第23話 焼き鳥

 駅前の鳥八という焼き鳥屋には、初めて入った。そもそも一人でこんな店に入ったことがない。好き嫌いのない俺は、焼き鳥ももちろん好きだった。塩味の焼き鳥が好きだ。タレは甘いので、塩味だ。


「…外で飲むとか、何だか健康的だな、俺ら」

「たまにはドロドロに爛れてないのもいいでしょ」

「田中さん、声が大きいです。俺、恥ずかしい」


 適当に注文した焼き鳥の大軍が嬉しく俺を襲ってくれる。本当だ、ここの焼き鳥いける。ビールが進む。田中と一緒にいると、俺はいつでもビールが進んでしょうがない。もしかして、飲まなきゃやってらんないのか。飲まなきゃやってらんないほど好きなのか。そんな自分から目をそらしたくて飲んでるのか。田中がビールぐびぐび飲んで、思わぬ言葉を吐いた。


「実は来週の土曜日、プチ社員旅行があるんですよ」

「え、何それ嫌だ」

「一瞬で嫌がりましたね」


 悪かったな。今や俺はお前の虜。週末に田中がいないとかあり得ないだろ。


「土曜日だけ? 日帰り?」

「希望者は一泊ですが」

「一泊とか嫌だ。行かなきゃダメなの?」

「意外と義理堅い俺は休んだことがないんです」


 来週の土曜日って、一週間後じゃないか。今週は金曜の夜から月曜の朝まで爛れられるとしても、来週の予定は著しく狂ってしまう。予定って言うほどのものじゃないけど。


「じゃあ、行くの?」

「どうしよっか」

「休めるの?」

「まあ休んでもいいんですが、俺が休むの凄く珍しい現象なんで、何があったか怪しまれるかも」


 怪しまれるって何をだ。いいじゃないか、社員旅行なんて今どき行かなくても。そんな親睦しなくても人気者だろイケメン。はっきり言います。行かないで。


「…休んじゃえ。休んで俺とどっか行こ?」

「嬉しいこと言うなあ、山本さんたら、愛してる」

「だから声大きいです。俺は恥ずかしい」

「何を言ってるんですか今さら。俺と付き合ってるって町中の人が知ってますよ?」

「えっ、何で!」

「冗談です」


 なんだ嘘か。心臓持たないから、その手の嘘やめてくれますか。


「山本さんから引き止められたから、行くのやめようっと。ちょっと待っててくださいね」


 田中はポケットからスマホを取り出して、何か打っている。欠席通知か。もしかしてそれLINE?


「とりあえず幹事だけには伝えとかないと。週明けたら上司に言います」

「どんな言い訳使うの」

「実家の用事。法事ってのはあまりにも見え透いてるし。急な家族会議にでもしとこうかと」

「家族会議ねえ。そんなのあり得る?」


 田中はテーブルにスマホを置いた。ちなみにこいつも俺も黒のiPhoneだ。とっても仲がよろしいのね。電車に乗ってても道を歩いていてもiPhoneの奴なんて腐るほどいるけど。


「そうですね、俺、妹がいるんで、脳内結婚相談とか受けたことにします」

「妹がいたのか。知らなかった。イケメンの妹なら可愛いんだろうな」

「あー確かにモテますね、あれは。でも俺と違って結構真面目だから結婚遅そう」


 兄の方だって結婚してないじゃないか。妹のこと言えない。待てよ、狼男の妹なら、狼女なのか。ちょっと聞きたいけど、それは後にする。


「で、プチ社員旅行は休めるんですか」

「はい、オッケーです。来週の週末もその次もまたその次も俺はあなたのもの」


 はっきり言うが、俺は喜んでいる。手鏡出すなよ、俺は今、自分の顔を見たくない。口元がむずむずする。多分緩んでいる。


「そうですか、来週も田中さんは俺のものですか」

「嬉しいでしょ?」

「…別に」

「わあ何ですかそのツンデレ準備中。言ってることと顔が全然違いますよ」


 そんなことわかってる。言われなくてもわかってる。だけど何となく抵抗したい。


「大事なことだからもう一度聞きますけど、嬉しいんでしょ?」


 ここで「うん」と言ったら負けな気がする。今になって勝負してもどうにもならないけど。


「嬉しいって言わなきゃ、社員旅行行っちゃいますよ、しかも一泊で」

「やめてそれ嫌だ」

「じゃあ素直に認めてくださいよ。山本さんが引き止めたくせに」

「…嬉しいです。俺とどっか行きません?」


 目の前に焼き鳥が一本突き付けられた。俺は思わず口を開いてかじってしまった。何この図、俺たちイチャつき過ぎだろ。周囲の視線が痛い。けど、俺は麻痺してわからない。


「ドライブにでも行きましょうか。レンタカー借りますよ」

「田中さんが運転してくれるの?」

「俺、運転上手いですよ。山本さんが運転してもいいけど」


 残念ながら、俺はあまり車を動かすのは好きじゃない。便宜上免許は取ったが、助手席専門の方が楽だ。


「運転はおまかせします」

「なら助手席で楽しんでください。信号で止まったらキスしますからね」

「だから声が大きいです。俺もう帰りたい」


 ここで帰るのももったいないので、焼き鳥を腹一杯食ってからアパートに帰った。もちろん田中の部屋に直帰だった。ああ、今週末も爛れた足掛け三日を送るんだな。鳥八でも微妙に爛れた空気を醸し出していたかもしれない。もうあの店、行かない方がいいのかな。美味しかったんだけど。行ったらホモだとか言われたりして。大事なことだから言っておくけど、俺はホモじゃない。女が好き。だけど田中も好き。こんな自分はちょっと嫌い。


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