第34話 ゾビグラネ -5-




 意外と風が強い。それがまず思ったことだった。

 降り吹きの雨に顔を叩かれ、唇を噛んだ私は、前方の集団に目を凝らす。


 通りを挟み向かい合う敵は、皆盾を前に構え、雨と風を背にし、ゆっくりと前進してくるようだった。


 激しく振る雨の向こうには、おぼろげに見える沢山のレッドウッドと、濡れた木の葉の“群れ”があり、吹きつける風に鴉のようにばたばたと葉をばたつかせていた。


 やつらとの距離はどのぐらいだろう。


 山小屋の前は半径15mほどの平らな広場が広がっており、木々はそれを取り囲むように生えていた。

 そこから左手には降りる道が見え、右手には登り道がみえた。



 どれほど敵がいるだろう?

 たぶん、少なく見積もっても50人程度はいる。


「防壁!」と後ろのゾビグラネが叫んだ。


 すると、隣り合う魔導士達がいっせいに右手を前にかかげ、掌を広げた。



 ――防壁?


「リリア嬢!」という声が聞こえた直後に、何者かに首根っこを掴まれ、後ろに引っ張られた。

 バランスを崩し、冷たい泥水の中に尻もちをついた私が顔をあげると、そこには敵を睨み、右手を前にかかげ立ち尽くすゾビグラネがいた。


 なにをするのよ! と文句を言おうと思ったその直後だった。

 ヒュン、ヒュン、というこれまで聞いたことのない風切り音と、カン、カン、という甲高い音が聞こえた。


 前を見ると、私の顔めがけて飛んでくる矢があり、それがちょうど眼前で弾かれる所が見えた。


 心臓が一度大きく跳ねた。


 よく見ると、私の顔の手前に微かに光を帯びた透明な何かがあった。

 それは丸く、人一人分ぐらいの大きさがあった。


「まったく危ないお嬢さんだ」とゾビグラネはきざったらしく言った。



 盾だ、と思った。

 これは魔法の盾なのだ。



「構え!」という声が敵から聞こえてきた。

 ほぼそれと同時に「防壁維持!」とゾビグラネは叫ぶ。

 今度はハッキリ見えた。

 無数の敵の矢がどしゃ降りの雨の向こうから雨粒と一緒にこちらに降り注いできたのだ。カンカンカンカン! と鳴り、矢は透明な魔法の盾に再び弾かれる。


 危ないところだった。

 矢とはこんなに速いものなのか。


 私は起き上がり、ゾビグラネの後ろに隠れた。


「せめて、ゴーレムか炎が使えればな」とゾビグラネが小言を言った。


 そこで気づく。

 そうか、ゴーレムだけではなく、この雨では炎も使えないのか、と。


「突撃!」と敵の号令が聞こえた。

 ゆっくり前進していた敵がこちらに向けて走り始める姿が透明な魔法の盾越しに見えた。


 ゾビグラネをはじめとする魔導士たちは残った左手から氷のつぶてを打ち出すが、それはことごとく奴等の構える金属の盾に防がれる。


 ――あれが、聖具か。


 全身が鎧に包まれた奴等の動きは意外にも早かった。

 私たちと距離が一気に縮まる。



「皆! 好きに戦え!」とゾビグラネは叫ぶと、こちらに向かってきた敵の剣を魔法の盾で受け止めた。

 その背後から現れたもう一人が私を狙うように剣を振りかぶる。


 心臓が早鐘を打つように鳴っていた。



 ――ここで死ぬわけにはいかない。ここで死ねばすべてが無駄になる。この命はもう私だけの命ではないのよ。全人類の命を背負っているの!



 その大柄な異端審問官が振りあげた剣は、なんのためらいもなく私の頭めがけて振り下ろされた――が、折れたのは剣の方だった。



 異端審問官の男の目が大きく開かれたのが分かった。

 鋼鉄化。

 それは私の得意技だった。



 私は間髪入れず、光の首輪を男の首に巻き付ける。


 男は私の右手の人差し指から伸びる光の鎖を引きちぎろうとするが、もちろんそんなことはできない。

 これはそういう魔法なのだから。



 他の魔導士達の視線と異端審問官たちの視線が私の光る鎖に注がれる。

 まるで、皆、そんな魔法など初めて見た、という表情で。



 アシュリーの声が蘇る。


『あなたには残酷さが足りない。私たちには目的があるはずよ。そこに辿り着くためには何だってするべきだわ』


 男の目は怯えていた。

 酷く怯えた子供のような目をしていた。



 ――分かっているわ、アシュリー。



「収縮」と私は冷たく言い放った。


 次の瞬間、光の首輪がどんどん内側に狭くなり、男の首が胴体から転げ落ちた。


 首のない男の体から血しぶきが舞い上がり、本棚の本がゆっくり倒れる要領でその場に崩れ落ちた。


 後ろ側にいたもう一人の敵が私に襲い掛かる。

 盾を地面に放り投げた敵は両手で私の胸めがけて剣を突いてきた。



 私はそれを寸前のところでよけた――が、敵が私の体ごと押し倒してきた。


 銀色の髪が泥水につき、背中がぬかるんだ地面にべったりとついた。

 男は盛りのついた犬のように覆いかぶさり、コートの内側に忍ばせた短刀に手を伸ばした。


 私はとっさにその男の手首をつかみ、思い切り炎魔法を唱えた。

 雨で使えないのは分かっている。

 でも、直接ならどう?



