第33話 ゾビグラネ -4-



 ゾビグラネがそのまま、空きっぱなしのドアから外へ出ようとしたので、私は彼の藍色のローブの背中をつまみ、後ろに引っ張った。


「ねぇ、ゾビグラネ。ここはどこなの?」

「礼儀作法がなってないなリリア嬢」振り返ったゾビグラネは、どこかゆったりした口調で、そう言った。

 私は、そのゆったりした口調に我慢ならなかった。


「ここはどこと聞いているのよ! ゾビグラネ! 早く答えなさい! ここが魔法学校なの? そうじゃないの!?」


 突然ヒステリックにまくし立てる私を見て「どうしたのだい?」とゾビグラネは不思議そうに首を傾げた。「まぁいい。うーん。ここはローレン地方とアーシャ地方のちょうど中間にある山小屋さ。

 魔法学校は既に奴等の手によって陥落してね。

 我々は奴等が手出しできないアーシャ地方に逃げ込むために、ここに隠れている最中ってわけさ」



 彼の口から飛び出した言葉が私の頭の中でもう一度再生される。


 ――我らが魔法学校は既に奴等の手によって陥落してね。


 残酷な言葉だった。

 目の前が揺れて、足下からすべてが崩れ落ちてゆきそうな気分だった。

 頭の中がどうにかなってしまうんじゃないかとさえ思った。


 だってそうでしょう?

 私はフェンリルを倒すために時を越え、ここまでやってきたのよ。

 なのに、その魔法学校がすでに陥落した?

 なにそれ? 意味が分からない。

 こんな馬鹿な話があるだろうか。

 ありえない!

 ありえるわけがない!

 くそくそくそくそ!


 頭をおさえつけられたモグラのように顔面蒼白となり、全身が強張った。

 水たまりに落ちた哀れな蚊のように絶望に突き落とされた気分になるのと同時に、どうしようもない怒りが私の胸にこみあげてきた。


 ゴードンに対する怒りだ。


 あんなもうろくしたジジイなんて信用すべきじゃなかった。

 あいつは何も分かっていない。

 私はただ過去に行きたかったわけではないのだ。

 魔法学校に眠る魔導書を読み、習得し、フェンリルを封印する術を身につけたかったのだ。それなのに……、それなのにぃ! あのジジイィ!


 悔しくて悔しくて、私はその場で地団太を踏んだ。


「魔法学校がないなら! ここに来た意味がないじゃない!」と思わず叫んでしまった。



 涙がうかんできた。

 アシュリーになんと詫びればいいのだろう?

 アシュリーが命を懸けてまで、あのフェンリルに挑みかかり私を過去に送ってくれたというのに……。なのに……、私は……



「なるほど」とゾビグラネはやや甲高い声で言った。「フェンリルを倒すためには魔法学校で得られる知識が必要。でもそれは、永遠に手に入らない、という涙なのだね?」



 ――その汚らしい口を塞いでやろうか?


 私は眉間にしわを寄せ、思い切りゾビグラネを睨みつけた。



「ははは、すまないなリリア嬢。怒らせるつもりはなかったのだよ」とゾビグラネは笑顔であやまった。「でもね、それはやや悲観的に過ぎる、というものさ。

 たしかに我が魔法学校の図書はこのミッドランド国で最大の魔導書の数をほこる世界最大の修行施設であることは否定しないが、各専門分野に絞れば他の修行所だってそう捨てたもんじゃない。


