第12話 初めての

 目の前に置かれたオムライスが美味しそう過ぎる。これを食べるなと言われるのは拷問だ。


「いただいていいですか」

「もちろんですよ、どうぞ。山本さんのために作ったんですから」

「俺のためですか」


 俺のためなら仕方ない。そりゃ食べるしかないだろう。知らない間に俺のマイ箸まで決まっていた。紺色の箸だ。田中は黒だ。今持ってるのはスプーンだけど。


「…美味いです…」

「でしょ? 学生時代のバイト、ホントしといて良かったな。いろんな人の胃袋モノにしてきましたから、俺」

「…魔性の料理人…」

「よく言われます」


 なんでこいつに彼女ができないのか不思議だ。これだけイケメンで料理も上手なのに、どうしてふられるんだ。待てよ、ふられたとは一言も言ってなかったな。


「あの、田中さん、早く結婚したらどうでしょう」

「あなたとですか」

「違う。女の人と」

「あーすいません。俺、どっちかと言えば男の方が性に合うんですよね。女でもいいんですが」


 それってバイ?


「バイです」

「心読まないでください」

「読んでません。そういう顔してたから言っただけです」

「じゃあ顔色読まないで」

「それはできないなあ。顔くらい普通に見てもいいでしょう」


 あまり見られたくない。が、それにしても、やっぱりオムライスは美味い。どうしてこんなに料理が上手なんだ、この男。


「…やっぱ美味いです…」

「うん、俺も今日のは良くできたと思います」


 あ、田中が普通の食べ物食べてる。ということは、普通じゃない食欲はなくなったのか。いかん、そのことは思い出さないことにしてるんだった。思い出したくないことがずるずると出てくる。


 俺はオムライスで餌付けされた。今日も俺の舌はちょろかった。つまり俺は美味しい食べ物さえ与えれば、ほいほいついていく簡単な男だったのだな。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

「いや全然お粗末じゃないし。自分の店持てるんじゃないですか」

「そんなめんどくさいことはしたくないですね」

「今の仕事ずっと続けるんですか?」

「とりあえず今のままで問題ないんで」


 そうか。それは俺も同じだ。今の会社でつまんない経理の仕事をしているが、特に不満もなく会社も潰れそうにない、多分。


「山本さん、引っ越さないでしょ?」


 田中はコーヒーをいれてきてくれた。いちいち気が利く。ていうか俺の気が利かな過ぎる。


「引っ越し? なんで?」

「最初のうち、引っ越す引っ越すってうるさかったから」


 …確かにこいつに出会った時は引っ越したいと思ったが。今となってはこの料理が魅力的過ぎて引っ越したくない。これって俺はまた流されてるのか?


「引っ越した方がいいのかな、俺」

「いや、引っ越しても特にいいことないですよ」

「そうだね、引っ越しはめんどくさいし」

「ここにいれば、俺の作った飯が食えるし」

「気が向いたら一緒にビール飲めるし」

「お泊まり用のスウェットも置いてあるし」


 やっぱり俺は、物凄い勢いで流されている。引っ越したくないって思った時点で流されている。なんだこれは。もしかして俺はこいつと一緒にいるのが楽しいのか。飯だけに引かれてるわけじゃないのか。


「ちょっと待て。俺とあんたは何ですか」

「何って。アパートの隣人同士」

「そうじゃなくて。ただの隣人同士でここまで親密ですか」

「あ、やっぱり親密だって自覚あるんだ。山本さんのくせに」


 くせにってなんだ、失礼な。俺はのび太じゃない。


「親密な感じがするんですが。俺の気のせいですか」

「いやあ、気のせいじゃないですね」

「じゃあ親密なんですね、俺と田中さんは」

「さっきオムライスの上にハート描いたじゃないですか。見てなかったの?」

「見てた」

「というわけで、俺と山本さんは先週から付き合ってるんです」


 お母さん、ごめん。あなたの息子は男と付き合い出したみたいです。普通の人生じゃなくてすみません。そもそも普通の人生ってどんな人生だろう。女と結婚して子どもでも設ければ普通なのか。そうじゃない人なんか山ほどいるよな。


「俺たち、付き合ってたんだ…」

「あ、自覚してる」

「うるさいな、ここまで来るとさすがの俺も自覚する」

「いい傾向ですね。思いのほか事が早く進みますね」

「事って?」


 声を上げる間もなく田中が俺に近付いてきた。え? なに? 何の用ですか? え? ちょっと待ってくださいそれ待って。


「ええええええええ」

「そんなに大声出さなくても」

「ちょっと待ってあんた今俺に何かしましたか」

「えっ、初めてしたの?」

「失礼な、初めてじゃありません」

「じゃあわかってんじゃないですか。わざわざ確認しなくても」

「いやでも男としたことない」

「女とするのとあんまり変わらないでしょ。ただ唇くっつけるだけだし」

「うわああ、言うなそれ言うな」


 お母さん、ごめん。親父、許して。俺、今、男とキスしちゃったよ。もう帰れません。道わかりません。おうちがどんどん遠くなる。


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