11「ふん――その言葉に嘘はないな?」

「僕が相手になりましょう」


 ヴィンレットは、腰に携えていた刀身の細い護身用の中剣を取り出し、構えた。

 実戦経験は皆無だが、剣術の心得はある。ヴィンレットは何をやらせてもそつがない、器用な男だ。


「僕の甥とその后に手をお出しになられるのであらば、こちらこそ容赦しませんよ。たとえ父君であっても、帝国に刃向かうものはそれ相応のお礼をしますよ」


 そう言って、ニールセンとジルを取り囲む衛兵たちの集団をかき分けるようにして、前へ進み出た。


「……ヴィンレット!? おぬし、いつからそこに!?」


 今までまったく皇帝陛下の眼中に入っていなかったようだ。

 ヴィンレットは呆れ果て、思わず苦笑をもらした。


「陛下がお見えになられるずっと前からね……しかし何をやらかすのかと思えば……」


「ま、まさかおぬし……かような場所まで抜け駆けして余の皇后に手出ししようとは……不届き千万! 許さぬぞ!」


 敵対関係の構図が、いつの間にやらすり替わっている。


「何を馬鹿な……僕は陛下のためを思ってわざわざ出向いてきたのではありませんか。この敵陣のど真ん中に放り込まれた状況で、僕は数少ない味方の一人だと思うんですが?」


 しかし。

 ニールセンの警戒は解けるどころか、いっそう厳重になっていく。


「過去の数々の無礼をもってして、それでも余におぬしを信用せいと申すか? 片腹痛いわ!」


「何なんですか、その数々の無礼とは。六割方、陛下の妄想癖の産物でしょうに……」


 それまで黙ってやり取りを眺めていたロビンは、面倒くさそうにツッコんだ。


「六割……って、アイゼン公、微妙ですよそれ。嘘でも八割くらい言っといたほうがいいんじゃないですか?」


「ロビンめ! そういう問題ではない!」





 マイシェル大公が、嫌悪感をあらわにしながら口を挟んだ。


「貴殿ら……身内同士の痴話喧嘩は――帰ってからやってくれんかな?」


「貴公は黙っておられよ」


「口出し無用ですよ、マイシェル公」


 つかず離れずの距離で、二人は睨み合っている。


「皇帝位を返上するといいましたか? ならば僕はその前に、皇位継承権を放棄しますよ」


「な、な、何を言うておるのだ。おぬしが、そのようなことを言ってどうするのだ! さすればこの国は終わりぞ?」


 突然のヴィンレットの権利放棄宣言に、ニールセンは面食らい、貧血を起こし倒れそうになった。


「本当にいいんですか? あなたが生き残りの最後の一人だったら、精神的重圧で今以上に毎日死ぬ死ぬと言う羽目になりますよ? そこにいるロビンちゃんが肉体的な『影』なら、僕は陛下の精神的『影』なんです。それだけはお忘れなきよう――」


「またおぬしはそうやって小難しいことを言う。余にはほとんど理解できぬぞ」


 少し複雑な説明をすると、すぐにオツムの弱さを露呈させる。

 ヴィンレットはなるべく具体的な言葉を選び、再び説明を試みた。


「陛下が不慮の事態で命を落とすようなことがない限り、僕は帝位を受け取るつもりはありません。……僕はね、第一位のままがいいんです。皇帝位なんて、僕にとっては退屈なだけですから」


 わがままかもしれない。

 しかし。ヴィンレットが欲しいのは、皇帝の地位ではない。

 ――皇帝になれるかもしれないという、「特権階級のステイタス」なのだから。


「そのようなことを申しても、元老院が許すはずがないではないか。余が皇后と共におるためには皇帝位を捨て、どうしてもおぬしに譲らねばならぬのじゃ。そのための皇位継承権であろう?」


 皇帝位を受け取るものがいなかったら、一体どうすればいいのだろうか。

 ニールセンはもうどうしてよいのか解らないようだ。目が左右に泳いでいる。


 この十日間、精一杯考えた唯一の結論だった、のに。


「捨てるなどとおっしゃらなくても――さっきあなたがそこで見せた芝居がかった恥ずかしい台詞を、元老院の大臣たちの前で披露すればいいだけの話ですよ。自分の皇后は自分で選ぶと――ね」




 マイシェル大公が再び、半ば呆れたように口を挟む。


「だから先程から……身内同士の揉め事は帰ってからやってくれと言っているのだが?」


「黙っておれと申しておるではないか!」


「口出し無用ですよ、マイシェル公」


 先程と同じようなやり取りが繰り返される。しかし、今回はここで終わらなかった。


「父上様、こらえてくださいませ」


「大公様、ウチのジイさんに免じてお許しください!」


「殿! 今いいところなんですから!」


「そうだそうだ。止めるなー」


「きー。きー」


 矢継ぎ早に繰り出される反論の数々に、マイシェル大公はたじろいだ。

 ニールセンやヴィンレットはともかく、ジルやロビン、はたまた自分の配下の者までも逆らう始末。

 確実に増えている。



「隣国までジル殿を取り返しにのり込んでくるその半分の度胸があったなら、国境を越える前に引き止められたのではありませんか? 皇帝自らしかも丸腰で来るなんて、暗殺でもされたらどうするんです?」


「おぬしは本当に愛しておらぬからそのようなことを申すのだ。皇后のためとあらば」


 続く言葉をみな、固唾を飲んで見守った。


「――余はいつでも死ねる」



「うわ――で、でた! ニール様のキメ台詞!」


 ロビンは堪えられずに、その場で小さく叫んだ。

 状況こそ差はあれど、命懸けの毎日を送るニールセンに付き物の決まり文句だ。


 きー。きー。


 ヴィンレットはしばらく黙っていたが、やがてニールセンに向けて剣を構えた。



「ふん――その言葉に嘘はないな? では遠慮なく!」


 冗談なのか本気なのか――区別が付かない。

 武器を持たぬ皇帝陛下に向けられた刃。


「公爵様? 何をなさるのです?」


 ヴィンレットは突然、ニールセンに切りかかった。

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