3「顔くらい見ても……よかろう」

「そりゃもう。微塵の欠点もないんですよ。陛下が娶りたくないのであれば、僕が貰いうけますよ。マイシェル公は借金のかたに姫君を差し出すわけなんだから、僕がそのお金を出せば文句はないでしょう?」


 若くして大貴族の当主となった苦労知らずのヴィンレットは、この皇帝に次ぐ財力の持ち主なのだ。

 アイゼン公と名乗っているが、れっきとした皇帝アリエス家の血筋だ。


 しかし。




「ならぬ、ならぬ、ならぬ、ならぬわ!」


 ニールセンは声を荒げ、勢いあまって立ち上がった。


「無理やり結婚させられるのは嫌じゃが、おぬしに取られるのはもっと嫌じゃ。絶対に嫌じゃ。嫌といったら嫌じゃ」


 あまりに興奮してしまったのか、ニールセンはすっかり息が上がっている。深刻な運動不足だ。

 その激しい剣幕に、ヴィンレットは目を丸くしていたが――やがて何でもないといった風に肩をすくめてみせた。




 それまで、皇帝とその叔父貴族とのいつものやり取りを傍観していたロビンは、やれやれと微笑んでみせた。

 結局は、こうなるのだ。


「あ、ようやく乗り気になってくれたんですね、ニール様」


 上手く丸め込まれてしまってばつが悪いのか――ニールセンは咳払いを一つした。


「顔くらい見ても……よかろう」


 ニールセンはヴィンレットの前を横切り、用意されていた祝典用の正装に着替え始めた。細かな装飾品は、あとで衣装係が付けることになっている。

 銀と白の地に、青い線が幾筋も縫い込まれている。胸には皇帝アリエス家の紋章。


 皇帝のみにその着用を許された、誉れ高き栄光の座の証――。




「余のことを、気に入ってくれるであろうか?」


 いくつもある上着のボタンを一つ一つ掛けながら、ニールセンは弱々しく言った。

 同じ年頃の娘と話すのは、ニールセンにとって初めてのことなのだ。

 自分がどういう評価をされるのか、不安で不安でしょうがないのである。

 しかし、この叔父――。


「ははは、陛下。気に入るも何も、向こうには選択の余地はありませんからね。本当、貧乏はしたくないもんですねえ」


 ヴィンレット青年の軽快な笑い声が、ニールセンの心を締め付けた。


 その原因は、ニールセン自身にも分かっていない。






 時の権力者に不可欠なもの――。

 それは何と言っても、頑固で口うるさい「じい」である。お約束中のお約束だ。

 特にニールセンのように、生まれながらにして皇帝となることを運命づけられた人間には、至極当たり前のように「じい」が存在している。



 今日は一国の一大イベント・婚礼の儀である。

 重要度のランクでは即位の儀式、葬礼の儀式についで三番目であるが、その華やかさではそれらの儀式の比ではない。


 城内はもちろん、城下は異様な興奮と熱気に包まれていた。皇后がやってくるであろう城門から城の前の広場にに至るまで多くの民が集まり、ごったがえしている。



 しかし城内は城内でも、皇帝の住まう新宮では、一転して冷め切った空気――。

 いや、この男だけは別の意味で熱かった。

 禿げ上がった頭から湯気を立ち上らせながら。


「陛下! どこに居られるのですかーっ!」


 人気のない新宮の回廊に、皇帝のじい、ピンガ・バックスのしゃがれ声がこだました。

 もうすぐ皇后が城下に入られることになっている。

 少なくとも皇帝はバルコニーへ出て皇后を迎え入れなければ、格好がつかない。


 しかし当の皇帝は、今朝になってようやくやる気を出したかと思ったら、直前で『とんずら』してしまったのである。

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