7「また『余は死ぬ』とか言うんですか?」

 ロビンの頑張りの甲斐あって、舞踏会当日の午後には、ジルの所望した品すべてが『西宮』へと届けられた。


「南方ケレス産の布地は、運よくバークレー商会にございまして。ご所望どおりの倍尺で仕立てさせました。エマ島の宝石は鉱山組合に掛け合いまして、その際の僕の苦労話だけで一冊の本になるくらい、まあ、僕のことなんかどうでもいいんですが、そうしてようやく手に入れました逸品です。どうぞ、お確かめください」


 文句など、言わせない。

 金銭的なことは言いたくないのだが、今回の舞踏会用の支度だけで、交際費の年間予算のなんと、五割を使い果たした。

 一国の財政を傾ける、とはよく言ったものだ。ホントに。



 ジルはひとつひとつ箱を開け、中身を確かめていく。

 刺繍入りヴェール、流れるようなひだが美しいドレス、赤い花をかたどったティアラ。

 可もなく不可もない、というのがジルの評価らしい。


「身に着けてみますわ」


「お似合いですよ、きっと」


 ロビン、お付きの侍女に手伝いを任せ、一旦退室した。

 そのまま廊下で待つこと、一刻ほど――。

 ジルが衣装をすべて整えたと、侍女がロビンに知らせに来た。




 ちょうどそこへ、なんと。


 スポンサーであるニールセンが、珍しく自発的にジルのもとへ訪れてきたではないか。

 よくよく見ると、片足をわずかに引きずっている。ひねった足はまだ治っていないようだ。

 ロビンは気を利かせ、ジルの部屋に先に入るようにとニールセンを促した。


 部屋の中央には、緋色の豪奢なドレスに身を包んだ、優雅な微笑を絶やさぬ一人の少女――。



「皇后よ」


 ニールセンが珍しく神妙な面持ちで言った。

 黙って立っている分には、気品に満ちあふれた申し分ない美青年だ。


「そなたは本当に美しい。余の皇后にはもったいないほどにな」


 じっと、ジルを見つめている。普段のシンプルなドレスも似合うと思うが、――夜会用の衣装を身にまとうと、その類稀なる美しさはさらに磨きがかかる。


「それを仰られますなら、陛下」


 ジルは嬉しいような恥ずかしいような、複雑な笑みを浮かべている。


「余の皇后に相応しいほどに、と。そのほうが嬉しいですわ」


 ニールセンは声を立てずに爽やかに微笑み、首を縦に振ってジルに応えた。


「――ヴィンレットに、出席かなわずすまぬと申し伝えよ。楽しんでまいるがよい」


「はい、陛下。ではこちらを」


 そう言って、ジルがテーブルの上に置かれた小物類の中から選び出したのは――。


「これは一体、何じゃ?」


「私のティアラとお揃いの、ピアラの花の胸飾りですわ。お忙しい陛下のために、せめてお気持ちだけでも共にありたいと思いまして、作らせましたのよ」


「お揃いか。きれいな花ではないか」


 ニールセンがその胸飾りをポケットに差し込むと、ジルは満足そうに微笑んだ。


「ではロビンさん、お先に入り口でお待ちしておりますわ」


 ロビンは未だ宮廷役人の灰色の上下に身を包んだままだ。皇帝ニールセンの影武者として、相応の衣装に着替えなければならない。


「わかりました。僕もすぐに向かいます」






 皇后を見送り、西宮の廊下から新宮へと戻ろうという時――。


「ロービーンー」


 悪いことでも企んでいそうなニールセンの呼び声に、ロビンは嫌な予感がした。


「何なんですか? そのいきなり人の変わったような情けない顔は……さっきまでジル様に見せていた『格好いいし理解もある皇帝陛下』はどこ行っちゃったんですか??」


「分かっておろうな? 不必要にヴィンレットを近づけるでないぞ!? まかり間違ってそんな羽目になれば――」


 ロビンの耳元で、ニールセンは不気味なまでの凄んだ顔でまくし立てた。

 しかし。毎日毎日、同じような状況を乗り越えてきているロビンにとっては、その扱いは取るに足らない。

 顔も向けずに軽くあしらってみせる。


「また『余は死ぬ』とか言うんですか? そんな、軟弱なこと言ってばかりいると――」


 言い終わらないうちに、ニールセンがロビンの胸倉を掴み、激しく揺さぶり始めた。

 不意打ちである。


「おぬしは分かっておらんな。自ら命絶たずとも、皇后をアヤツに取られることがあれば、余は失脚し、城の前の広場で公開処刑ぞ!? そして次の皇帝は、あの忌まわしきヴィンレットのバカがぁぁぁ! わあぁぁぁ」


 ロビンは必死になって、胸倉掴まれたニールセンの腕を振り払った。するとその反動で、ニールセンが勢いあまって床の上を転がっていく。

 へなちょこにもほどがある。


「いつからこの国の法律は、色恋沙汰で皇位継承権が移ることになったんです!? 被害妄想も甚だしいですよ……」


「もうよい、さっさと行かぬか! 余は足が痛い。今日は早々に休む。思う存分、ブトウというものを楽しんでまいったらヨイではないか? んん?」


 床に這いつくばりながら、ロビンを見上げる視線が恨めしい。

 完全、すねすねモードだ。

 こうなってしまうと、ロビンでも手のつけようがない。

 後のことはピンガじいにまかせることにして、ロビンはジルとともに城下へと繰り出した。


 ――行き先はアイゼン公爵邸、である。

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