第24話 ドライブ

 ドライブなんて何年ぶりだろうか。田中の借りてきた白い車に乗り込んで、俺たちは秋の週末ドライブに出かけた。いや、終末ドライブかもしれない。田中が言うには「いい鍾乳洞があるんですよ」とのことだった。鍾乳洞にいいも悪いもあるのか。高校生の頃に修学旅行ででっかい鍾乳洞に入った覚えはあるが、「あれはいい鍾乳洞だった」としみじみ考えたりしたことは一度もない。30年弱の人生で、それほど鍾乳洞のことについて思いを馳せたことはない。


「で、その鍾乳洞、どこにあるの?」


 途中で駅前のスタバに寄ってアイスカフェラテを買っておいたので、俺は助手席でそれをすすりながら運転する田中の横顔を見てたずねた。


「奥多摩のさらに奥」

「へえ…」

「そばに川が流れてて気持ちいいんです。この時期だからかなり涼しいかも」

「暑いの苦手だから、ちょうどいいや」


 ここから奥多摩は結構時間がかかりそうだ。俺は勝手に手を伸ばして、ラジオを付けてみた。音が鳴ったと思ったら、いきなりラジオ消された。


「何すんの。せっかく付けたのに」

「ラジオなんかつまんないでしょ。俺と喋りましょう」

「喋るネタがないです」

「えっ、付き合ってる人からそんなこと言われたの初めて」


 嘘です。ホントはいくらでも言葉は口を付いて出てくる。ネタなんか一つもないのに、何故か喋ってて楽しい。俺とこいつはやっぱり付き合ってる。運転もうまいイケメンとか、俺にはもったいない。


「物凄くベタだけど、運転してる横顔にシビれます」

「そうそう、その調子」

「なんてかっこいいの。俺もう死にそう。助手席の女の子の気持ちわかる」

「いいんですか、信号赤だから止まりますよ」


 赤なら止まるの当たり前だろと思ったら、キスされた。やめてください、他の車から見られます。思わず周囲をきょろきょろしてしまった。


「みんな自分のことで精一杯ですから、そんなに周囲の視線気にしなくていいんですよ」


 と、田中は言うのだが、俺はどうしても気になる。


「山本さん、車に乗ってる時、そんなに他の車の中をジロジロ見るんですか?」

「そういえば、見ないか」

「でしょ? そんなもんですってば。だから赤になるたんびにキスしてもいいでしょ?」


 気付いたら、また赤だった。当然のようにキスされた。


「…あんまりキスされると、ナチュラルに照れます」

「どんどん照れてください」

「ちょっと嫌だ」


 運転している田中は、いつものイケメンを三割増くらいにしたかっこ良さだった。運転してる男ってどうしてかっこいいのかわからない。なんてこと、思ったの生まれて初めてだ。俺だって運転できるけど、助手席から見たらかっこ良く見えるのだろうか。お願いおまわりさん、このイケメンどうにかしてください。


「こっちが照れますよ、山本さん」

「え、何が?」

「見つめてくれるのは嬉しいんですが、あんまり見つめられると今すぐ路肩に停車して犯したくなるので、ほどほどにしといてください」

「な、何を言うか。恥ずかしい」

「前にも何度も言ったでしょ。無駄にフェロモン出しまくりなんですよ、山本さんは」


 ちょっと、前見て運転して。ここで心中とかしたくない。それに俺はフェロモンなんか出してない。以前から疑問だったが、そのフェロモンって何だ。俺は思わずスマホを出して辞書を引いてしまった。


