2「なぜ宮廷警備隊だけなのじゃ」

 やはり、浮世離れしたニールセンにはいまひとつ理解できていないようだ。年中城にこもっているお陰で、俗世間のことなど、まるで知らないのである。

 興味はある。しかし、周囲の人間がそれを許さない。

 それは気難しい元老院の長老たちであったり、『じい』であったり、この目の前にいるロビンであったりするのだ。


「そりゃあ、お気に入りの衛兵のものをいつも持っておきたいからじゃないんですか? 僕は男だからよく分かりませんけど、妹もこっそりと集めているようですし」


 ニールセンはふうんと、中途半端な声を上げた。

 ようやく納得したのか、ニールセンの質問がそこで止まった。

 この皇帝はたまにこうして平民の文化を問いただしてくることがあったが、今回は意外にすぐに引き下がったので、ロビンは安堵した。

 一から説明するのも、結構骨が折れる。

 もともと持ち合わせている常識のレベルが違うのだ。そこから説明をすることになると、一日をゆうにつぶしてしまうことにもなりかねない。


 しかし。

 というか、やはり。

 ロビン少年の安堵も、つかの間のはかない幸せに過ぎなかった。



 皇帝が何気なく口にした言葉は――。



「余のカードはないのか?」


 ロビンの目が点になった。


「は? ニール様の? あるわけないじゃないですか。そんな、皇帝のカードなんて恐れ多くて持ち歩けませんよ。第一、落したりなんかしたら監獄にぶち込まれそうだし……」


 皇帝相手に随分と失礼なことを言っている。もちろんニールセンがカンシャク持ちであることを皮肉った、確信犯的発言だ。

 しかし、ニールセンはそんな嫌味を言われたことにすら気づかずに、深いため息をついてみせた。


「つまらんのう。なぜ宮廷警備隊だけなのじゃ」


 そう言って、ニールセンはようやくロビンの淹れたお茶のカップに手を伸ばした。

 中身は半分ほどしか入っていない。毒見役のロビンが飲んだあとだからだ。

 うわのそらでカップを口元に引き寄せ、ゆっくりと琥珀色の帝国名物花茶を口に含んだ。


「最近は貴族の方々も作られていますよ。まあ、ヒマと金を持て余した娯楽ですからね。妹のカード入れを昨日見たら、アイゼン公のもありましたよ」


 一瞬にして、ニールセンの顔色が変わった。アイゼン公、というロビンの言葉に過剰に反応をみせる。

 花茶がおかしなところへ入り込んだのか、皇帝は大きくむせかえり、げほげほと咳き込んだ。


「なぬ! ヴィンレットのカードとな?」


「ええ。相変わらずの構図で、背中に花なんか背負ってましたよ」


 ヴィンレット・アイゼンは皇帝ニールセンの叔父に当たる人物だ。

 ニールセンの父であった先帝の歳の離れた末弟で、ニールセンと同い年である。

 世継ぎが生まれるまではこのヴィンレットが皇帝継承権第一位を持つ。

 したがって、ニールセンにとって叔父ヴィンレット・アイゼンは、自分の命を狙う危険人物という位置づけなのだ。


 しかしヴィンレットは暇と金をもてあました有閑貴族――権力などに興味はないようだ。ただ、必要以上に敵視してくるニールセンにかまうのが楽しくて仕方がないらしい。単なる悪趣味とも言える。



「余もそのカードとやらを作るぞ。今すぐ腕利きの画家をここへ連れてまいれ」


 ヴィンレットが作っていると聞かされて、黙っているわけにはいかない。

 何としたことか。

 ロビンは自分の失言を悔いた。それよりもなにより、血を分けた妹の男の趣味を恨んだのだが……。

 だが、今は悔いている場合ではない。皇帝の暴走を止めるほうが先だ。


「な、何を言ってるんですか! そんなのじいさんが許すはずがないですよ!」


「おぬしが黙っておれば、よいではないのか?」


 もはや聞く耳持たないようだ。悪気がまったくないから、始末が悪い。

 皇帝が世俗の流行ものに手を出すなど――しかも収集ではなくで自らカードのデザインになろうとは。


「で、そのカードをどうするつもりです? 間違っても城下のカード交換所になんか出せませんからね?」


 ロビンは呆れながらも最後の説得を試みた。皇帝は平民とは違うということだけは、忘れさせてはならない。


「その必要はないぞ」


 ニールセンはおもむろに立ち上がり意味もなく部屋の中央まで歩いていった。

 やがて、ロビンに背を向けるような状態で立ち止まると、恥ずかしいためなのか消え入りそうな声ですばやく言った。


「皇后にやるのだ」


 その一言で、二人のいる皇帝私室内の時間が凍結した。




「…………うわ」


 ロビン少年の絶句しかけた口から思わず、ニールセンに対する素直な感情が隠し切れずに漏れた。

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