6「タダ働きなんてごめんだね」

 ここは東宮と呼ばれる建物の二階である。

 先帝の住まいがあった場所で、現在はほとんど使われていない。

 ここならピンガじいの目にもつかないだろう、とロビンは判断したのだ。



「で? どうして僕が絵描きの真似事などしなくちゃいけないんだい、ロビンちゃん」


 高貴なたたずまいの若い男が、色とりどりの顔料絵の具と何種類もの絵筆を目の前にし、不思議そうに首を傾げてロビンに尋ねた。


 きれいに整えられた茶色の短髪を、気障ったらしく右手でかき上げてみせる。その仕草が社交界の貴婦人たちの心をつかむのに絶大な威力を発しているらしいのだが、ロビンは当然興味がない。


 男の名は――そう、皇帝の叔父で有閑貴族のヴィンレット・アイゼンだ。


「千二百人を三日ってことは、一日で四百人でしょう? 一人の絵描きが一日に十枚描けるとして、四十人必要なんですよ? 帝国中から集めればそのくらいの絵描きは集まるでしょうけど、なんせその時間もないんですよ。だから、多少絵心のある素人を総動員してるってわけです」


 ロビンはヴィンレットに、ことの次第をすばやく説明した。

 ヴィンレットはもちろん絵描きではなく、「多少絵心のある素人」の分類だ。

 その血筋の良さは飾りではなく、一通りの教養は幼少より身につけられて育っている。簡単なデッサンならお手のモノだ。



 いま東宮の各部屋には、ヴィンレットと同じように画家とにわか絵描きがそれぞれ待機し、城で働く人間を何名かずつ呼び出して、カードに描き出すという、なんとも気の遠くなる作業に没頭させられていた。


 普段は人の気配のない東宮に、これほど多くの人間が出入りしていたら、いくらなんでもピンガじいが気付いてしまうのではないか。

 あの頑固なじいが、こんなバカな真似を許すはずがない。

 しかし、それは仕方のないこと。


 何故なら、皇帝はバカなのだから。

 

 いや、バカというより病気だ。

 ある意味、一番タチの悪いものかもしれない。


 ――――皇帝ただいま、『恋の病』をお患い。




 ヴィンレットは派手な上着を脱ぎ、ロビンめがけて放ってやった。甘く洗練された上質な香りが辺りに広がる。香水は貴族のたしなみのひとつだ。

 そして、おもむろにシャツの袖をまくり始め、作業机の上に用意された絵筆を数本取り、使用するものを選び始める。

 そこそこやる気を出しているところを見ると、絵を描くことは嫌いではないらしい。


「一枚あたり、いくら?」


 手を休めることなく顔料の入ったビンをいくつか選びながら、ヴィンレットはさしたる興味も無さそうに言った。

 ロビンは驚いて、思わず声を上げてしまう。


「アイゼン公! まさかお金取るつもりなんですか?」


「当たり前じゃないか。タダ働きなんてごめんだね」


 もちろんヴィンレットはお金が欲しくてそんなことを言っているわけではない。

 ニールセンのために無償で働かされる、という大義名分が気にいらないのだ。

 平民であれば皇帝陛下のために働けるのは幸せだと思うものだが、皇帝ニールセンに次ぐ地位の持ち主であるヴィンレット相手では、そう簡単にコトは運ばない。

 もちろんロビンもそのことは充分承知している。ニールセン同様、このヴィンレットとも付き合いは長いのだ。

 あしらい方は慣れたものだ。


「一生使い切れないほどのお金持ちが何言ってるんですか……。ところで、相場はいくらなんです? アイゼン公もカードを作らせたのでしょう?」


「まあね。画家のランクによってまちまちだけど、僕は一枚五十キュールで百枚作らせた」


 ロビンはヴィンレットの上着を抱き締めながら、驚きのあまり一歩後ろへ飛び退いた。


「百枚も? 総額にして五千キュールですよね!? 僕の給料の三か月分以上ですよ!?」

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