第4話 隣人
公園のベンチで追求したら、謎の男の謎は非常に簡単に解けた。話を聞けば、彼は同じアパートの隣に住んでいる男だった。働いている会社もそこそこ名の売れている会社で、その点の怪しさはまるでなかった。なぜ俺のことを知っているかといえば、すぐに人の顔を覚える物覚えのいい頭によるというだけのことだった。俺は隣近所に興味はない。したがって、彼が隣に住んでいることすら知らなかった。
「以前にも山本さんのこと何度かお見かけしてたので、覚えてたんです。今は散歩してたら偶然同じ公園に辿り着いただけですよ」
「…つけてたんですか」
「つけてません。偶然ですってば。月見です月見」
そういえば、こいつが現れたせいで全く月を見ていない。月はどこへ行ったのだ。俺は空を見上げて首を回した。
「月なら、あっち」
「あ、ああ、ホントですね」
「お月見どころじゃなくなりましたね、すいません」
ホントだよ。一人でいればしばらく月でも眺めて、孤独にぶつぶつ呟いたりして、適当に家に帰ることができたのに。
「でも、多分明日も月は綺麗ですよ。晴れるから」
「そうですか…」
「山本さん、そんなに警戒しないでくださいよ。本当に詐欺でも何でもないただの隣人ですから」
「いや、現れ方がただの隣人的じゃなかったんで、しょうがないでしょ」
ぬるくなったスポーツドリンクをほとんど飲んでしまって、心細くなる。空気が乾燥しているからか、無性に喉が渇く。ペットボトルをどんなに傾けても、もう何も落ちてこなかった。自販機、ないのかな。
「あ、これ飲みます?」
隣人は、いや名前があった、田中だっけ、田中と名乗る隣人は、飲みかけのウーロン茶を差し出す。
「いいです、俺はポカリ飲みたいんで」
「すぐそこに自販機ありますよ。ポカリじゃないかもしれないけど」
「いや、あの、いいです。もう帰ります」
俺は空のペットボトルを持って立ち上がった。ぼちぼち時間も遅くなってきたし、疲れてきた。明日は金曜日で、もうひと踏ん張り仕事をしなければならない。
「じゃあ、帰りましょうか」
「何も一緒に帰らなくてもいいですよ。田中さんはゆっくりしてってください」
「どうせ帰るし、同じことです。ご一緒させてください。せっかくだから」
田中と名乗る男は、強引ではないような顔をして強引だった。顔は本当に強引の「ご」の字もなさそうな優しそうな顔だった。別に隣に住んでいるからって、行動を共にする義理はないのだが。
うまく断ることもできず、俺たちは連れ立ってアパートへの帰途に着いた。生まれはどこかとか、どこで何をして働いているのかとか、年はいくつだとか、全くどうでもいい話をした。少なくとも俺にとってはどうでもいい。聞いたそばから忘れても構わない情報だった。とりあえず年が同じだということだけ頭の中にインプットした。ついでに彼女がいないことも覚えておいた。そら見ろ、彼女いない歴何年なんて冴えない経歴を持っているのは俺だけじゃない。だが、そのことを取り上げてざまあみろと心の中で毒づくのは俺だけでいい。
「ひどいなあ、今ざまみろとか思ったでしょ」
「えっ、思ってない」
「思ってましたよ、聞こえましたから」
「人の心読むのやめてください。気持ち悪いから」
「読まなくても顔でわかりますし。今、超ざまみろって顔してましたよ」
「あんた妖怪か何かでしょ、人の心読むアレ」
「残念ながら妖怪じゃありません。まあそう思ってくださってもいいけど」
年が同じことと、彼女がいないことと、特記事項に人の心を勝手に読むことを添えておいた。それだけでも付き合わない方がいい相手に該当する。
「あの、隣に住んでるからって、心の中読んで変なことしないでください。ていうか俺、近々引っ越しますんで」
「え? そんな予定あるんですか?」
「今、決めたんです」
「なんで? ここわりといい町だと思いますけど」
「あんたが隣にいるからちょっと嫌です」
「はあ? 何もしませんよ。そんなばい菌みたいに言わないでください、人のこと。失礼だな」
「妖怪の隣に住みたくないです」
「妖怪じゃないってば。困ったな」
困るのは俺だ。顔を見るたびに何を考えているかばれたら大変だ。変なことを考えているのを見透かされるのも困る。変なことなんて別に考えてないけど。
「あのですね、山本さん」
アパートの前で、田中は俺を立ち止まらせた。いやもう帰りたいし。
「俺は無闇矢鱈と人の心を読んで喜ぶ変態じゃないです。それにあなたの生活の邪魔をしようとしてるわけでもないんだから、そんなに気味悪がらないでください」
「いや、無理。無理だから、もう」
「何が無理ですか。結構楽しそうじゃないですか」
「えっ、誰が」
「あなたが」
「何を」
「俺と喋ってると結構楽しそうでしたよ」
「別に楽しくないですけど」
「つまらなそうでもなかったけどな…」
別に楽しんでない。確かにつまらなくもなかったけど。月見が台無しになっても、満月のことを忘れても、特に不快ではなかったのは確かだが、うきうきするほど楽しんだわけでもない。
「まあいいや。俺、102の田中ですから。せっかく喋ったし、また喋りましょう」
「…はあ」
いや、引っ越す。俺は引っ越したい。隣に妖怪がいる。俺が月見バーガーを食べたいと思ったことを読み取った男が隣にいるとわかっただけで、軽く戦慄できる。俺は102号室を通り越して、103号室の自分の部屋に飛び込んだ。
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