第5話 狼男
真ん丸の月は、翌日には少しばかり欠けているように見えた。残業したくなかったけど仕方がないから残業し、8時半過ぎに最寄り駅まで帰ってきた。明日は土曜日だから、ゆっくり休もう。俺は自販機で大好きなポカリを買って、昨日妙な出会いがあった公園に立ち寄った。
夜の公園は相変わらず誰もいなくて、地味に寂しかった。ベンチに座って昨日のことを思い出すと、微かに楽しかった記憶がよみがえってくる。そんなはずはない。人の心を読むお化けと出会っても別に楽しくない。
月は相変わらず白く光って綺麗だった。昨日ど真ん丸の時に、もっともっとよく見ておくのだった。あの真ん丸は8年後までおあずけなのだ。8年後の俺は何をしているだろうか。40才に近くなっていることだけは確かだ。現在、彼女いない歴数年の俺だが、次の中秋のど真ん丸には結婚でもして子どもができていたりするのだろうか。はっきり言って想像できない。結婚? すんのか俺? 別にしたくないけど、今は。相手もいないし。
「一生独身だったりして」
思わず独り言を呟いてしまった。声に出してみると、やはり地味に寂しくなった。突然声がかかるかなとブランコの方をじろじろ見たが、そこには誰もいなかった。
「いる方が気味悪いだろ」
今夜はわりと涼しい。涼しいを通り越して少し寒い。クールビズが終わっていて良かった。長袖のワイシャツでちょうどいい。
ポカリをちびちびと飲みながら、お月見団子の味を思い出していた。安物らしい安物の美味しい味がした。コンビニレベルの美味しさだ。俺はコンビニレベルでそれなりに満足できるお安い舌を持っている。今夜の夕食は会社のそばのラーメン屋で済ませてきた。
「…ラーメン、あんま美味くなかったな…」
やっぱり隣のマックに入って月見バーガーを選ぶべきだったか。残業するのにマックでは物足りないかと思ってラーメンにしたけれど、ちょっとはずれた。
「月見バーガー食べなかったんですか?」
「えっ」
「まさか今日もここにいるとは」
顔を上げると、スーツ姿の隣人と思しき男が少し離れたところに立っていた。手には仕事用らしきバッグとコンビニの袋を持っている。
「えっなに、俺の後つけたの?」
「つけてませんて」
「じゃあ何でここにいるんですか、あんた」
「それは俺のセリフです。俺が仕事帰りにコンビニに寄ってここに来てみたら、山本さんがいただけです」
田中は、田中だったよな、田中は俺の許しも得ず近付いてきて同じベンチに座った。座っていいなんて誰が言った。
「あ、隣失礼します」
「は、はい」
ガサガサとコンビニ袋から緑茶のペットボトルとサンドイッチを出してきて、彼は食事を始めた。
「ここで晩飯ですか?」
「はい、今夜も月が綺麗なので、月見がてら」
「よく月見する人ですね」
「あなたこそ」
そういえば、俺も月見に来たのか。あまり意識はしていなかったが、そういえばさっきから月を見ていた気がする。何か言い訳をしなければいけないと思って口を開く。
「昨日は、中秋の明月が満月だってニュースでやってたから。次の満月は8年後とか言うから」
「別に満月は中秋の明月じゃなくてもありますよ」
そりゃそうだろう。ただ何となく見ないともったいない気分になって散歩に出ただけだ。そのせいでこの男と話をする羽目になったのだけど。
「サンドイッチなんかで腹一杯になりますか?」
たった3個しか入っていないサンドイッチをあっという間に食べてしまった田中に、俺はふと話しかけた。なんで話しかけるんだ。さっさと帰ればいいのに。俺かこいつかどっちかが。
「…満月に近い頃は、あまり腹が減らないんで」
「は?」
なんだって?
