6「……いいから早く行けよ、ニールセン?」
「だから言ったでしょうに? こうなることくらい、予想がついたはずですよ」
一年忌に参列していたヴィンレットが、ようやく姿を現した。
皇帝ご乱心の瞬間から側にいたはずなのだが、危険を察知して早々に避難し、高見の見物をしていたようだ。着衣に全く乱れはない。
騒ぎが収拾しかかったところを見計らって出張るのは、計算高いヴィンレットならではだ。
不死身のピンガに嫌味を言いつつ、ヴィンレットは片手を上げて、事後処理を自分に任せるよう合図した。
「陛下に良いことを教えて差し上げようと思いまして」
「おぬし、どうせ余のことを笑いに来たのであろう」
「笑って差し上げたいのは山々ですが――状況が少し変わったんですよ」
ヴィンレットは地面に座り込むニールセンの正面に回り込み、片膝をついた。ふわりと香水の匂いが漂う。
「マイシェル公が――つまりジル殿の父君が、ユアン国と同盟を結んだんですよ。それによって経済危機は完全に解消され、むしろ余裕さえ出てきたようです」
「おぬしは何を小難しいことを言うておるのだ? 分かりやすく申せ」
「ジル殿が我慢してこの国にとどまる理由はなくなったということですよ。陛下とジル殿の不仲はとうにマイシェル公の元へも届いていることでしょうから」
不仲。確かに間違いではない。
しかし、たかだか四、五日の話である。
「た……た……ただのケンカではないか。どうして余の皇后を取り上げられねばならんのじゃ?」
ヴィンレットは珍しく神妙な面持ちで、じっとニールセンの話に耳を傾けていた。
「それは……確かに余の懐が小さかったのかも知れぬ。皇后の悪戯を許せぬはその証。仕方がないではないか。余は皇帝ぞ? 相手が誰であろうと頭を下げることはまかりならん」
ヴィンレットは尚も頷くばかり。いつものように悪態をつくこともなく、同い年の甥の話をひたすら聞いている。
「皇后も余の良き伴侶であるなら、それを理解してもらわねば困る。そうであろう? ヴィンレット、余は間違ったことを申しておるか? 何も間違ってはおらぬな?」
普段から仲の良くない二人である。
しかし結局のところ、お互いの立場を一番理解できるのは、同じアリエス皇帝家の血を引く者同士なのだ。
たった二人しか残されていない、帝政の未来を繋ぐ糸。
「……一つだけ、ご助言を授けましょう。ともに夜を過ごすときはですね、相手を退屈させてはいけないのですよ? 先に眠りに就くなんてもってのほかですしね。ラスビーはジル殿の精一杯の自己表現だったということに気付いておあげなさい、陛下?」
ジルがなぜ、寝所にラスビーを忍び込ませたのか――。
その理由が、その非が自分にあったことをヴィンレットから聞かされ、ニールセンは愕然となった。
「だ、だ、誰もそのようなことを教えてくれなかったぞ? ロビンが一緒の寝所で眠れと申したのじゃ。それ以上のことは何も聞いておらぬ。先に寝てはいけないなどと……」
――あの日、皇后が側にいることが嬉しくて、とても安心できて眠りに就いた。
神経質で疑心暗鬼、不眠がちなニールセンにとっては、珍しいことですらあったのに。
「皇后は余が先に眠りについたことに腹を立てておったのか……」
「……まあ、そんなところでしょうか?」
本筋からはだいぶ外れた理解の仕方だが、全くの間違いというわけではないので、ヴィンレットは適当に相槌を打った。
「恐らく今日は国境の町へお泊りになられるはず。今夜が最後のチャンスですよ、陛下」
「もう手遅れじゃ……もう皇后は余の元を去ってしまった。……余のせいでこんなことに……ああ、なんてことを」
プチ、と軽く何かが切れる音がした。
ヴィンレット・アイゼン公爵様の我慢の糸、である。
「……いいから早く行けよ、ニールセン?」
皇帝本人の前では敬う言動を崩さなかったヴィンレットが、とうとう本性を現した。
「余、余、余のことを呼び捨てにしおったな??」
「ああ、何度でも言うさ、バカ甥ニールセン。地位はこの国『最高』かもしれないが、女性を悲しませるのは男として『最低』だぞ」
「さ、最低とな!? ……確かに余は最低じゃ。おぬしに言われなくても、解っておるわ……」
「解っているならいい――」
ヴィンレットはニールセンの前から立ち上がり、片膝についた芝草を優雅に振り払うと、そのまま背を向け立ち去っていった。
宮廷御用人たちは、皇帝ご乱心による先帝一年忌「跡地」の片付けにおわれていた。
その姿を、ニールセンは地面に座り込んだまま、おぼろげに見つめていた。
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