2「うわわ……大変だ、こりゃ」

 翌日の午前のこと――。


 ロビンが謁見の間控室のとある一室にわざわざ呼び出したのは、例によってこの青年だった。

 ヴィンレット・アイゼン公爵。皇帝ニールセンの同い年の叔父である。


 昨日の早朝の一件でその対処に困ったロビンが、ヴィンレットを相談相手として選んだのだ。

 いろいろと人間的に問題はあるものの、近隣諸国の社交界の情勢に詳しく、頭もいいこの公爵に話すのが、問題解決の近道だと考えたからだった。

 その近道は、地雷だらけの危険地帯であることは充分承知の上である。


 なぜなら。

 コトは急を要するからだ。それほど事態は緊迫の様相を呈していた。



「なんか嫌な予感がしてたんですよねぇ……身体は大人でも中身は幼児ですから、ニール様は」


 ロビンはヴィンレットに花茶の入ったカップを差し出した。

 ヴィンレットは好物の花茶を飲みながらロビンに事の顛末を詳しく説明を受け、やがて呆れたように言った。 


「一日で既に別居、か。まあ、ジル殿が怒るのも無理はないかな。けど、ニールセンはまったく気付いてないんだろう?」


「でしょうね。だって、よくよく考えたらですよ? 誰も教えてないですもん。この手の話って、年頃になると友達同士の間でこっそりと広まっていくもんじゃないですか。残念なことに、ニール様には同等に付き合える友人はいないですからね……」


 ヴィンレットは花茶を飲み干したカップを華麗な所作で音を発てずに置いた。そして、ソファにふんぞり返り腕組みすると、悪戯っぽい笑顔を見せた。


「ロビンちゃん、君が教えてやったらどうだい?」


 確かに。

 皇帝ニールセンの側にいる人間で一番歳が近いのは、二歳年下のこのロビン少年である。

 しかしこればかりは……。ロビンはヴィンレットの提案にしどろもどろになってしまう。


「教えてあげられるほど僕だって詳しくないですって! そ、そんなこと言うんなら、アイゼン公が教えてあげてくださいよ!」


「そんなのゴメンだね」


 ヴィンレットは即答で断った。さすがは皇帝継承権第一位。誰の指図も受けないその態度は潔ささえ感じさせる。


「言っておくけど僕は友達じゃないから。第一、ニールセンは僕の話をまともに聞こうとしないじゃないか? 逆なら引き受けてもいいけど」


「逆? 何ですかそれ」


 ロビンの問い掛けに、ヴィンレットはこれ以上ないほどの素適な笑顔を見せた。


「ジル殿を優しく慰めるお役目」


「……それこそゴメンですよ」


 やはり相談する相手を間違ったようだ。



「しかしですよ……ニール様は一般人とは訳が違いますから、今回の一件、笑い話では済まされないんですよね。このままでは、お二人の婚姻関係解消なんてことも充分ありえますから」


「ラスビーちゃん、一匹でかい? そりゃいい!」


 問題なのはここからなんですよ、とロビンはヴィンレットの茶々を諌めるように言い、そして続ける。


「今回の一件が原因で、ジル様は来たる先帝の一年忌の出席を拒否すると言い出しまして……その発言が皇后としての資質を問う大問題へと発展しつつあるんですよ。……ここだけの話、今日の午後、臨時の元老院会議で今後の対策を話し合うことになったんです。もちろんニール様とジル様には内緒なんですが」


 ロビンの話を聞き、ヴィンレットがなんとも楽しそうに微笑んだ。

 人の不幸は蜜の味――ヴィンレットは所詮、有閑貴族なのだ。


「そんな内緒話、僕にしちゃっていいのかい? はははは。まあ、僕にとってはそのほうが都合いいかな。そうなれば『叔父の横恋慕』なんて陰口も叩かれずに済む」


「ええ? 誰ですかそんなひどいことを言う人間は……」


「はははは、ロビンちゃん、面白い冗談だねそれ」


 ヴィンレットはそう言って、両手で思い切りロビンを指差した。


「僕のは『陰口』じゃないです。ちゃんと本人の前で言ってますから」


 まあいいけどね、とヴィンレットは指差すのをやめ、整えられた茶色の短髪を意味もなくかきあげてみせた。


「しかしまあ……最近の宮廷は退屈知らずだな。楽しいばかりだけど。はははは」


 そんなヴィンレットの軽快な笑いが、ロビンのため息を尚一層、深くさせたのだった。






 その日の午後の宮廷に、大臣をはじめとする元老院の「お偉いさん」が、臨時会議のために招集された。


「忌々しき事態ですぞ! ピンガ殿!」


 何やら宮中で、一大事が発生したようだ、という噂が大臣たちの間を駆け巡るが――正確な情報を掴んでいるものは誰もいなかった。

 いや一人、――ピンガじいを除いて、である。

 もうじき国家を挙げての行事「第三代アリエス帝一年忌」がやってくるというこの大事なときにと、皆いっせいに頭を抱えた。


「あのワガママ娘と来たら……国家予算を湯水のように使うわ、世継ぎをなす努力をするどころか一日で別居するわ、先帝の一年忌に私的感情で出席しないなどとのたまうわ、……よいのは見てくれだけでしたな、ピンガ殿」


 責任を問う視線が、ピンガじいのハゲ頭に突き刺さる。


「……見てくれも大事であろう?」


 何とか言い訳を試みるも、まるで説得力がない。

 大勢の大臣たちを目の前にして、ピンガじいはひたすら小さくなっていた。

 肩身の狭いことこの上ない。

 ジルを皇帝ニールセンの后として迎えると決めたときに、率先して動いていたのは他でもない、このピンガであった。

 見目麗しき皇帝アリエス家の血筋にはやはり美しき血をと、単純に考えた結果でもあったのだが……。



 とある大臣が、これ以上仕方がないといった風に、円卓についていた元老院のメンバーをぐるりと見回した。


「よい機会だ。隣国からの内々の申し出、受ける方向で話を進めてはどうかな?」


 議場は一瞬静まり返った。「まさかの禁忌事項」を議論採択する時期が来ようとは、誰も予想していなかったに違いない。

 そう、昨日までのニールセンとジルの仲睦まじい様子では、相手にする必要なし、と論議もしていなかった「隣国からの内々の申し出」。

 議場はにわかにざわつき始めた。


「内々のと言いますと……例のアレですかな?」


「陛下には何と申し上げるのだ」


「別な后をお連れ申すと――もっと美しくもっと聡明な、そしてもっと分別のある姫御をな」


「賛成」


「賛成」


 次々と右手が挙げられていく。

 ピンガじいはますます小さくなるばかり。




「うわわ……大変だ、こりゃ」


 ドアの隙間から会議の様子を窺っていたロビンは、この先訪れるであろう嵐を予感し、例えようもない不安に襲われていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る