2「余の地位を狙う一番の危険人物ぞ?」

「ハハッ、それなら、陛下がたぶらかされなければいいだけの話、でしょうに?」



 二人しかいないはずのニールセンの寝室に、よく通る男の声が響いた。

 驚いて、声のする寝室入り口を、二人は同時に振り返った。

 するとそこには、灰色の第一礼装を身につけた貴族の男が立っていた。

 非常によく知っている人物だ。


「ヴィンレット!?」


「あ、おはようございます、アイゼン公」


 ニールセンはその男の姿を自分の目ではっきりと捉えると、同じく寝所のそばに驚き立ち尽くしているロビンの腕を、強引に引っ張った。

 そして聞こえるか聞こえないかくらいの声量で、まくし立てるように言った。


「勝手に城内に入れるなといつも申しておろう! 余の地位を狙う一番の危険人物ぞ?」


 ニールセンは必死だ。

 ロビンは困惑を隠せない。いくら皇帝の側近の孫だからといって、ニールセンだけに肩入れするわけにはいかないほど、やってきた男は地位の高い人物だからだ。


「そ、そんなこと言われても、皇位継承権一位のお方に立ち入り禁止などと言える人間は、この国にはおりませんよ」


「おのれは、皇帝である余に対しては慇懃無礼な態度のくせしてか!? その口は何のためについておるのじゃー!!」


 ニールセンは寝所から飛び下り、ロビンの頬を思い切りつねると、そのまま寝所の中へと投げ込んだ。


 皇帝、ご乱心――。






 ヴィンレット・アイゼンは嫌味なくらいの優雅な笑顔をニールセンに向けた。


「ご機嫌麗しゅう、皇帝陛下殿」


 ニールセンは顔をそむけたまま、寝室内に置かれた皇帝専用の絢爛な椅子に腰掛けた。

 謁見の間にある玉座よりも二まわりほど小さいが、一般的な椅子よりは大きく、はるかに豪華で美しい。

 夜着を羽織ったまま、ニールセンは肘掛にもたれふんぞり返った。そして歳の変わらぬ目の前の若き青年に、はき捨てるように言い放つ。


「麗しいどころか、おぬしのせいで斜めに傾いておるわ! 何用ぞ? 余に用事がないのであれば早々に立ち去るがよい」


 ニールセンの毒舌も、このヴィンレットにとってはどこ吹く風。優雅なため息を一つ吐いてみせる。


「相変わらずつれないことを。同い年とはいえ、僕は陛下の叔父なんですよ? もう少し敬いの気持ちを持ってくださってもよいと思うのですが?」




 ヴィンレット・アイゼンは、ニールセンの父である先帝の弟にあたる人物である。

 随分と歳が離れた兄弟だったため、叔父と甥が同い歳という奇妙な間柄なのだ。

 その事実が、ヴィンレットに対するニールセンの敵対心を、一段と助長している。


 ニールセンが亡き者になれば、次期皇帝はこのヴィンレット――。


 その鍛えられ引き締まった身体と洗練された身のこなしは、ニールセンが持ち合わせていないものである。

 世渡り上手なヴィンレットは、社交界の貴婦人たちにも人気は非常に高い。そして遊び方もよく心得ているらしい。


 うらやましくないと言えば、もちろんそれは嘘。




 ヴィンレットは気障ったらしく、きれいに整えられた茶色の短髪をかき上げた。


「皇后様となられるお方には、叔父の僕も当然ご挨拶をしておかなければならないでしょうに。マイシェル公の姫君ときたら絶世の美女と誉れ高いんですよ? 城にこもりっきりの陛下はご存知ないでしょうけど」


 ヴィンレットはゆっくりとニールセンの元へと近づいてくる。


 皇帝といえば神と等しい――。

 貴族の社交場などに顔を出すことのないニールセンにとって、この遊び人の叔父の話はかなり重要だ。


「……それほどまでに、美しいのか?」


 ニールセンが興味深げに尋ねる。

 その様子を見て、ヴィンレットはこの上ないくらいの愛想笑いをしてみせた。その笑顔の奥には、何が隠されているやら――。

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