃げる時間をかせげるのである。やっぱり、持つべきものは未来の息子である。それにしても、リュートさんは今日ここにきていないけれど、何かこの件に関係があるらしい。


(まぁいいや、とにかく逃げよう)


 私はまた、バルコニーにあるエアコン室外機に上って非常階段を覗く。そして、今気づく。なんと、非常階段には鉄格子がかけられ、鍵がかかっている。

 東京のど真ん中のわが物件は地震や火事などによって警報機が鳴らない限り、非常階段のロックも開かないのである。


「守衛さんに電話しないと…」


 しかし、それはできなくなった。バルコニーに誰か出てきたのである。隣のバルコニーからちょっと顔を出すと丸見えの場所にいる私は、慌てて柵をまたいで、非常階段の鉄格子につかまって身を隠す。


 ライターの火をつける音と、プハーという吐息。たばこを吸いに出てきた人がいるようである。


 ご一服している横で、私は命の危機である。もし、この手を離そうものなら、私は30メートルも下に落ちてしまう。


 かといって、ちょっと身動きをとれば、鉄格子がきしんで音を立てそうだった。錆で手が汚れている感触を感じつつ、それでも何分間もこうしているとちょっと落ち着いてくるものである。


 落ち着いたせいか知らないが私は自分の足元を見てしまう。真下を通る人々。短くまとめた短いスカートが捲りあがっている。


(これ、やっぱ丸見えだよね?)


 たぶん、誰もこんなところ見上げないと思うけど、もし誰かに見られていたら困る。恥ずかしい。さらに、数人の酔っ払いが向かいのコンビニで陽気におしゃべりしていることに気づく。


(どうか、上を見上げませんように)


 黒っぽい服装なので夜陰に紛れているけれど…。一方で、ベランダのほうはと言えば、そろそろ一息つくころである。その証拠に、火のついたたばこが外に向かって落ちて行く様子が見えた。そして、サッシが開く音がする。


(戻った?)


「よう、コーダここにいたのか」


 違った。もう一人ベランダに出てきたらしい。


「ん? プレカリ。お前も吸うか? 一本だけなら恵んでやるよ」


「わりぃな。ついでに火もくれよ」


 もう一人追加されて、更にベランダにいた旅人コーダももう一本吸い始める。延長戦である。女体の神秘に迫る卑猥ひわいな話で盛り上がり始める二人。もはや、すぐに彼らがベランダから移動することはないだろう。春先の夜はさすがに冷えてくる。私のむき出しの脚も冷えて鳥肌が立ってきた。


「プハー。あー、気持ちいいぃぃぃぃぃーーー!」


(ん? 今のどこかで聞いたような…)


 いやいや、そんなことはどうでもいい。今はこの危険な状況から脱出しなければならない。正直、しっかり手足で体重を支えているのですぐに力尽きて落ちることはないけれど、パンツ丸見え状態は何とかしたい。私は左手で格子をしっかりつかみなおし、右手を自分のおしりに伸ばし、めくれ上がったスカートを直そうとした。その時である。


 パキ。という妙な音が格子から聞こえた。聞こえた瞬間に私は人生で最大の危機に瀕する。なんと、この格子のリベットがさびて抜けていたのである。


 ――私が死に際に叫んだのは、点検業者の悪口である…。


 とはならなかった。九死に一生を得るとは正にこのこと。うまく、飛び移って非常階段の壁に張り付くことに成功する。しかしである。


 パキーン。カランカラン


 だが、さっき落とした鉄格子が時間差で地面に激突する。金属が跳ねてあたりの喧騒けんそうが静かになった。


「なんか落ちてきたぞ?」


(やばい!)


 私は人生で最も素早く行動した。お尻丸出しかもしれないが、羞恥心など捨てて、壁を這いまわるゴキブリのような素早さで壁を移動して外壁の隙間から階段に入り込むことに成功したのだった。


「ふぅ…」


 このまま、裸足で街を行くわけにもいかないので、マンションの地下室の倉庫へ向かう(高級マンションには地下ガレージに個別の倉庫が用意されている)。そこにある冬物の靴を探す。そして、私はそのままアパートを離れて上野のホテルに無事に戻った。


(今日は、左衛門に謝らへんとな…)

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