「あんまり食欲ないんで」
緑茶をごくごく飲む田中の横顔に、俺はつい声をかけ続ける。
「いやいやいやそうじゃなくて。食欲と満月とどうして関係あるんですか」
「え? そんなこと言いましたか俺?」
「言った。間違いなく聞いた。満月に近い頃は腹が減らなくてって」
「気のせいじゃないですか? ただ食欲ないだけですけど」
「いや嘘でしょ、言ったでしょ、何ごまかしてんですか、満月と食欲と関係あるとか何ですかあんた」
「じゃあそう言ったかもしれません。だとしても俺の体質ですから山本さんは何も心配しなくて結構です」
「心配はしてませんけど、なんで月と食欲?」
「だから体質」
そんな体質、聞いたことないし。俺はまた気味が悪くなった。この男は何だか普通の人間と違う感じがする。人の心が読めたり、月の満ち欠けで食欲が左右されたり。
「そんなに俺のこと心配してくれるんですか? 嬉しいけど心配してくれても食欲は出ないんで」
「心配してるわけじゃなくて」
「気になるんでしょ?」
言葉に詰まる。気になるのは確かにその通りだ。が、気になると認めるのもしゃくだ。
「…別に」
「聞きたいですか?」
「な、何を?」
「満月と食欲の関係」
「やっぱりあるのか。なんなんだあんた」
「じゃあ、俺んち行きましょうか」
田中は立ち上がって物凄くさり気なく変なことを言った。
「…は?」
「聞きたいんでしょ? ここじゃなんだから、俺んち来ません?」
「…なんかやだ」
「別に取って食やしませんから」
いや食うだろ。こいつ人取って食うだろ。こいつ人間みたいな顔して、人間じゃないだろ。月と関係あるとか、何だこいつ狼男? いやちょっと待て、考えてることばれる。
ふう、と溜め息の音が風に乗ってきた。田中はもう一度ベンチに腰かけて、お茶を飲む。俺は何を言えばいいのかわからず、一緒になってポカリを飲んだ。
「俺は別に人の心とか読んだりしませんけどね」
いや読むだろ。読んだだろ昨日。俺は忘れていない。
「山本さんの顔、何が言いたいか物凄くわかりやすいのでわかります。どうせ俺のこと月と関係ある化け物か何かだと思ってるんでしょ」
「…やっぱり読んでるじゃないですか」
「だからあなたの顔がわかりやす過ぎるんです」
「そんなことはない」
「鏡で見たことないでしょ、狼狽えてる時の顔とか」
そんなもの見るか。狼狽えてる時に鏡なんか覗いてる暇はない。もう嫌だこいつ物凄く変な奴。俺は絶対に引っ越す。
「俺ね」
不意に田中の顔が目の前に迫ってきて、驚く。うわこいつ結構イケメンだった。
「実は、狼男なんですよ。月が出てると活動的になるんです。普通の食欲は落ちるけど」
「ふ、普通の食欲ってなんだよ。普通じゃない食欲があるのかよ」
「まあね」
俺は思わず立ち上がって二歩ほど引き下がった。
「どうして逃げるんですか」
「取って食う気だろ、お前人間とか取って食うだろ」
「…面白い人だなあ、山本さんって」
「俺は全然面白くないぞ」
「いやかなり面白いです。別に今のは冗談です。さ、帰りましょうか」
ペットボトルのお茶を飲み干し、田中はもう一度立ち上がった。
「…どうぞお一人でお帰りください」
俺はとても一緒に帰る気分になれず、立ったままへっぴり腰で会釈した。物凄くかっこ悪い。ような気がする。田中がやたらと健康的な声で笑い出した。
「ホントに冗談ですってば。怖がらないでくださいよ」
「怖いっていうかもう全然楽しくないから。俺に関わらないでくれます?」
「最初から関係ないじゃないですか。ただ隣に住んでるってだけで。取って食うならとっくの昔に催眠術でもかけて食ってます」
さあ帰りましょうと強引に促され、ついそれに従ってしまった。今日も。嫌ならそのまま公園に居座ればいいのに、時間的にももう家に帰りたい。昨日この田中とやらに出会ってから、調子が出ない。そもそも俺は調子の上がらない奴なのだが、いよいよ調子が出ない。もしかしたらこのままなし崩しに隣人が友人になるかもしれない。そんな気がして怖くなった。だいたい二日続けて同じ公園で会って一緒に家に帰るというコースが、端から見たら既に親しい友だちレベルだ。
もう嫌だ。早く引っ越したい。
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