5「余は皇帝ぞ? 不可能などという言葉は知らぬ」

 どうしたら皇后は自分のことを気に入ってくれるのか。

 あの婚礼の日に彼女の手を取った瞬間から、ニールセンはそればかりを考えていたのだ。

 しかしこの皇后の様子を見る限り、それは要らぬ心配だったようだ。



「ところで何をなさっておいでなのです? お化粧ですの?」


 ジルが不思議そうにニールセンの顔を見つめている。

 無理もない。

 どう見たって、なにやら怪しげな風体の男に奇妙な化粧を施されているという、非日常的な構図――。


「こ、これは何でもない、何でもない、何でもないのじゃ」


 ニールセンはあわてて両手で顔を覆い、必死に化粧をこすり落そうとした。

 もう、ぐちゃぐちゃだ。いろいろな色が交じり合って、子供の落書きのような顔になっている。

 その脇で、驚嘆の声を上げる男が一人。


「おお……これはこれはなんとお美しい娘さんだ! きたきた、湧いてきたぞ! 新しい創作意欲がレヴィランの泉の如く! とどめなく! さあ、この大陸イチの画家があなたの美しさをこの紙に写し取ってさしあげましょう」


 画家は突如目の前に現れた美しき少女によって、持ち前の創作魂に火をつけられたようだ。馴れ馴れしくジルに歩み寄り、その手を取り、力任せに引き寄せた。

 ジルはあやしげな画家の強引な接近に物怖じひとつせず、目を更に大きくして少し驚いたように言った。


「あら、私を? カードの絵柄にですか?」


「ああ、俺はきっとあなたを描くために、この場所に運命的に引き寄せられたのだ! 芸術の神はいつも私の味方をしてくれるのですよ」


「そうなのですか? それは素晴らしいですわねえ」



 メラメラと、嫉妬心の炎が燃え上がった。

 ブチブチと、血管の切れる音がした。

 もちろんその音の発生源は『皇帝陛下』である。



 ニールセンは二人の間に割り込み引き離すとジルを自らの背にかばった。そして、画家の背中めがけて大きく蹴りを一発食らわした。


「気安く触れるでないわ! 余の、余の、余の皇后ぞ!?」


 画家はその勢いで側にいたロビンにぶつかり、そのまま二人まとめて部屋の隅まで飛ばされた。

 皇帝、いつものご乱心である。

 画家の下敷きになったロビンは必死に這い出し、よろめきつつ立ち上がった。


「いてて……んもう、ニール様!!」


 ロビンの剣幕に、ニールセンはたじろいだ。


「僕はともかく、画家の腕は商売道具なんですよ? 怪我でもさせたら絵を描いてもらえませんよ? いいんですかそれで!?」


 さすが、口うるささはジイゆずりだ。皇帝、もはやカタナシである。


「そ……それは、困るの」


「ええ? ……皇后様? あ、そうなんですか? これまた婚礼の儀のお方とは別人なんですねぇ?」


 画家はジルの素性に驚いていたが、その品格に納得したらしい。やがて照れたように頭を掻き、申し訳ないと謝罪した。




「ねえ、そこの絵描きさん」


 ジルはかばわれたニールセンの背中の後ろから、画家に問い掛けた。

 明るく楽しそうな笑みを浮かべながら――。


「ここのお城の中の人間を全て、このカードにお描きなさいな。そうねえ……三日もあればよろしいかしら?」


「美しい皇后様の頼みであれば、どんな望みも聞きましょう」


 後先を考えない画家の発言に、ロビンは思わず頭を抱えた。

 どいつもこいつも、浮世離れした人たちばかり――。


「ジル様……それはいくらなんでも。千はゆうに越えますよ? 三日どころか一年はかかりますって」


 ジルは事も無げに言ってみせるが、その数字は半端ではない。

 ロビンにはジルの言葉が冗談なのか本気なのか、判断がつかなかった。

 しかし、というかやはり。


「あら……つまりませんこと」


 ジルは退屈そうに言った。ロビンの返答がどうやら気に入らなかったらしい。

 ニールセンは思わず、背後にいるジルの方を振り向いた。

 そしてジルの表情を自分の目で確認し、今度はロビンと画家の二人を交互に見やる。



 ここが、権力の見せ所だ。今使わなければ、いつ使うのだ――。



「何を言うておる、ロビン。余は皇帝ぞ? 不可能などという言葉は知らぬ。さあ、余の命令じゃ。皇后の願いを聞き届けよ」


 言うことは立派だが、その顔は化粧がさらに崩れて、喜劇役者どころか大道芸人と化している。なんとも惜しい……。




 それはさておき。


 三日間で千枚以上のカードを描くとなると――。

 しかも、ジイには内緒で秘密裏に事を運ばなければならないときた。

 これ以上ありえないくらい、至難の業だ。


「いったい僕に、どうしろっていうんですか? ……ホントにもう」


 ロビン少年の悲痛な叫びは、もはや誰の耳にも届いていなかった。


 さあ、真の試練はここからである。

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