9「――余はきっと、死ぬ」
「ピンガ? あの大臣様がそのようなことを? 父上が私を差し出すと申しましたら、条件もろくに聞かずに飛びついたあのお方が? それはそれは……たいした教育係ですこと」
嫌味を言っているのであろうが、それを微塵も感じさせない。
怖いものなしに品格という刃でためらいもなく切り捨てるさまは、まさに痛快だ。
もはやニールセンの心は、ジルと名乗った皇后となるはずの少女に奪われてしまっていた。
「そなたが無理やり連れてこられたような話を、余は今朝がた聞いたばかりなのじゃ。余は、そなたがそんなに嫌がっているとは思っていなかったゆえ……」
「嫌がる……?」
「だから影武者を仕立てて、ここまで逃げてきたのであろう?」
ニールセンは恐る恐るジルの顔色をうかがうようにして尋ねた。
皇后となる少女が、自分のことをどれだけ受け入れてくれるものなのか――ニールセンは不安で不安でしょうがなかったのである。
「それは、陛下もご一緒なのではありませんか?」
ジルの声は明るく澄んでいた。無邪気に語りかけてくるところをみると、決して悪い印象ではないのか――ニールセンの心は少しだけ緩んだ。
「余は、別に嫌がってなど……ただ、余は人馴れしておらぬ。いくら勝手に決められたとはいえ、誰でもよいというわけにはいかぬのだ」
そう言ってニールセンは、自分が皇后となる人に何を求めているのかが、ようやく分かった気がした。
そして、それはこの目の前にいるジルという少女が、確実に持っているもの。
「そなたも仕方なく連れてこられたのであれば、……む、無理して余の側におることもないぞ。余の住まいは広いゆえ顔を合わさぬこともできるし、退屈させぬよう欲しいものは何でも与えるし、その、なんだ、ええと……そんな悪いようにはせぬ」
なんとも不器用な愛情表現。しかし、これがいまの皇帝の精一杯なのである。
「――退屈させぬと、今おっしゃられましたね」
ジルは嬉しそうに、首をわずかに傾げて微笑んだ。
ひときわ大きな歓声が、広場の方から湧き上がった。
楽隊の祝祭曲が高らかに演奏され、白い鳥が大空へ羽ばたいていく――。
「は、始まってしまったようであるぞ?」
「では、参りましょうか」
ジルは立ち上がり、もう一度ローブのフードを頭にかぶせた。
そして、透き通るように白い美しい手を、ニールセンの方へとさしのべる。
「参るとな? そなた、いずこへ参られるのじゃ?」
「陛下、ジルを宮殿まで案内してくださいませ」
ニールセンは貧血で再び倒れそうになった。
驚きなのか喜びなのか途惑いなのか――もはや、どれでもあってどれでもない。
ジルの手を借りてようやくまともに立ち上がる。そして、その手をしっかりと握り締めたまま――。
「よいのか」
「ええ」
「本当に本当に、本当によいのか? あとになってやっぱり止めたと申せば――」
「申し上げたら、どうなるのです?」
「――余はきっと、死ぬ」
若き皇帝ニールセンの言葉に、ジルは優雅な微笑で応えた。
城下のじめじめした路地裏で、なんとも奇妙なプロポーズである。
そしてここに、若く初々しいロイヤルカップルが誕生した。
偽者たちによる婚礼の儀は、今まさにクライマックス。
(第一話【運命の出会い編】 了)
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