第13話 痛かった
俺が世界で一番愛している金曜の夜が終了し、土曜の午前に突入してしまった。もう自分の部屋に帰れよ俺。どうしていつまでも田中の部屋にいるんだよ。その理由は、さっきからずっとDVDを観ているからってだけだけど。
「あれっ、山本さん、泣いてるの?」
不覚だった。俺は泣ける映画に弱い。狙って作ってある映画は必ず俺にヒットする。たった今まで観ていた映画は、かなり古いアメリカ映画だった。物凄く泣けた。
「今の映画、なんてタイトルでしたっけ」
「愛情物語、です。俺、好きなんですよ、これ」
「もう二度と観なくていい」
だって泣くから。物凄く泣けたから。ティッシュどこですか。鼻水が出る。
「あ、ティッシュここです」
田中が箱ティッシュを持ってきたので、俺は一枚失敬して鼻をかむ。もう一枚失敬して涙を拭く。
「山本さん、涙もろいんですねえ」
「うるさい」
「今度、別の映画借りてきときますね。古い映画って泣けますよね」
今度もあるのか。また二人で一緒にご飯食べて、一緒に映画観ちゃったりするのか。二人きりで。
「ていうか、俺と田中さんはこれからも二人でいろいろするんですか」
「そうですよ。ダメ?」
「…ダメ」
「もう一度自分の胸に聞いてみてください。ダメ?」
自分の胸に聞いてみなくても、実は全然ダメじゃない。今は土曜日の午前0時を過ぎたところだけど、月曜日の朝出勤するまで二人でいても全然構わない。
「全然ダメじゃないです」
「素直だなあ」
「月曜日の朝まで全然一緒でいいです。もういっそ好きにして」
「何ですか、その据え膳状態は。山本さん凄い男殺しですね」
「そんなこと言われたの生まれて初めて」
「俺が最初かあ。最初で最後にしといてくださいね」
「もうなんかワケわかんない。何でもいいから愛してる。ご飯食べさせて」
「いくら何でもちょろいなあ」
「映画に感動したんです。今難しいこと考えたくない。考えるのやめた」
俺は膝を抱えて俯いたままぼろぼろ涙を流した。鼻水も出た。ティッシュが何枚あっても足りない。メガネは曇るし、いいことない。多分、鼻の頭が真っ赤に違いない。泣くと赤鼻のトナカイになるのは自然の摂理だ。
田中は俺のコップにポカリを注いで、「はい、飲んで」と言う。鼻が詰まっていて、うまく飲めない。でも美味しい。
「今日、泊まっていきます?」
それ、悪魔の囁きですか。もしかしてこのまま泊まったら俺の貞操の危機なんじゃないですか。
「泊まらなくちゃダメですか」
「え、自分で決断できないの?」
「もういい田中さん決めて」
ぶーと鼻をかんで、俺はポカリを飲む。貞操の危機とかもはやどうでもいい。ここで寝ても自分の部屋で寝ても既に同じ状態かもしれない。俺は盛大に流されている。この前の台風と同じレベルの洪水だ。
「じゃあ、帰れば? 隣だし。泣いてても人に見られないし大丈夫でしょ」
何それ。ここで突き放すとか。田中ひどい男過ぎるだろ。
「ええ? ここで追い返すわけ?」
「それじゃどうしてほしいんですか」
「…わかりません」
「嫌だなあ、あんまり据え膳状態だと、ホントに食っちゃいますよ?」
「それは一応、また今度ってことで」
「往生際の悪い人だなあ」
「だからすぐ女にもふられるんですよ、俺は」
「前の彼女、可愛かったですか?」
「忘れた。もうどうでもいい」
あ、キスされた。うわ、またキスされた。俺どうすればいいの?
