7「偽者とな!? なぜなのじゃ?」
「待ってくれぬか」
ニールセンはぜいぜいと必死に呼吸を繰り返し、金貨を置いていったローブの女を命がけで追いかけた。
その距離わずか五十歩足らず。運動不足にもほどがある。
しかし、それは仕方のない話だ。
生まれながらの皇帝にして幼き頃より病弱とくればこういう人間に育つ、という見本の完成形なのであるから。
青白い顔に、次から次へと流れ伝う汗の雫。
「まーてーと、いーうーのーが、わーかーらーぬーのーかああっ!」
足は歩を進めるごとにおもりがひとつずつ増やされていくような感覚におちいっていく。
やがてニールセンは膝をがくりとつき、その高貴な身体は地べたへ転がった。
生ける屍と化したニールセンのもとへ、追いかけていた女の方から戻ってきた。
あまり関わりをもちたくなさそうにしていたが、大声を出され挙句に倒れてしまわれては始末におえない。
しかも、思い切り道の真ん中だ。
裏通りとはいえ商人の荷車の行き交いは多い。
ローブの女は急いでニールセンを起き上がらせる手助けをし、荷車の往来に邪魔にならないように路肩へ腰掛けさせた。
「あ……あとで返しに……まいらせるゆえ、す……住まいを……教えてくれぬか」
息も絶え絶えに、ニールセンは必死に訴えた。もう逃がすまいと女のローブの袖をぎゅうと握り締める。
すると女は、事も無げに言ってみせた。
「住まいなどございません。お金のことなら心配なさらずともよろしいのです。お金は使うためにあるのですよ。しょせん、ただのハガネの固まりではありませんか?」
「おぬし、良いことを言うの。ただのハガネの固まりとな」
自分を救ってくれた名も知らぬ通りすがりの女に、ニールセンはひどく共感を覚えた。
当然だ。
この国のすべてのものが手に入る皇帝には、貨幣の価値など無用であるのだから。
しかし皇帝であることを隠せは、屋台の焼き菓子ひとつ手に入れることはできないのだ。
ニールセンは自分の不甲斐なさに、もはやため息しか出てこない。
「ああ、皇后が行ってしまう。これではここまで来た意味がないではないか」
既に表通りの歓声は遠ざかりつつある。もうじき婚礼の儀が行われる宮殿前の広場へ入っていくところだろう。
結局のところ、当初の目的だった「皇后の下見」はまだできていない。裏通りでもたもたしているうちに、あっという間に行列は過ぎてしまった。
一人で城下に出るということは、こんなにも大変なことだったとは――。
ニールセンは額の汗を土のついた手でぬぐった。白く透き通った気高き顔に薄っすらと泥のあとがつく。
その様子を興味深げに見ていたローブの女が、ニールセンの隣にゆっくりとひざまずいた。
「……あれは偽者ですのよ」
女はニールセンの耳元でささやくようにして言った。
「なんと? 偽者とな!? なぜなのじゃ?」
ニールセンは大袈裟に飛び退いてみせた。自分のもとへ輿入れするはずの姫君が「偽者」だと言われては、混乱しない方がどうかしている。
「あなたは、城の中で仕えている者ですか?」
ニールセンの動揺っぷりが気にかかったのであろう。女は更に尋ねてくる。
「余……わ、私はニールセン様のそばにおるものじゃ」
一応取り繕ったつもりだったのだが、その効果は果たしてあっただろうか。どうも語尾が皇帝モードから抜けきれていない。
「では教えていただけませんか。皇帝はどのようなお方なのです? やはり金の亡者なのですか?」
――はて。皇帝とな?
どうやら自分のことを聞かれているのだと、ニールセンは弱いおツムで何とか理解した。
しかし、その理由が分からずにウウム、と首をひねってみせる。
「モウジャ? あまり難しい言葉を使われても分からぬ。お金のことは大臣に任せてあるゆえ、よう分からんぞ? おぬし、盗賊か?」
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