8「あれだけ嫌がってたくせに……」

 本日の舞踏会は「仮装舞踏形式」である。

 女性はみなヴェールで顔を包み、男性は目の部分がくりぬかれたさまざまな形の仮面をつけている。


 この国では祭りごとがあると仮装をして賑やかに踊る慣わしがある。そのため貴族に限らず平民でも、仮面やヴェールの一つや二つは持っていて当たり前だった。


 ロビンとジルがお輿に乗ってアイゼン公爵邸へ到着したときには、正門前の広場は貴族が乗ってきたお輿によって、辺りは埋め尽くされていた。それぞれのお輿にはお輿用人が二人ずつ、ついている。


 青い仮面をつけたロビンの後を、ピアラの花の紋様のヴェールで顔を覆ったジルがついて歩く。サマにならないので、ロビンはジルと腕を組もうとしたが――ニールセンの恨めしい顔が浮かび上がり、慌てて首を振った。


 ――いくら役得とはいえ……バレたらきっと、殺される。


 不自然なくらいの距離感がちょうどいいのだ。




 正面玄関へ到着すると、そこにはアイゼン公爵家の執事が、招待客の受付をしていた。ロビンの姿をとらえると、一礼し、すぐさま建物の中へと消えていく。

 ロビンと執事とは古くからの顔見知りだ。恐らく若き主人に、ロビンとその連れが来たら知らせるように、と言い付けられたに違いない。

 その証拠に、当主自ら、すぐに二人を出迎えにきた。


「ジル殿。ようこそおいでくださいました。素適なドレスですね。一段とお美しいですよ」


「陛下が出席できないことを詫びておられましたわ。それにしても……公爵様のお住まいは随分と華やかでいらっしゃいますのね。驚きましたわ」


「これはこれはお世辞がお上手。敷地など、お城の半分しかないんですよ。お恥ずかしい限りです」


 そんな調子のいいヴィンレットをたしなめるように、ロビンは冷ややかに言った。


「恥ずかしいだなんて……アイゼン公にそんな謙虚な気持ちがあったなんて、初めて知りましたよ」


 ヴィンレットは声を出さずに、片頬を引きつらせて笑った。そしてロビンの右腕をおもむろに掴んで、ジルへ背中を向けさせた。

 聞こえてはマズい話、らしい。

 ヴィンレットはロビンの耳元でささやくように言う。


「やっぱり来なかったか、ニールセンのやつ。まあ、あいつは運動能力ゼロだからな。楽しく踊りたくても踊れないさ」


 妙に身体を近づけてくるヴィンレットが、ただならぬ雰囲気をかもし出している。こうも魂胆見え見えでは、逆に潔く感じるほど。

 もう、どうにでもなれ、とロビンは諦めの境地だ。


「……アイゼン公、お手柔らかに頼みますよ?」


「叔父が自分の甥の伴侶と言葉を交わすことが、そんなに罪なことか?」


「それだけで終わるんなら誰も文句言いませんし、世界は平和なままで、この国は末永く安泰ですよ!」


 ヴィンレットはロビンの嫌味に臆することなく、最上級の素適な笑顔を造り、再びジルの方へと振り返った。


「では、手始めに一曲、お相手願えますか?」


「ええ。久しぶりですので、導いてくださると嬉しいですわ」


 ヴィンレットはジルの手をとると、広間の中央まで進み、片手を上げて指を鳴らしてみせた。

 それを合図に、音楽の演奏が始まる。

 ヴィンレットとジルは見つめ合いながら、調べに寄り添うようにして右へ左へ自由に舞う。

 ときおり、ヴィンレットはジルに何かを語りかけているようだ。とびきりの口説き文句を披露しているに違いない。




 ロビンはヴィンレットとジルの踊る姿を眺めていた。ロビンだけではない。気付くと周囲の貴族たちの視線をすべて集めている。


 美しい。何もかもが美しい。

 悔しいけれど、お似合いだ。


 もちろんニールセンだって、見た目だけならなかなかの美丈夫だ。ジルと並んで寄り添う姿は、神の御使いと思し召すほど清純な美しさを放っている。


 しかし。

 ヴィンレットは十人が十人、男前と認める端正な面持ちで、男性としての魅力にあふれている。贅肉のない引き締まった身体つき、洗練された身のこなし、知的な話術、優れた社交能力。


 ――ジルがアイゼン公に惹かれるのも時間の問題か……。




 もうじき、一曲踊り終えるようだ。

 ロビンはジルに飲み物を用意しようと、広間の隅に設置されたカウンターへと近づいた。


 ――冷たい花茶があれば……アイゼン公の好物だからきっと用意してあると……思う? ……け……どっ!?




 ロビンは思わず自分の目を疑った。


 カウンターのすぐ脇に、広間への出入り口がある。開け放してあるその出入り口の辺りで、出入りを繰り返す挙動不審な白い仮面の男――。

 胸ポケットには、先ほどこの目でしっかりと見た覚えのある、ピアラの花の胸飾りが差し込んである。


 ロビンはもう瞬きするのも忘れ、その男を食い入るように見つめた。

 疑惑は確信に変わった。


 ロビンはその男に気付かれぬようくるりと背を向けると、なりふり構わずに広間を斜めに突っ切って、最短距離でジルのもとへと走った。ちょうど踊り終えたところらしく、目的の人物は広間の中央にいた。


「ジっ、ジっ、ジル様っ!! 大変ですよっ!!」


 必死の形相で、ジルに訴えた。一大事である。

 ジルの側にはヴィンレットが控えている。


「どうしたのですロビンさん?」


「どうしたんだいロビンちゃん、広間を走り回るのはちょっとお行儀悪くないかな?」


「それどころじゃないですよ! 僕の見間違いでなければ……いや、見間違いであって欲しいですよ!」


 ロビンは恐る恐る、もう一度確かめるために振り返ると――。

 未だ、入り口付近でうろうろしている怪しげな男がいる。


「あれだけ嫌がってたくせに……ホントに素直じゃないんだから」


 そう言ってため息をつくロビンの視線の先を、ジルとヴィンレットは辿っていく。そして、すべてを理解したようだ。

 ジルの顔は嬉しそうに綻んだ。


「楽しかったですわ、公爵様。――では」


 ジルは軽く首をかしげて、ドレスの裾を軽く持ち上げ、礼儀正しく挨拶をした。

 舞踏会は始まったばかり。しかし、ジルはヴィンレットと踊るのを堪能したのか――もう充分だという意思表示をみせた。

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