恋に落ちた皇帝陛下
真辺 千緋呂
運命の出会い編
1「余はもうすぐ死ぬ……」
「余はもうすぐ死ぬ……」
豪奢で壮麗な、透かし彫りの天蓋つきの寝所に、男は横たわっていた。
天井から垂らされた最上質の織布には、この国を統治するアリエス家の紋章が、銀糸で刺繍されている。
ニールセン・アリエス。それが男の名だ。
一年前に、十七歳にしてこの帝国の四代皇帝の座に就いたばかりだった。
そして先日、十八歳になった。
「朝っぱらから何つまらないこと言ってるんですか。さっさと朝ご飯を済ませてください」
ニールセンの教育係である側近の老君が、ピンガ・バックスである。この少年は、その口うるさいピンガの孫にあたる、ロビン・バックスだ。
ロビン少年は二つ年下であるが、ニールセンの影武者として幼少の頃から兄弟のように育てられてきた。
ときに毒見役、ときに小間使い、ときに影武者。
運ばれてきた朝食のワゴンを、ロビンは手早く寝所のそばまで移動させた。
そしておもむろにスープを飲み、柔らかなパンをちぎって口に押し込んだ。
「ふぉら、毒なんてふぁいってまふぇんよ。ニール様、どうぞ」
毒見という量の範疇をいつも超えている。ニールセンはいつだって、このロビンの食い散らかした後を片付けているようなものだった。
これでは食欲など出るはずもない。
どうぞと言われても、到底起き上がる気にはなれない。
ロビンはいつまでも寝所でくすぶっているニールセンに、いつものごとくてきぱき指示を出す。
そのやかましさは祖父譲りだ。
「今日はニール様の皇后様をお迎えする大切な日ですよ。今日は祝典用の正装に着替えてもらいますからね」
「だから、余は死ぬと申しておろう」
生まれながらにして皇帝の地位を約束されてきたニールセンは、大切に育てられたがゆえ、俗世間のことなど何も知らず、人付き合いが苦手だった。
それを頭の固い元老院の長老たちは『皇帝たるもの后を娶りお世継ぎを誕生させてこそ一人前』と、ニールセンの知らぬところで勝手に話を進めてしまったのである。
「そんな、顔も見たことのない氏素性の分からぬ娘など……」
そう言ってニールセンは起き上がるどころか再び掛布にくるまり直した。
ロビンはため息をつきつつ、織布をかき分け寝所に入り込み、ニールセンの上にまたがるようにして、無理やり掛布を剥がしにかかる。
「何言ってるんですか、まったく。隣国の王のご息女は、それは大変な美貌の持ち主だって話じゃないですか。まあ、ニール様はやっかまれて刺されちゃったりすることはあるかもしれないですけど」
ニールセンも負けじとロビンの手から掛布を取り返そうと、必死の形相だ。
日の光を長時間浴びたことのない、抜けるように白い顔肌。猛々しさとは無縁だが、皇帝アリエス家の血統に相応しい品格のある美しい顔の造りだ。
「余の命を狙っているに決まっておろう」
しかし性格はいたって悲観的。権力者ゆえの命の危険や不安を、生まれながらにして持ってしまった宿命なのであろうか。
決してそれだけではあるまい。命の危険さなら、影武者のロビンのほうがずっと高いはずだ。
掛布の取り合いが続く。しかしもう裂ける寸前。ロビンは仕方なく手を離した。
裂いてしまったら、皇帝寝室係のものに文句を言われるのはもちろんロビンだからだ。
力ずくは諦めて、ロビンはニールセンの寝所から下りた。そして掛布に包まれたニールセンの顔の真上から、大きな声で嫌味を言った。
「そのニール様の疑い深い神経というか妄想癖? 何とかしないと皇后様に嫌われますよ?」
わずかに反応した。効果ありの様子だ。
すると突然、ニールセンは自ら掛布をはいだ。ロビンと至近距離で見つめあう。
ニールセンの目は怯えている。
「そうでなければ、その美貌とやらで余をたぶらかして、この国を乗っ取るつもりなのじゃ」
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