第11話 オムライス
あっという間に一週間が終わってしまった。平日は全く田中と顔を合わせることがなかった。朝とか夜とか隣の玄関から出てくるんじゃないかとビクビクしていたが、出てくることはなかった。俺とは違う時間に会社へ行くらしい。そんなことはどうでもいい。田中の生活パターンなんて俺の知ったことではない。この週末こそゆっくり眠ってみせる。俺の愛する金曜日の夜がやってきた。
駅前のコンビニに入って、今夜の弁当を選ぶ。コンビニはやっぱりセブンに限る。他のコンビニの弁当はあまりいけてない。ふと、オムライス弁当に目が止まった。ピカチュウみたいな黄色い卵の色がかなり魅力的に映る。俺は思わずオムライス弁当を手に取った。
「だめだって言ったじゃないですか、コンビニ弁当なんて」
「えっ」
「オムライスなら俺、作れますから。帰りましょう、早く」
「えっ」
「ほら、早く。俺の方が絶対美味しいですから」
…田中だ。田中が出た。もう会わなくてもいい男がまた現れた。
「いや、俺、セブンの弁当でいいんで」
「だめですよ、どうせ毎日コンビニ弁当なんでしょ? そのうち倒れますよ」
「まだ若いから大丈夫」
「俺らもうすぐ三十路ですよ?」
持っていたオムライス弁当を取り上げられ、棚の中に戻された。他に何も買っていないのに、腕を引っ張られて店の外に連れ出される。何ですか、俺はこのままお持ち帰りですか。男に引きずられている俺に周囲の視線が痛い。
「ちょ、ちょ、ちょっと離してくださいよ」
「ああ、ごめんなさい。痛かったですか」
だから痛いのは周囲の視線だ。俺の腕からぱっと手を離して、田中は笑った。ん? こいつ俺より背が高い。急に敗北感が大きくなる。
「痛くはないですけど、別にオムライス弁当で良かったんですが」
「オムライスなら俺の方が上手にできますから」
「また田中さんち行くんですか」
「嫌ですか?」
「嫌です」
「またまたまたまた。ホントは嬉しいくせに」
何故そうなる。俺は別に嬉しくない。断じて嬉しくない。俺は喜んでなどいない。田中に会えてちょっと嬉しいとか思っていない。
「心なしか表情が明るいですよ、山本さん」
鼻先に人指し指が突き付けられる。人を指差すな、この礼儀知らず。
「田中さんの気のせいです。俺は別に」
「山本さんの顔、わかりやすいって前にも言ったでしょ」
「そんなことはない」
「自分で見たことないのにわかるの?」
確かに自分で自分の狼狽えたときの表情なんか見たことはない。突然、田中が俺の目の前に小さな手鏡を出した。
「…なんだ、これは」
「鏡ですよ。よく自分の顔を見てみてください」
言われてつい、自分の顔をまじまじと見る。どんな顔だこれは。物凄く嬉しそうじゃないか。口元が緩みきってるじゃないか。そんなはずはない。
「この鏡、インチキだろ」
「インチキって。普通の鏡ですけど」
さっと鏡が引かれて、田中の胸ポケットに消えた。こいついつも鏡なんか持ち歩いてるのか。これだからイケメンは。
「ま、諦めるんですね。うちでオムライスでも食べましょう。ちょうど冷やご飯あるんで」
「いや、あの…」
「なんですか? 腹減ってないの?」
「減ってます」
「まずいオムライスと美味しいオムライス、どっちがいいですか」
「美味しい方…」
「じゃあ決まりじゃないですか。帰りましょう、ほら」
そして俺はまた田中の部屋にいた。どうしてこうなる。何故俺はこいつの言うことに逆らえないのか。
「ケチャップライスですけど、いいですか?」
「あ、はい…」
ケチャップライス以外のオムライスなんてあるのか。
「まあ俺、上手なんで。コンビニのより絶対美味いですよ」
凄い自信だ。いや、その自信には根拠がある。田中の作るものはどれも美味しかった。オムレツから始まって、鶏のから揚げも出し巻卵も塩ゆでした枝豆も。ついでに田中が作ったものじゃないけどレモンマーマレードも美味しかった。コーヒーは俺と同じゴールドブレンドだし牛乳も同じおいしい牛乳だし、全てにおいてクリーンヒットだ。この人、俺の何ですか?
「あのー…」
「はい?」
ケチャップライスを炒めながら、田中はこちらに振り向いた。やめろその無駄に爽やかな笑顔。
「喉渇きました…」
「冷蔵庫にポカリありますよ」
言われた通り冷蔵庫を覗いてみると、2リットルのポカリが買ってあった。中身はほとんど減ってない。なんてこった、飲み放題じゃないか。
「お好きなだけどうぞ。あ、コップとかそこの食器棚に」
「いただきます…」
勝手にコップを取り出して、2リットルポカリを持ってテレビの前に座り込む。どうせ何も手伝うことなんてないんだ。仕方ないので俺はテレビを付けた。何も見たいものがないのにテレビ。電気がもったいないから消した。キッチンからいい匂いがしてきた。腹が減った。空腹なだけに、田中オムライスへの期待が高まってしまう。早く食いたい。と思うのもしゃくなので、田中の本棚を眺めた。こいつ、推理小説好きなのか。俺が読んだことのないものばかりだ。狼男の本とかあったらシャレにならないと思って探したが、もちろんなかった。隠してたらわからないけど。本隠すとかエロ本か。俺の発想は中高生か。
「あ、何か読みたいものあったら貸しますよ」
「オムライス」
「は?」
「あ、いや、何でもありません」
オムライスが食べたいばっかりに、口を付いて出てきてしまった。俺は間が抜けている。
「オムライスなら、できましたよ」
「また俺だけですか?」
「いや、俺も食べます。そろそろ食欲出てきたんで」
両手にピカチュウ色のオムライスの皿を持って、田中は部屋に入ってきた。もう嫌だ、俺とこいつは何ですか?
「なんか往生際の悪い人だなあ、山本さんって」
「どういう意味ですか」
「普通にしてればいいのに。楽しいんなら素直に楽しめばいいのに」
田中はケチャップを絞り出して、オムライスの上に赤いハートマークを描いた。あり得ない。
「何それ」
「ハート」
「いや見ればわかるから」
「恋人同士だったらやっぱりハートでしょ」
「いや恋人じゃないし」
「恋人でもいいじゃん」
良くないぞ。全然良くない。いつの間に俺と田中は結婚ですか。もう一緒に住んでるんですか。それにどうして俺は田中の電話番号までスマホに登録してあるんですか。でも俺はLINEとかやってない。若者のくせに俺は遅れてる。どうせ昭和くさい人間だからこれでいいんだ。
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