「山本さん、大人しく俺に食われてればいいんですよ」
「いや、本格的に食わないでください」
その体勢やめてくれますか。ていうか、俺あとちょっとで押し倒されるんですが。男に押し倒されるとか、考えたことない。怖くなってずるずると後ろに引き下がる。
「じゃあ、途中まで」
「食欲落ちたはずじゃないんですか、もう満月じゃないし」
「ああ、確かにそれほどの食欲じゃないんですけどね、健康な男子としてここは一つ」
「嫌だやめて変態」
「あ、ひどいなあ。変態なんかじゃないです。優しくしますから」
優しくないじゃないか。いきなり帰れとか言うし。イケメン、あんまり顔近付けるな。頭働かないから、つい見とれるだろうが。髪撫でるな。背中がぞわぞわするから。後ろ壁だし。これ以上後ずさりできないし。この追い詰められ感、半端ない。
どうしよう、このまま食われるのかな。と思ったら、田中が離れて立ち上がった。下げてなかった皿を片付け始める。
「とりあえず皿洗いますから。気になるんで」
「あ、手伝います」
「はい、お願いします」
食われなくて良かった。ほっとした。やっぱり今日、帰ろうかな。このままなら帰れそうな気がしてきた。皿やカップを流しに運ぶと、田中はいきなり玄関のチェーンをバチーンと閉めた。
「…なんですかその行動」
「戸締まりですが。山本さん、寝る前にきちんと戸締まりしないんですか?」
「寝る前…あ、いや、しますけどね」
「寝る、に反応し過ぎですよ」
スポンジに洗剤をつけて、田中は皿を洗い始める。こいつ、さっきからあまり優しくない。洗い終わった皿をふきんで拭きながら、俺は何となく不満を抱いた。いや待て、不満を抱く自分。何をどうしてほしいんだ。二人分の食器などあっという間に片付いてしまう。田中に追い立てられて、俺はまた部屋へ戻った。
「あのね、山本さん」
「はい」
「大事なことだから三回言いますけど、あなた据え膳が過ぎる」
「え、意味がわかりません」
「もう今すぐ食ってくださいって言わんばかりのフェロモン振りまいてるから、困ります」
そんなつもりは全くないのだが。それに俺の責任じゃないと思う。俺は普通にしてるだけだけど。
「あのさ、食ってほしいの? はっきり言って」
「いや、あの」
「食ってほしければ、たった今からでも遠慮なく食いますよ。満月じゃなくても俺、狼男なんで」
そうだった。ついつい忘れてしまうが、こいつは人間じゃなかった。そう思うと怖い。
「お、狼男だったら何か変わったことするんですか」
「食ってる最中にちょっと変身することもあります」
「えっやだそれ」
「…全然嫌がっているようには見えない」
「そうですか…」
「むしろ食ってくれ? 今すぐ抱いてくれ? 超ウエルカム? って感じですか?」
「うわ、ちょっと待って田中さん」
全然待ってくれなかった。一瞬後には、俺はベッドの上にいた。
「待ちませんし。山本さん超ウエルカムだったんで」
「…そのつもりはなかった」
「無自覚フェロモンは良くないです。俺以外にも男から言い寄られたことないですか?」
何故わかるんだ。確かにあった。昔のことだけど。
「やっぱりあるんでしょ。絶対そうだと思ってた」
「お、俺のせいじゃないですよ」
「そうとばかりも言えませんね」
うわ、いきなり上半身脱ぐな。刺激的過ぎる。俺の人生、今日がターニングポイント? 明日になったら俺は生まれ変わるの?
「俺のせいじゃないです…と思う」
腹にのしかかられる。重い。ごめんなさい、今から家に帰ったらダメですか。
「帰っちゃダメです。眠るのも禁止」
出会って一週間くらいで、いきなりその日はやってきた。今日、何日? 27日? 28日? 今日が俺の命日ですか。だいたい何故俺は抵抗できないんだ。田中はやっぱり他人を意のままに操れる力を持ってるんじゃないのか。
「その力持ってないって言ったでしょ。今抵抗できないのは、あなたの意思」
そんなバカな。俺、いくら何でも流され過ぎだろ。頼む、お願いだから、痛くしないで。
「無理無理。慣れるまで超痛いですよ。我慢してください。あ、慣れれば平気になりますから」
痛いの嫌いだ。ていうか俺、さっきから何も言ってないけど、どうしてこいつ勝手に俺の心の中読むの。
…心配しなくても、物凄く痛かった。俺、しばらくトイレに行けない。ついでにあまりにも大変な体験だったので、田中がいつ変身したのか俺には全くわからなかった。
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