4「もはやこれまで。元老院の決定は覆らない――」

 謁見の間控室では、ヴィンレット・アイゼンがピンガじいを待ち受けていた。

 明日執り行われる先帝の一年忌の打ち合わせにきた「ついで」のようだ。どちらがついでなのかは不明だが……。

 

 先帝の歳の離れた末弟にあたるヴィンレットにとって、一年忌は実子のニールセンと同じくらい重要な催事だ。

 いつものように一部の隙も与えず身なりを整え、爽やかな空気を纏わせている。そして優雅に、好物の花茶を宮廷使用人に給仕させ、まるで我が家のようにくつろいでいるではないか。

 ピンガはヴィンレットの顔を見るなりため息をついた。



 この公爵の青年の相手をするのは、いろいろな意味でピンガは疲れるようだ。

 自分の孫と年の変わらぬ若造でありながら、その地位は皇帝に次ぐナンバー2なのである。

 ヴィンレットのその、皇帝を軽んじる生意気な態度を一喝してやりたいこともしばしばなのだが、――必死にこらえているのが現状だ。


「それで? ピンガは陛下に申し上げたんですか?」


 ヴィンレットの質問に、ピンガじいは立ったまま答えた。


「ジル殿が皇后不適格として、新しい后を娶らせることは説明申し上げたが……いつもの癇癪を起こし暴れておる。とりあえずロビンに任せてきたのだが……お育て方を間違えてしまったかな。ああ、苦労が耐えぬわ、ハゲの進行も食い止らぬわ……」


 ピンガのもっともらしい説明に、ヴィンレットは目を瞬かせた。

 そしてロビン少年に同情するように、肩をすくめてみせる。


「そうではなくて。結局のところ、言えてないのでしょう? あなたたちときたらだらしのない――。今のままではいくら新しい皇后を娶らせたって、行く末は同じですよ? 世継ぎなど生まれるはずがない。皇帝家の血筋が絶えるのは時間の問題ですよ」


 ヴィンレットは物憂げにため息をついてみせた。


「ジル殿もお可哀想に……だから初めから僕と一緒になっていれば、このような屈辱を味わわずに済んだものを」


 今更言ってもどうにもならないこと――それでもヴィンレットは口にしないと気が済まないらしい。



「ではどうしたらよいというのだ、おぬしは?」


「はっきりと言えばいいんですよ、陛下に。申し上げにくいのでしたら、この僕が――」


「ええい、よさんか。もうよいのだ」


「よいって、何がです?」


「隣国はユアン国と同盟を結びたがっておって、先方はジル殿を条件に出してきておられるそうな。つまりじゃな、我が国に借り入れたお金は全て返済するから、ジル殿を返してくれないか、と」


 近隣諸国の社交界に精通しているヴィンレットにとっても、それは初めて聞く話だったようだ。

 明らかに驚きを隠せないでいる。


「今度はユアン国に支援してもらうと? その条件にジル殿を? はははは、ジル殿は既に我が国の皇后ですよ? 簡単にことは運ばないでしょうに」


 ヴィンレットは貴族の戯言に過ぎない、と楽観した態度を示していたが――。

 続くジイの説明で、状況は一変した。


「……元老院は既に申し出を受けた。皇后様不適格の決定を下し、隣国へ戻ってもらうことに……」


 まさか元老院がそこまでやるとは、ヴィンレットも考えていなかったらしい。ジイの言葉に、明らかに面食らっている。

 普段の落ち着きはどこへやら、若き公爵は珍しく取り乱した様相で、目の前のピンガじいを怒鳴りつけた。


「受けたですって!? あ……あなたたちはなんという真似を!」



 『皇后不適格』――などと。

 ジルにとってそれは、屈辱以外の何物でもない。


「皇后は金食い虫であることをアイゼン公もご承知のはず。それを我慢するのも、この帝国の繁栄を、世継ぎを望めばこそ、なのですぞ」


 ピンガの勢いに押され、ヴィンレットは続く言葉を失ってしまった。

 ジルが並々ならぬ金食い虫であることは、ヴィンレットも認めるところだ。

 上手く扱わねば隣国のように財政が傾き、帝国が滅びることにもなりかねない。


 しかし。

 それはそれ、これはこれ。


 一番大切なことが何かということに、この頭の硬い連中は恐らく気付いていない――。




「そんなこと言って――世継ぎどころか、あいつ……本当に『死ぬ』と言い出しかねませんよ」


「言うだけなら痛くも痒くもない。陛下のは、どうせ口だけだ」


 さすがはジイ。ニールセンの行動を見抜いている。

 しかし、いつだって例外は付き物。

 何かあってからでは遅いということが、このジイにはわからないのであろうか。

 ヴィンレットは徐々に怒りがこみ上げてきたらしい。

 ニールセンのためというよりジルの身を案じてなのだが、それより何より、ピンガを始めとする元老院のやり方に、腹を立てているようだ。


「元老院の方々と来たら、まったくニールセンのことを解っていらっしゃらない! 本当にあいつのことを思ってやっているとは考えられませんね」


「……おぬしが言うセリフではなかろうに。とにかく元老院の決定は絶対であることはアイゼン公もご存知であろう。ジル殿には本日中に隣国へ向けて出発してもらう」


「今日? 陛下には伝えたのですか? せめて明日の一年忌に出席なさるかどうか待ってからでも遅くはないのでは? 僕がジル殿を説得しますから!」


 ヴィンレットの必死の言葉も、もはやジイの耳には届かない。


「無駄じゃな。もはやこれまで。元老院の決定は覆らない――」



 ニールセンの「無知」が、ジルの「ラスビー」が。

 若い二人の、ちょっとしたすれ違いで終わるはずの事が。


 まさかこんな結末を迎えてしまうとは……。

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