2「城の警備はいったいどうなっておるのじゃ?」

 正直なところ、ロビンはニールセンがこうも簡単に、ジルのとりこになるとは思っていなかった。

 気に入らずに癇癪を起こした挙句に、死ぬだの殺されるだの勝手な妄想で周囲の人間を振り回してくれる――よりは、すこぶる好ましい状況ではあるのだが……。

 しかし、そのすっかり布抜けた様子は、だらしないことこの上ない。せっかくの高貴で美しい顔立ちも、どことなく締まりがない。



 仕方がないので、ロビンは目を通すべき文書全てに、ニールセンの筆跡を真似て代わりに署名をした。

 そこは影武者、署名くらいは容易いことだ。


「じゃあ、ハンコだけでも」


「勝手に押しておくがよい」


 ニールセンは、肌身離さず首から下げている、皇帝のみその所持使用を認められた皇帝印を、面倒くさそうに外しロビン目掛けて放った。


「ぐああーっ!」


 ロビンは叫び声を上げ、放られた皇帝印を間一髪で避けた。印はそのまま床の上を転がっていく。

 


 皇帝印はとかく神聖なもの。

 皇帝以外の何人もそれに触れることすら許されていない。万が一触れようものなら、帝国審判の場に引き出され、エライ目にあうこと間違いないのだ。

 無事避けきれた幸運に安堵したのもつかの間、次第にやるせない怒りに満ちてくる。

 ロビン文書箱のふたを使って、器用に皇帝印をすくうようにして拾った。手を触れないためにはこの方法しかない。

 そして、そのままニールセンの背後から近づき、耳元で怒鳴るように言った。


「ちょっと、ニール様! 仕事もろくに出来ないような男は、女性に相手にされませんよ?」


「余は皇后がおればそれでよい」


 もはやつける薬はないようだ。手遅れである。




「男はね、仕事も遊びも上手にこなせるようでなければ存在する価値なしですよ?」


 突然響いた男の声に二人は飛び上がった。恐る恐る、その声のするドアの方を振り返ると――。


 嫌味なほどの気障な笑顔で、愛想を振りまく若い青年の姿。ニールセンがもっともいけ好かない要注意人物だ。

 皇帝はヒイイと情けない悲鳴をあげ、勢いよく立ち上がると強引にロビンの腕を引っ張り、ヴィンレットから逃げるようにして執政室の隅へと移動した。


「またこやつを勝手に城に入れおって! 城の警備はいったいどうなっておるのじゃ? 給金泥棒めがー!」


「し、仕方ないでしょ? アイゼン公は排除されるべき対象じゃありませんから、ねぇ……」


「余が死んだらヴィンレットが皇帝になるのであるぞ? こんなところまでホイホイ入れて、余がこやつの毒牙にかかっても良いというのかっ!? おのれはーっ!?」


「ど、毒牙だなんて、そんなことは……ない、と思います……けど?」


 ロビンはヴィンレットの方をちらり見やった。

 それでいい、と言わんばかりの満足気な視線をロビンに向けている。


「ご安心を、陛下。僕は自分の手を汚したりしませんから。むしろ僕がそばにいるということは安全の証明ですよ? ははは」


 ヒイイと、再びニールセンが半狂乱の悲鳴が、執政室にこだました。


 ロビン少年はニールセンに同情しつつ、すぐそばで軽快に笑う皇帝の叔父の姿を、複雑な心境で見つめていた。






 執政室の空気が淀んでいる。

 皇帝とその叔父に挟まれるようにして、ロビン少年はいたたまれぬ気持ちで一杯だった。


 ヴィンレットに脅されたとはいえ、ニールセンの天敵をこの執政室にまで入れてしまった――何事もなく済めばよいが、期待は薄い。

 お手柔らかに、今のロビンにはそう願うほかはない。




 切り出したのは叔父・ヴィンレットのほうだった。胸ポケットから、一通の封筒のようなものを取り出した。


「今日はこれを陛下に直接お渡ししようと思いまして」


 ヴィンレットは気障すぎるほどの優雅な立ち居振舞いで、颯爽とロビン少年の元へと近づいていき、それを渡した。

 芳しき上質の香りがする。貴婦人用の香水とは違い、爽やかさの中に野生的な深みも感じられ、それでいて甘く豊かな空気をまとわせている。


 ニールセンがヴィンレットを苦手とする理由に、この香水も一因としてあった。それはあくまでたくさんある理由の「たった一つ」に過ぎなかったりするのだが……。


 ニールセンは叔父の行動を嫌悪感丸出しの顔で睨みつけ、上着の袖をぶんぶん振り回して周囲の空気を寄せ付けぬよう押し返し、やがて疲れて息が上がってしまうと、プイとワザとらしく顔をそむけた。


「書付けならわざわざここに来ずとも、ジイに渡せばよいではないか。余はおぬしの顔など見とうないわ」


 確かに、皇帝に直接文書を手渡すことなど、普通は出来ないことになっている。

 皇帝の執務内容や行動予定は、すべてピンガじいをはじめとする大臣連中が決めてしまうため、ニールセンが文書類を受け取る必要はなかった。

 それは、いくら地位の高いヴィンレットでも同じこと。例外は認められていないはずだ。


「ははは、この僕の顔を見たくないとおっしゃるのは、陛下だけですよ? どこへ行ったって引っ張りだこなんですけどねえ」


「であれば、早々に立ち去って、勝手にどこぞで引っ張られておればよいではないか」


 ニールセンのそんな非友好的な態度も、ヴィンレットには何の効果もないようだ。

 逆にそれを楽しむかのように、余裕たっぷりに微笑んでみせる。

 その爽やかな笑顔の下には一体何が隠されているやら――。

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