月のかたちと二人のかたち
鹿島 茜
第1話 中秋の明月
今年の中秋の明月は、いつもより真ん丸らしい。この真ん丸が今度見られるのは、8年後くらい後になるらしい。そんなにありがたい真ん丸ならばもっと目をこらして見た方がいいかと思ったが、あいにく俺は目が悪い。真ん丸の月は見えるが、その左右にも重なって月が見える。つまり月が三つ重なって見える。メガネは二つ持っているが、どちらも大した違いはない。
「メガネ、こんなことで買い換えるのもな」
二つのメガネを両手に持って、ぶらぶらと揺らしてみる。昔は視力に自信があった。今は視力が悪いことに関しては絶対的な自信がある。全くもって自慢にならない。メガネもコンタクトも結構値段が張るし、結構なハンディだなとしみじみ思う。子どもの頃の視力のままなら、何も道具はいらないのにと残念に感じる。
俺は特に天体観測の趣味は持っていない。今、中秋の明月を見上げているのも、単なる偶然だ。テレビでニュースを見ていたら、中秋の明月が毎年必ずしも満月ではないということを言っていたので、意外と珍しいものなのかと空を仰いでみただけだった。今日は仕事も定時で終わり、特に何もすることもないから、自宅でのんびりと食事をしていたところだった。食事と言っても面倒なのでコンビニの弁当だが。男の一人暮らしはこれかだらいけない。もっとまめに自炊してまともな食事をしないと、そのうち身体を壊してしまうかもしれない。が、俺はまだせいぜい三十年弱しか人生を送っていないから、まだコンビニ弁当でも心配しなくてもいいと思う。
月を一緒に眺める家族もいない。家族はいるが、大学入学と同時に実家を出て東京へ来てしまったから、ずっと一人暮らしだ。そしてもっと残念なことに、俺には付き合っている彼女もいない。以前はいたが、別れた。いや、ふられた。もう4年くらい経つので、彼女いない歴も長い。彼女いない歴、という言葉自体がなんとなく古い気がする。以前から言葉の選びかたがどことなく昭和くさいと言われていた。それのどこが悪いのかと思うが、いけないのだろうか。
「散歩にでも行くか」
小さなアパートの一室で閉じ込められながら月を眺めるのも窮屈に感じて、俺は近所を散歩するために玄関に向かった。靴をはきながら、この週末はさぼっていた掃除機かけをしようと思い付く。掃除は嫌いではないが面倒だった。
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