「…俺はフェロモンなんか出してない」


 みんながその言葉を非常に適当に使うものだから、自分も意味を知っているつもりになっていた。よく読んでみたら、これは別に俺には当てはまらない。


「いや、出してます。俺はバンバン刺激されまくりです」

「それって田中さん専用フェロモンじゃないの?」

「だったらいいんですけどね。うっかりすると変な虫が付くかもしれない」

「変な虫って。嫁入り前のお嬢様じゃあるまいし」

「未婚じゃないですか、嫁入り前じゃないですか。俺以外とセックスしたらもう殺してやる。キスも許さない。手も繋いじゃだめ」

「午前中から恥ずかしいこと言わないで。俺もう車降りたい」

「嬉しいくせに。ホント山本さんて素直じゃないな」


 うわ、信号が赤になった。逃げるぞ、俺は。顔を素早く左に向けたら、田中が俺の右手を取って指先にキスをしたのがわかった。なんてこった、これじゃホントにお姫様じゃないか。背中がむずむずする。とてもじゃないけど、奥多摩まで精神が持たない。俺、鍾乳洞に入ったら、田中にキスしちゃうかもしれない。こんなに太陽は明るいのに、俺の目の前は何故か仄暗い。どういうことだ、これは。


 俺、もう絶対他の女の子と結婚できないと思う。田中と別れること、考えたくない。じゃあ一生、こいつと暮らすのか。それはそれで想像できない。おじいちゃんになっても二人で一緒にいるとか。


「あの、田中さん」

「はい、なんでしょう」


 とりあえず何か喋った方がいいかと思って声をかけたが、何も言いたいことが思い付かない。


「…なに? なんかありましたか?」


 俺が何も言わないので、田中は不思議そうな声を出した。


「気分悪いとか? 車、止めます?」

「いっいえ大丈夫です!」

「じゃあ何ですか。途中まで言ってやめるの気持ち悪いから全部話してくださいよ」


 俺、何が言いたかったんだっけ。ついさっきまでは、将来のことをちょっと案じていたような。でも、そのこと話すのか。話してどうにかなるものなのか。


「俺、もう結婚できないんですかね」


 ほら、しょうもない言葉しか出てこない。


「俺とですか? まあ男同士だからできませんね」

「違う。女と」

「できませんね」


 ばっさりと否定するんですね。俺、逃げ場ないんですが。


「できないんですか…」

「したいんですか? 結婚」

「わかんない。でももう三十路に突入するし」

「俺も同い年ですよ。でも結婚してませんよ」


 そうだよな。田中と俺は同い年。そして未婚。今どきこの年齢で独身でも別に不自然ではない。このまま田中とばっかりつるんでていいのかな、俺。


「山本さんてめんどくさい人だなあ。そこがいいんだけど」


 田中、お前どうしてそんなに明るいんだ。悩みとかないのか。俺はあるぞ。この関係は一体どこへ行くのかということだ。


「いいじゃないですか、いっそホントにドロッドロになるまで付き合ってれば」

「何ですかそのドロッドロってのは」

「あまり意味はないです。山本さん、俺のこと好きじゃないの?」

「いや、そんなことはないです」

「好きなの、嫌いなの、どっち?」

「…好きです」

「じゃあ、それでいいじゃん」


 いいのか、これで。俺どうも吹っ切れない。田中みたいにあっけらかんとした態度になれない。どうしてですか。田中が男だからですか。


 俺が何も言わなくなってしばらくしたら、いきなり車が路肩で止まった。え、何ですか。ここどこ?


「山本さん、こっち向いて」

「え、はい」


 ちょっと待ってください、それやめて。まだ午前中です、朝のうちですから。そんなキスやめて。息止まるから。マジ苦しいです、助けて。うわ、舌が甘い。その味引っ込めて。こいつこそフェロモン出してるだろ。この味は反則だろ。勘弁して、頭の芯が痺れる。何も考えられません。


「ちょっとは落ち着いた?」

「…はい」

「あんまりごちゃごちゃ考えない方がいいですよ」

「そうですかね」

「山本さんのその性格、別に相手が女の子でも俺でも同じなので。考えるだけ無駄です」


 無駄とか。ひどい。バカの考え休むに似たりかよ。悪かったな。


「それでもごちゃごちゃ考えるようだったら、そこいらのラブホに連れ込みますよ」

「い、嫌です」

「じゃあ大人しく俺に見とれててください。余計なこと考えない」



 田中が再び車を発進させる。そうですか、お前の横顔に見とれてればいいんですね、俺は。わかりました。


 そうこうしている間に、いつの間にか車の外は田園風景が広がっていた。ホントに、いつの間にこんなところまで来たんだ。


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