公爵家の舞踏会編

1「解っているんだろうね、ロビンちゃん?」

 まだ皇帝の起床なされぬ早い時間に、皇帝の影武者であるロビン少年は、数多ある謁見の間控室のとある一室へ呼び出された。


 相手は皇帝継承権第一位を持つ、大変地位の高い人物だ。

 その名はヴィンレット・アイゼン。弱冠十八歳にして、公爵の称号を持つ青年である。


 皇帝と同い年でありながら、その関係は皇帝の『叔父』。ヴィンレットは、ニールセンの父親であった先帝の弟に当たる。

 若くして確固たる地位と権力を手に入れたという点で、皇帝とその叔父、二人は似たもの同士なのだが、それがかえって妙な対抗心を芽生えさせていることは否めない事実だった。


 それに振り回されるのは、いつもこの影武者ロビン少年――。




 気が進まないながらも、ロビンが指定された部屋へ入っていくと、ヴィンレットは一部の隙もない完璧な装いで、しつらえたソファに物憂げに身を預けていた。

 なにやら良からぬ雰囲気をかもし出している。

 美しき花には毒がある、とはよく言ったものだ。高貴な身分の男がいきなり口を開いて出た言葉が、これ。


「解っているんだろうね、ロビンちゃん?」


 ヴィンレットの毒々しい物言いに、ロビンは縮み上がった。足がすくんで、その場に立ち尽くしてしまう。


「ど、ど、どうしたんですか!? アイゼン公、何だかすっごい、ワルい人の顔になってますけど??」


 ヴィンレットはゆっくりと立ち上がり、軽く着衣の乱れを整えると、意味ありげな笑みを浮かべながら、立ち尽くしたままのロビンへ近づいた。


「君は『恩義』という言葉の意味をもちろん知ってるハズだよね?」


 そう言ってヴィンレットは親指と人差し指をくっつけて丸め、ロビンの目の前に突きつけた。


 その丸が意味するものは――――お金だ。


 愕然とするロビン少年の表情を見て、ヴィンレットは満足そうに頷いてみせる。




 先日ロビンは理由あって、この有閑貴族から六万キュールという、実に年収の三年分以上に当たる大金を借り入れることを余儀なくされた。

 それは決して私利私欲のための借金ではなく、浮世の天上人である皇帝皇后両陛下のためなのだから、まったくもって理不尽な話なのだが……。

 結局のところお金を借りようが借りまいが、ロビンはこのヴィンレットに立場上逆らえない。それに加え『恩義』などと念を押されてしまっては、もはやシモベになったも同然だった。





 それから二刻ほど過ぎた、新宮と呼ばれる建物の皇帝執政室では――。


 皇帝だって、毎日だらだらと遊び暮らしているわけではない。日々の執務というものがちゃんとある。

 しかし執務とは名ばかりで、その内容といえば参謀の説明を聞き最終的な決断を下すという形式的なものや、重要書類に皇帝のみがその所持を許された皇帝印をひたすら押していくだけという、退屈極まりないシロモノばかりだ。

 既に長老や大臣たちが審議討論した後なので、もはやニールセンの考えを反映させる余地など、微塵もない。

 まあ、ニールセンに国政の問題を考えるおツムがあるかと言われれば――ない、と言わざるを得ないのだが……。




「皇后はどうしておられるであろうな?」


 ニールセンの頭の中では、『執務』の二文字は早々に隅の方へと追いやられていた。

 執政室の重厚な机に片肘をつき、もう一方の空いた手で机の上をなぞっている。


 抜けるように透き通った白い肌。深海の青のような瞳。

 由緒正しき皇帝アリエス家の末裔の名に相応しいその顔立ちは、世に出たらきっと女性たちの憧れの的になること間違いない。


 しかし残念なことに、皇帝ニールセンはいまだ城の外にほとんど出たことはなく、周りにいるのはしなびた長老たちや口うるさいピンガじいやロビン少年など――まるで潤いのない生活を送っている。


 いや、正式には『送っていた』と過去形で言うべきだろう。




 ニールセンの頭の中に次々に浮かび上がるのは、皇帝の后となった少女の姿ばかり。

 婚礼の儀から早ひと月あまり――いまだ同じ建物で暮らすことはない。


 皇帝ニールセンの影武者で毒見役で世話役のロビン少年は、手早く文書を急を要する順に並べ替えながら、皇帝のお喋りに付き合っていた。


「そんなに気になるんでしたら、あとで西宮のほうまで出向かれたらいかがです?」


「何を申すか。余のほうからそのようなことできぬわ」


 とは言いつつも、そうしたいのはやまやまだと、その表情にはっきりと出ている。

 一応、形式上は夫婦という間柄なのだから、誰に気兼ねすることなく、自由に会いに行けばいいだけの話である。

 しかし、そこは人付き合いに免疫のないニールセンのこと。ましてや恋愛経験皆無であるため、女性相手にどのように接すべきか、未だに途惑う毎日を送っている。


「……迷惑がられたら、どうするのじゃ?」


 所詮、ニールセンの心配などその程度のもの。とにかく人一倍後ろ向きな性格なのである。


「そんな、のこのこと戻ってくりゃあいいだけの話ですよ。……一人で行くのが怖いのであれば、お供しましょうか?」


「のこのことな!? ええい、そのようなことできぬわ。恥の上塗りではないか!?」


「まあ、それもこれも執務が終わってからですよ。署名が必要な書類もいくつかありますし」


「おぬしが適当にやればよいではないか」


 皇帝、すっかり仕事放棄体制にお入りあそばしたご様子――。

 ロビンが読み上げる案件にも皇帝はもはや耳を貸そうとしない。

 ただひたすら、中庭に面した大きな窓の外を、ぼうっと眺めつづけているのだ。もちろんその先にあるのは、皇后ジルの暮らす「西宮」と呼ばれる建物だ。

 その皇帝の姿は痛々しいほど――。

 ロビンはそんなニールセンを怒る気にもなれず、ただ呆れてため息をついた。

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