5「陛下! ご先祖の御前ですぞ!」

 先帝の一年忌がしめやかに執り行われている、皇帝家御苑にて。

 やはり、ニールセンの隣は空いたままだった。


 黒い皇帝服に身を包み、はじめはおとなしく座っていたニールセンだが、やはり姿を現さぬ皇后のことが気になるようだ。

 周囲の人間への建前もあり、ニールセンは強気な態度を崩そうとしない。しかし、その態度とは裏腹に、そわそわと落ち着きなく動いている。


「もう我慢ならぬ。こうなれば余が皇后のもとへ参る。余はラスビーが嫌いだとはっきりと申さねばならん。そうじゃそうじゃ、言ってやらねば」


「……なりませぬぞ、陛下」


 しかし、あっけなくジイの反対にあう。

 空いた皇后席の反対隣にピンガじいは座っている。催事の進行を妨げぬように、声量を押さえて喋ってくる。


「何故じゃ? 余が頭を下げるのではない。様子を見に行くだけじゃ」


「ならぬといったら、なりませぬ」


「ジイもしつこいのう。このつまらぬ催しが終わってからなら良かろう? いつもの服に着替えねば――この真っ黒の祭事服姿を見たら、皇后は驚くかもしれぬ。……いや、少しくらい仕返しに驚かせてやったほうが良いのか?」


 意地を張っているが、何とか仲直りをするきっかけを見つけようと、あれやこれやと考えているらしい。

 もうかれこれ五日も顔を合わせていない。

 普段は住まいを共にしていなくても、食事を共にしたり、庭を案内がてら散策したりと、二日あけることなく会っていた。

 五日間はニールセンにとってギリギリ我慢できる限界だった。



「西宮に出向かれても無駄足ですぞ。ジル殿はもはや、西宮におわしませんからの」


 ピンガじいはニールセンのすぐ脇で、すばやく説明をした。言いにくいのか、ピンガは前を向いて座ったまま、傍らに腰掛けるニールセンと視線を合わせようとしない。


 状況を察した周囲の人間たちの顔に、緊張の色が走った。

 視線はみなニールセンの顔に注がれ、若き皇帝の続く言葉をじっと、固唾を飲んで見守っている。


「……何と申した?」


「元老院の決定なのですぞ、陛下」


 ニールセンは状況が把握できずに混乱しているのか――語調を荒げることなく、淡々と目の前のジイに問う。

 そしてピンガじいも、それに淡々と答えるばかり。


「この間、陛下にご説明申し上げたはず。別な后を娶らせると。ジル殿は隣国へお戻りになられたのです」


「戯言を申すでない」


「戯言ではございません」



 ニールセンの美しく整った人形のような顔が、小刻みに震えだした。

 深い青の両目はこれ以上ないほどに見開かれ、愕然とした表情でジイの顔を食い入るように見据えている。


 時間が止まった。

 そう感じるほど、ニールセンの世界のありとあらゆるものの、動きが止まり音もしなくなり――脳裏を駆け巡るのは、皇后ジルの優しい笑顔、照れたような笑顔、驚いたような笑顔、そして嬉しそうな笑顔。


 ――ああ。


 皇帝ニールセン、お壊れあそばした。

 この世に生を受けて早十八年。人生の中において最も激しい感情に支配された『皇帝陛下、ご乱心』、始まり始まり――。



「いやじゃいやじゃいやじゃーっ!」


 ニールセンはおもむろに立ち上がり、宮廷御用人の制止も振り切って、一年忌の祭壇の前の供物を、辺り構わず投げつけた。

 花かごは飛ぶわ、生菓子は大臣の顔に張り付くわ、帝国名物花酒の大瓶を掴み、その場でぐるぐる回り遠心力を利用して次々投げ飛ばすわ……。

 来賓席から悲鳴が上がる。


「余を置いてどこに行くと申すか! 許さぬ、そのようなこと許した覚えなどないわ! 皇后! 皇后!! 余の声が聞こえぬのか!」


 ニールセンは尚も花酒の大瓶を振り回しながら、皇帝家御苑から目と鼻の先の西宮へ向かって、絶叫を繰り返す。

 しかしいくら叫んでも、西宮は静まり返ったまま。騒ぎを聞きつけて誰かが出てくるという気配もない。御用人の姿もない。


 西宮にはもはや、誰もいない――。



「陛下! ご先祖の御前ですぞ! お気を確かに!」


「ええい、ハゲジジイ! 余の側に寄るでないわ! ケガらわしい!!」


 こうなってしまっては、誰も手を付けられない。しかしそこは皇帝教育係、場数が違う。ニールセンの背後を取り、羽交い絞めにする。


「投げるでなあああいっ! この花酒は稀少な銘酒、先帝のお好きだった品、罰当たりにもほどがありますぞ!」


 しかし、今日のニールセンはいつもと勝手が違った。虚弱体質がウリの皇帝陛下、ジイの羽交い絞めを自力で脱出し、除幕前の墓碑目がけて投げ飛ばした。

 見事命中。墓碑は鈍い音を発てピンガじいの下敷きとなる。幕の下の惨状は確認しなくても明らかだ。

 鈍い音の発生源は、こちらかもしれないが……。


「あいたたたた……なんと行儀の悪い! ごほごほ……げほ」


 じいは咳き込みながらも、何とか自力で立ち上がってくる。不死鳥だ。

 ようやく体力の尽きたニールセンは、その場に崩れるようにしてへたり込んだ。


「勝手に皇后を連れてきて娶わせたり、引き離したり、何故余の知らぬところでいつもいつもそうやって物事を進めるのだ!」

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