第28話 LINE女

 狼男が本当に狼に変身できるのだということを知ってから、俺はすっかりダメ人間になった。仕事が手に付かない。やる気もない。食欲もない。人付き合いも悪い。これはもともと良くないけど。仕事があまりにも進まなくて、仕方なく残業になる日もあった。残業になると、とても不安になった。田中に会える時間が減るじゃないか。会うと言っても、最近の俺は少し無口だ。


 食欲がないので、ミニサイズのカップラーメンをデスクで食べていたら、同僚が入ってきた。またこいつか。俺がLINEやってないってバカにする女。


「えっ、山本さんランチそれだけ? ヤバくない?」

「別にヤバくない」

「どっか悪いんじゃないの、食欲なさそうだけど」

「いいんだよ、恋煩いだから食欲なんかなくても」


フンと鼻で笑われた。何がおかしい。俺だって人並みに恋煩いくらいしてもいいだろうが。恋煩いだと自覚済みの俺はどうかしている。


「山本さんの彼女ってどんな人?」

「料理上手のイケメン」

「えっ、イケメン? 何それ男?」

「うわあ、何でもない」


しまった、うっかり口を滑らせた。今のなし。今のなしでお願いします。


「…男だったんだ…そうか、彼女じゃなくて彼氏だったんだ?」

「いえ、彼女です。料理上手の美人」

「そっかあ、これは意外な盲点だったわ。私いいこと聞いちゃった」


もしかして、明日の朝には俺は吊るし上げられるんですか。男のくせに男と付き合ってるって噂が盛り上がるんですか。勘弁してください、だから今のなしって言ってるのに。


「あ、心配しないで。私、誰にも言わないから」

「信用できるか」

「えー信用してよ。ホントホント誰にも言わない。プライバシー厳守。で、どんなイケメンなの?」


どんなイケメンって、どうやって説明すればいいのか。特に似てる芸能人も思い付かない。


「すみません、彼氏じゃないですから。彼女だから。もうほっといて」

「あ、信用してないわね。恋煩いなんでしょ? 相談に乗るけど」

「お前別に新宿の母でも何でもないだろうが」

「…今どき、新宿の母とか…ホント山本さんて反応不思議だよね」


やかましい。どうせ昭和くさい男だよ。こんな信用おけない奴に何も言えない。俺の個人情報会社中に筒抜けになりそうで怖い。でも、何となく誰かに聞いてほしいのも確かだった。


 しかし、何を話すんだ。狼男と付き合ってていろいろ不安で困ってますって話すのか。こんなの絶対わかってもらえない。人間じゃない動物と付き合ってるとか、あり得ないだろ。でも何か言いたい。


「…もしも好きになった奴が吸血鬼だったら、お前どうする?」

「何それ、山本さんの彼氏って吸血鬼なの? 血とか吸われてるの?」

「違う、吸血鬼じゃない。例えばの話。もし好きになったら吸血鬼でしたってオチだったらお前どうする?」

「私だったら別に気にしない。好きな人なら血でも何でも提供するけど」


相談した俺がバカでした。こいつに俺のとても繊細な恋心なんかわからないんだな。申し訳ありませんでした。


「そっか、ありがとう。これ、相談代。釣りはいらねえ、取っときな」


俺はデスクの上に三つほど置いてあったのど飴をLINE女に渡した。


「ちょっと山本さん、何スルーしてんのよ。まあ飴はもらうけどね」

「吸血鬼の例えなんか出した俺が悪かった。今の話は忘れてください、もう何もかも」

「つまり何か障害のある恋愛してるわけ? ちょっと例えがあれだけど、身分が違うとか」

「まあそんなもんかな」


LINE女は持っていたドトールのアイスコーヒーをすすった。何だか悩みのなさそうな女だな、いつ見ても。俺のカップラーメンはすっかり伸びてしまった。まずそうになったラーメンを俺は無理して食べた。


「でもさ、結局は好きなんでしょ? その彼氏のことが」

「彼女です」

「いやもうバレバレだから。料理上手のイケメン彼氏でいいって。その人のこと好きなんでしょ?」


面と向かって聞かれると言葉に詰まる。ここで思いっきり「俺はあの男のことが好きだ」と大公開するのも気が引ける。こいつに小公開してるから同じようなものだけど。


「もし好きならどうなるんだよ。障害があることは変わらないだろ」

「障害あるから鬱になって逃げてるの?」

「え、別に逃げてないし鬱じゃない」

「そうかな、最近かなり食欲なさそうだし、仕事遅いし、山本さんいいとこないじゃないの」


言いたいこと言ってくれるな。仕事遅いとか言うな。悪かったな。どうせ俺は仕事もできない男だよ。


「さっき恋煩いとか言ってたけど、なんか変。もうちょっと素直に好きだって思えば?」

「見てきたようなこと言うんだな、さらっと」

「私、わりとカンがいいから。いいじゃん、相手が吸血鬼でも男でも。もっと自分を解放してあげた方がいいよ、多分」


何だこいつ。普段は俺のことバカにしていじってばかりのくせに、たまにはいいこと言うじゃないか。結構適切なアドバイスだ。ん? なんで適切だってわかるんだ、俺は。


「…そうかな」

「そうだよ。障害あってもいいじゃない。頭でぐるぐる考えててもしょうがないし」


頭でぐるぐる考えるのは、俺のくせだ。悪いくせはなかなか直らない。直したいとは思うけれど、同じパターンにはまりこむと、いつまでたっても抜けられない。


「その人のこと、好き?」

「え、ここでそんなこと言うのかよ」

「ほらーそういうところが。好きなら好きって何でうなずけないの?」

「…何となく恥ずかしいから」

「それ無駄な恥入りだから。捨てちゃえ捨てちゃえ。誰も山本さんのことなんか気にしてないって」


誰もって、ひどいな。でも、多分俺のことなんか誰も気にしていない。みんな自分のことをどうにかするので精一杯だ。ある意味、俺を気にしてくれているのは、田中だけだ。


「じゃあ、好きかも」

「かも、じゃないでしょ」

「好きです」

「やだ、私に告られても困るわあ」

「お前じゃない。俺は田中が好きだって言ってるんだ」

「ほら、それそれ。そうやって素直に認めればいいんだってば。彼氏、田中さんって言うんだ?」

「わあ、今のなし、聞かなかったことにしてください」

「後で飲み物何か買ってきて。ペットボトル一本分のパシリで許すから」


ドトールのコーヒーをすすり終わって、LINE女は俺にパシリを命じた。悔しいけど、飲み物一本買って捧げるしかない。それに、こいつ結構いいこと言った。いろいろと。障害あっても好きならそれでいいのか。そんな単純なことなのか。同じ生き物じゃなくてもいいのか。


「今度、飯でも食いに行く?」


申し訳なくなって、俺は心にもないことを言ってみた。マジで心にもないことだ。


「いらなーい。それより田中さんとご飯食べた方がいいよ。田中さんにすっごい美味しいもの作ってもらいなよ。多分、お料理の中にいろいろ入ってるよ。入ってるものに気付いたらきっと泣けてくるかもね。田中さんの作ったもの食べて泣いたら大正解だよ」

「え、そうなの?」

「私のカンだけどね。じゃあもう1時になるから行くわ。そうだな、後でポカリ買ってきてね」


 ポカリなのかよ。まあいいや。LINE女は相変わらず何の悩みもなさそうな顔で、別の部署へと帰って行った。


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