6「出来ませんの?」 「……何とかします」

 ロビンは目まぐるしく多忙な時を過ごしていた。

 皇帝ニールセン、来たる先帝の一周忌の打ち合わせのため、本日はジイのピンガとともに執政室にこもりっきりである。

 どうせろくに話も聞かずに、ぼうっとしているに違いない。

 ただ、ロビン少年相手とは違い、ピンガじいが相手だときっと小動物のようにおとなしくなっていることだろう。


 ――やれやれ。


 ニールセンの側を離れ一人身軽になっても、ロビンにはしなければならないことがたくさんあった。


 まずは、これ。

 恐ろしく気が進まない。


 しかし、ニールセンの命令をきかないわけにはいかない。

 足取り重くロビン少年が向かった先は――皇后ジルのおわす、『西宮』と呼ばれる建物だった。




「まあ? 本当によろしいのですか?」


 ジルは意外そうに、その透き通った深緑の瞳を大きく瞬かせた。

 ロビンは驚いていた。

 高潔な美しさを惜しげもなくあたりに振りまいている、絶世の美女と誉れ高き皇后の、そのあどけない笑顔に――ではない。


 その床。その壁。ありとあらゆる装飾品。

 ロビンが普段見慣れている皇帝私室のそれらよりも、遥かに上質であることが一目で分かったからだ。


 ――いつの間にこんな……。


 ロビンの及び知らぬところで、大きな力が動いている。

 大きな力? いや、違う。


 大きな『金』が動いている。




 恐ろしく嫌な予感がしながらも、努めてそれを隠し、何とか冷静な対応を試みた。


「……ええ。ニール様より、舞踏会の衣装小物全て、ジル様のお好きなように揃えるようにとの仰せですので」


 ロビンの言葉に、ジルは嬉しさのあまり腰掛けていたソファから立ち上がった。

 そして、滑らかな青のドレスの生地を軽くたくし上げ、入り口ドアの側に立つロビンの方へ、優雅な所作で歩み寄る。


「では、陛下もご一緒に揃いの衣装をお作りになられたらよろしいですわ。それがいいわ、そうしましょう」


「ニール様はご出席されません。ジル様には僕が介添えとしてお供するようにと仰せつかっております」


 ロビンはジルに軽くお辞儀をした。

 しかし、ジルには意外だったようだ。一瞬にして、その美しい顔から笑みが消えた。

 つまらなさ全開だ。


「あら、そうですの? 陛下はお忙しいのかしら?」


 婚礼からまだふた月とたっておらず、未だ皇帝ニールセンと生活を共にしていないジルには、彼の持つ数え切れぬほどの致命的な欠点が、まだまだ見えていないようだ。

 ロビンは軽くため息をつき、ジルに説明をした。


「ニール様に踊りなど……老人に逆立ちをして歩けと言うようなものですから」


 そこまで言って、ロビンは口をつぐんだ。

 ニールセンの駄目さ加減を言い出したらキリがないのだが、いまここであえて言うことでもない、と気付いたからだ。

 陰口はロビンの思うところではない。

 ロビンがジルの様子をうかがうようにしていると、一体何が心を掴んだか――わずかに微笑を取り戻している。


「アイゼン公爵様とは、随分と対照的なんですのね。同い年だと伺いましたけど」


 ロビンの心臓が一気に縮み上がった。

 これで、すべてが繋がった。

 昨日の午後に、ヴィンレットがジルのもとを訪ねていたという長老たちの目撃証言がいま、充分な説得力をもって示されたのだ。


「…………やっぱり。ジル様、つかぬ事をお伺いしても?」


「よろしくてよ。一体、なんですの?」


 ジルは首を斜めに傾げ、屈託のない笑顔を見せた。

 その素適な笑顔に、ロビンは一瞬ためらったが――しかし、これは訊かずにはおれない。


「この部屋の内装が変わったのは、アイゼン公の仕業ですね!?」


 金の力にもの言わせて、なんてマネを。

 しかも。

 自分の屋敷ならいざ知らず、いけしゃあしゃあと宮殿の中をいじるなど。

 ロビンがいきなり大声を出したので、ジルは驚いたようだ。大きな瞳がさらに大きく見開かれる。


「そうなのですか? 私はよく存じませんが、昨日こちらに公爵様が見えられたときに、室内装飾のお話になりまして。私はただ、フェンドル王朝の様式が好きだと申し上げただけですわ」


「……で、その日のうちに一式揃えたってことですか!? ニール様が知ったら大変なことになりますよ!!」


 一人取り乱しあせりまくるロビン少年に対して、ジルはたいしたことはないといった風に、切り捨てた。


「ロビンさん。私が欲しいとねだったのではありませんよ。お間違えにならないでくださいます?」



 好きだと言ったが、欲しいとは言っていない。

 ひと言で済ませてしまった。さすがだ。


「私が欲しいものは、陛下からいただきますわ。そうそう、舞踏会の衣装、ね。――ねえ、ロビンさん。レヴィランの泉のほとりに咲くというピアラというお花をご存知?」


 ジルの話はどんどん変化する。ロビンはとっさに話を振られ、それに何とかついていこうと、必死に頭脳を働かせる。


「レヴィラン……って、あの帝国神話に出てくる芸術の女神の棲む泉ですか? ええと、確か花茶の原料になるプアラの花と姿かたちは似ていて、香りは素晴らしいけど猛毒を持つというものですよね」


「ええ、そうよ。私の一番好きな花」


 なるほど、とロビンは納得した。

 あなたこそが、ピアラの花のよう――と、のどまで出かかった。が、かろうじて耐えた。


「顔を覆うベールにはピアラの紋様を銀糸で刺繍するように。ドレスの生地は南方のケレス地方の緋色で。通常の倍尺でひだ付けするように。ティアラの宝石は深紅がよろしいですわね。エマ島で美しい石が採れると耳にしたことがありますわ。お揃いの胸飾りを忘れずにね」


 はっきりとした意思表示は貴族の証である。

 しかし、ジルの場合。それに付随する手間を一切関知しない、というところに大きな問題がある。



 ベールの刺繍。職人を寝かせぬつもりだろう。

 南方ケレス産の生地。取り寄せるだけで十日はかかる。

 エマ島の宝石に至っては、舶来品だ。



「――ジル様。舞踏会は三日後ですよ? とてもそんな……」


「出来ませんの?」


「…………何とかします」


 皇后ジルの不可能を知らぬ眼差しに、ロビンはたやすく負けたのだった……。

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