 例えばアーシャ地方の“ウジュミギャナヤール村”の修行所なんかはフェンリル対策にはピッタリの場所と言えるだろうねぇ。


 あそこは召喚獣の研究と封印の研究に関する魔導書が魔法学校以上にそろっているところだからね。私も若い頃あそこでよく修業したものさ」


「ウズミ村?」

「ウジュミギャナヤール村だ。発音しにくいかい? 古代アッカルク語でそう呼ばれていたらしい」

「どういう字を書くの?」

「古代文字だからね。とても読めたようなものじゃあない。

 犬や羊や人や植物の印を用いて表す古語だよ。

 人類初期の文字をそのまま使っていた、とも言われている。

 まぁいい、他にも遠く離れたランダーラ地方のセプタ街にある修行所も有名だね。

 こっちは炎と氷の魔法に関する研鑽が進んでいるという話だよ。

 とにかく、世界中にそのような修行所がある。

 だから悲観することはないということさ」



 ……知らなかった。



 狐につままれたような気分だった。

 魔法学校がなくなれば、すべてが終わりだと思っていた。

 でも、他にもまだ魔法の研鑽を積める場所があった。他の選択肢がまだあったのだ。


 私は確認するように自分に問い直した。


 ということは……まだ希望は失われていないということ?

 これはそういうことよね。

 そうだ。うん。これはそういうことなのだ。

 まだやれる。私はまだやれるんだ!

 体中を覆い始めていた黒い気持ちがスゥーっと体の外に引いてゆくような気がした。そして、本当に全力疾走したあとのような大きな息が口からこぼれた。


 薄皮一枚残し首がつながった。そんな気分だった。


「ねぇ、そのウジャなんとか村というのはどこにあるの?」

「ああ、村の場所かい?

 この山小屋はちょうど山の中腹にあるんだが、この山小屋の手前に伸びている山道をそのまま登ってゆくと、トキナル村にぶちあたるんだ。

 そこから東に枝分かれしている小道を下り、また昇り、三つほど山を越えると、ちょうど四方を山に囲まれた猫の額のような狭い盆地に入り込む。

 そこにウジュミギャナヤール村はあるのさ。

 そこは観光名所としても有名でね。

 村の中央広場には渦を巻いたような水路があって、その水路がなんともいえないぐらい美しいのさ。

 静かに流れる水に手をかざすと、指先がひんやりして魂が洗われるような気分になるだろうね。

 君も是非その泉に触れてみるといい」


 ゾビグラネはその当時を思い出すように遠い目をしてそれを語った。


 私は新たな光を見つけた気分だった。


「でもその前にやらなければならないことがあるよ。リリア嬢」とゾビグラネは言った。ゾビグラネは、ゆっくりと開きっぱなしのドアから外に出ると、コテージの大きな部屋に入ってゆく。


 私もゾビグラネのあとについて行った。

 そこには約20人ほどの人々が思い思いの姿勢で体を休めていた。

 ゾビグラネがその部屋に入ると、皆が一斉にゾビグラネの方を向いた。


 一言で言えば皆ボロボロの恰好をしていた。

 手前に座る禿げた頭の男の身にまとうコートは、元はおそらく手触りが柔らかな黒貂の毛皮のコートだったと思うのだが、

 今は、血と脂ぎった汚れが所々に付着し、

 足下から胸にかけて剣で裂かれたようにパックリと割れていた。

 おかげで酷く汚くボロボロに見えた。


 黒いとんがり帽子をかぶった女性は、その先端部分が無くなっていて、

 まるでそこだけ毛の禿げた猫みたいになっていた。


 他にも切り傷や矢傷を負っている者もおり、自分の衣服を切り裂き、腕や足や腹などに巻き付けていた。



「まず、皆に謝りたい」とゾビグラネは切り出した。「早くアーシャ領に入った方がよいという意見もあったなかでこの山小屋に留まり続けたことをだ」



 どうもゾビグラネの言によると、それぞれの地方にはハウスにおける「長」のような役割の「領主」と呼ばれる人物がいるらしく。

 

