第25話 鍾乳洞
奥多摩の奥のそのまた奥に、本当に鍾乳洞が存在した。知らなかった。結構いいデートコースだな、これ。田中はどうしてこんなところ知ってるのだろう。二人で割り勘して入場料を払い、中に入ってみる。山の中なのでただでさえ涼しいのに、鍾乳洞の中は相当ひんやりしていてぶるりと震えがきた。
「うわあ…これ鍾乳洞ですね」
「鍾乳洞です。山本さん、芸のない言葉ですね。せめて何か感想でも言えば?」
「ひんやりしますね」
「…まあ、それでもいいです」
ところどころに観光客がいる。こんなところまで来る人がいるんだな。俺たちもそうか。鍾乳洞の独特の匂いがした。壁がぬめぬめしてる。蛇の中にいるみたいだ。蛇の中に入ったことないけど。
「あ、行き止まり」
うろうろしながら歩いていたら、立入禁止の表示が出現した。でも、その先も洞窟は続いている。俺は先に進んでみたくなった。
「ちょっと、何してんの」
先へ行こうとしたら、田中に止められた。
「いや、なんか面白そうだなと思って」
「立入禁止って書いてあるでしょ。勝手に入ったらダメですよ」
薄暗い鍾乳洞の中にいると、時間が止まったような不思議な感覚に陥った。
「入ったらダメなところって、入ってみたくない?」
「山本さん、それわりと危険思想」
「俺だけかな」
「気持ちはわかります。俺このまま山本さんと鍾乳洞の奥で暮らしたい」
いや、それは思わないけど。思わないけど、なんかわかる。時間、止まればいいのに。世界が止まっちゃえばいいのに。仕事も止まっちゃえばいいのに。あ、俺、今、田中にキスしてる。誰も来るなよ。絶対来るなよ。全部止まっちゃえ。
「嬉しいなあ、こんなところでキスしてもらった」
「したくなったから」
「やっぱり鍾乳洞の中で暮らしましょうか、山本さん素直になるから」
俺が願掛けしたからか何か知らないけど、ここさっきから全然人が来ない。ラッキー。
「そんなに素直じゃないかなあ、俺って」
「えっ、素直だと思ってんの?」
「…違ったか…ごめんなさい」
薄暗くて非日常の空間に放り込まれれて、きっと今俺は吊り橋効果でこいつがほしいんだ。きっとそうだ。だから今は何でも吊り橋効果のせいにしよう。
「田中さん」
「はい」
やっぱりこいつ、俺より背が高い。何センチくらい違うんだろう。それほどでもないか。
「…俺、あんたのこと好きです。ものすごーく」
「はあ、俺も好きです。山本さんが俺のこと好きって思うよりも多分百倍以上」
「そうかな。俺も大概重症だと思うけど」
「自覚あるんだ? 山本さんのくせに」
「実は、あるんです」
「へえ…山本さんは家以外の場所ならマジで素直になる、と」
「吊り橋効果です。吊り橋効果の中なら何でも言えますから。もうお前のこと永遠に愛してる。俺のことしか見ちゃダメ」
「うわ、何これ凄い。今すぐ抱きたい」
「人さえ来なけりゃ死ぬほど抱いてほしい」
でも、そのうち人が来ちゃうんだよな。つまんないな。誰か来る前に立ち去った方が安全だよな。仕方ないので歩き始めたら、田中が後ろからがっちりホールドしてきた。あんまり強く抱きしめないでください。また転落しますんで。あ、耳噛まれた。
「山本さん、その状態ベッドまで持ってってくれませんかね」
耳元で囁かないで、くすぐったいから。
「ベッドの中は吊り橋効果ないんで」
「ホントは吊り橋なくてもいいくせに」
「吊り橋効果のせいにさせて。ていうか離してください人が来るから」
離れて歩き始めたら、他の人たちがこちらに来るところだった。良かった、見られなくて。心臓バクバク言ってる。こういう時、どこかわからない場所が痛くなる。どこだろう。心臓ですか。息が苦しくなる。何となく、涙が出そうになる。泣ける映画観たわけでもないのに、鼻の奥がツンとする。
「俺もう泣きたい」
「え、なんで?」
「なんか涙出そう」
田中にこんな繊細な気持ちわかるわけない。俺自身だってわからない。どうして鍾乳洞に来ると涙が出るんだ。鍾乳洞なんかもう来なくていい。泣けるから。
「田中さん、もう出ようよ」
「あ、はい」
「ここ泣けてくるから嫌だ。泣けるのは鍾乳洞のせいだ」
俺の頭の上に、田中の手がポンと乗っかった。
「鍾乳洞のせいじゃないですよ」
じゃあ何のせいだ。家にいてもこんなに泣きたくなったりしない。映画でも観ない限り。
「俺としては、ちょっとかなり嬉しい」
本当に嬉しそうな声を出して、田中は笑った。
「何が嬉しいんだ」
「山本さんがかなり真剣に自覚したことが。また後できっと抵抗するんでしょうけどね」
「抵抗しないぞ。俺お前のことめちゃくちゃ愛してる」
「わあ、今日の山本さんどうしちゃったの? クラッシュした?」
「田中さんが狼男でも吸血鬼でもフランケンシュタインでも愛してると思う」
「凄いなあ、吊り橋効果」
「認めちゃうの楽だね。もうお前のこと誰にも渡さない。大好き」
「はいはい、わかったわかった。ほら、もう出ましょう」
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