 その人物が激化する教会と魔法学校の戦いに関与しない姿勢を貫いたことで、ローレンは戦乱渦巻く土地になってしまったらしい。


 だが、ローレンの隣り合う地域であるアーシャやウェストガーデンでは領主が教会と魔法学校の争いを快くおもっていないらしく、勝手に戦うことが禁止されていた。


 だからこそ、ゾビグラネたちはこの地域に逃げ込めば、戦闘を避けることができる、と考えていたらしい。


 ゾビグラネは続けた。


「アーシャ領内の山道で待ち構える敵を倒し、進むべきという意見もあった中で私は慎重になりすぎてしまったのかもしれない。

 私はたとえアーシャに逃げ込んだとしても、アーシャ領内で異端審問官共を倒してしまえば、奴等がアーシャ領内に入る口実を作ってしまうのでは……、と考えてしまったのだ」


 つまり、ゾビグラネはアーシャ地方もローレン地方と同じようになってしまうのではないかと恐れたのである。


「そして、そう考えているうちにどうやら奴等の本隊がここにきてしまった。本隊がここにきているということはウェストガーデン領へ向けておとりとして逃げてもらっていたトレゾールたちがやられたのだろう。

 そして、そこに私がいないことを知り、異端審問官共は恐らくアーシャへの道を塞ぐ手段に出たに違いない」



 そのような事態だったのか……、と思った。

 ならばあれほどゆっくり喋らなくてもよかったのに。

 広間でゾビグラネの顔を見る人々の目が険しくなってゆく。


 では、どうすればいいというのか?

 皆、今にもそんな声が聞こえてきそうな顔つきをしていた。



「そこでだ。私は敢えてここで迎え撃とうと考えた」


 皆の口と目が大きく開かれてゆくのがわかった。


「ここで迎え撃つなら、恐らくアーシャ領内の山道で待ち構える敵兵共も、この山小屋に集まるに違いない。

 そうなればアーシャ領内で待ち構える敵はいなくなる。

 アーシャ領内で事件が起こってない以上、アーシャ公は教会側の領地への踏み込みも殺人も許容しないだろう。

 つまり、我々はここを凌ぎさえすればアーシャ領内にしばらくは留まることができるわけだ。

 そうして時を稼ぎさえすれば各地の魔導士たちと呼応してローレンへの帰還も可能になるに違いない。

 今は苦しいだろうが、先のことを考えればこの方法がもっともよい手段だと思うが、皆はどうだ?」



 ゾビグラネを見る魔導士たちは、しばらく互いに視線を交差し合い、そしてやがてその意見に賛同するように大きくうなずいた。

 ゾビグラネはとなりで満足そうな笑みを浮かべていた。



 どうしよう、と思った。

 言うべきか迷っていたのだ。

 たぶんここであなたは死ぬ、という不吉めいた予言を、だ。


 この男は頼りになる。


 知識の幅は深く広く、生きていたら必ずフェンリルを倒すために力を貸してくれる存在になるに違いない。


 だから私はここでこの男を死なせたくなかった。


 その時であった。

 トン、という音と共に一本の矢が山小屋の外壁に突き刺さった。


 ゾビグラネは苦い顔をし「バレたか」と言った。


 ザンザン振りの雨の中、咄嗟に禿頭の男が雨戸を開き、周囲を確認する。


 私も彼の光る頭の後ろから外をのぞいた。

 雨が真っすぐ垂直に落ちる白い細い線のように見えた。

 視界が悪いのだが、それでもその白い線の向こうに、白いフードと白いコートを身にまとった不気味な人影が横一列になりこちらにゆっくりと前進する姿が私の瞳に映った。


「ゾビグラネ様!」と禿頭が振り返ると、ゾビグラネは大きくうなずき、そして決め台詞のようにこう言った。


「さぁ奴等に魔法のすばらしさと残酷さを見せつけてやりましょう」


 ゾビグラネを囲む20人は雄叫びをあげ、そして外へと続く扉から飛び出した。

 私もそれに飲み込まれるように外へ飛び出し、豪雨の中に躍り出た。



 たぶん、これが私のはじめて体験する“戦闘”だった。

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