 男の手首が爆発したように明るくなった。



「ぐあああああああああああああ」と男は叫び、手首から先が無くなった痛みに震え始めた。


 私はその瞬間、男の“のど”に手を伸ばし、握りしめた。

 男と目が合う。

 あとは同じだった。

 男の首が激しく光り、頭と体を二分するように、敵の体が消し飛んだのだ。



 ――死ねない。こんな所で死ぬわけにはいかないの! 私は!



 ダラン、と覆いかぶさる男の体を蹴り飛ばし、私は素早く体を起こした。

 そこではじめて気づく。

 突撃してきた敵たちの後ろに弓だけを持った敵が同じように横一列に並んでいたことに。やつらが矢を放っていたのか、と思った。


 やつらは、今、矢をつがえることはせず、ただ黙って戦場を見ているようだった。

 私はやつらに聞こえるように叫んだ。


「私たちに攻撃してくるなら殺すわ! それが嫌なら自分たちの寝床に戻りなさい!」


 雨の向こう側に見える弓を手に持つ異端審問官たちの表情に変わりはなかった。

 まるで催眠術にでもかかっているみたいに奇妙に表情がなかった。


 すると、左手の道から20人ほどの敵が新たに駆けつけてきて、右手の道からも10人程がやってきた。右も左も敵だらけである。



 その様子を見ていたふてぶてしい禿頭の魔導士は右手の道からやってきた10人に向け、強酸の雨を降らし、奴らの顔や頭をドロドロに溶かすが、背後から忍び寄ってきた敵に剣を突きたてられた。


 その直後、別の異端審問官が戦斧を振りかぶり、それが振り下ろされた。

 禿頭の首が、ぬかるんだ地面に勢いよく転がり泥水が跳ねた。


 とんがり帽子の先が欠けた女は、それを見て、背後の山を登り逃げ出すが、異端審問官共はそこにも兵を伏せており、槍の一突きで、とんがり帽子の女の肉体は簡単に貫かれた。



 ――このままだと全滅する。


「ゾビグラネ!」と私は叫び、右手の登り道を指さした。


 氷の魔法で両側から斬りかかってきた男たちを凍らせたゾビグラネは、私の目を見て頷いた。


 アーシャ方面から駆けつけてきた援軍は禿頭が残らず倒したはずだ。

 ならばそこまでの道は開けているはずだ。


「リリア嬢! メルマナ! 皆! 来い!」と叫んだゾビグラネのあとを私と、先ほど手紙をゾビグラネから渡されたメルマナという女がついてゆく。


 他の者はそんな余裕はないようだった。

 山道を駆けのぼる私たちに急いで追いすがるように異端審問官共がついてくる。

 敵は、ゾビグラネだけは逃すまいとして追ってきているようだった。


 ゾビグラネは背後を振り返り、口元をニヤつかせると「滅びるがいい!」と叫び、天高く左手をあげた。


 そして、私の体とメルマナの体を引き寄せ、上に向けて魔法の盾を構えたのだ。


 すると、山道をのぼってくる敵の上空から氷の刃が降り注がれた。

 氷の刃は長く、重く、鋭く、その刃は山道をのぼりかけた15~6人ほどを即死に至らしめた。



 ゾビグラネは満足そうな笑みをこぼし、私たち二人から手をはなし、また山道をのぼりはじめる。


「ほらいくぞ!」


 その声につられるように私とメルマナも山道をのぼる。

 私はその道をのぼりながら、振り返ると、あとに残してきた魔導士たちが異端審問官たちにやられてゆくのが目に映った。


 視線を山道に戻そうとすると、隣のメルマナも、残した皆の様子を苦い顔つきで見ているのが分かった。

 彼女は弱々しくつぶやいた。



「ラズロさんが居れば」

「言うな」とゾビグラネは振り返らずに言った。「奴にはやってもらわなければならない使命があるのだ。だから敵の包囲からいち早く抜け出させなければならなかったのだ」


 メルマナの顔を見ると明らかに納得していない顔つきだった。


 すると、山道の上の方から一人の女がこちらにやってくるのが見えた。

 黒髪の、白の胸当てをした酷く軽装の恰好をした女。

 手に握るレイピアの刀身は赤く、彼女の目は闇夜のように黒く濁っていた。

 ゾビグラネと、メルマナの顔に緊張が走る。


「あれは、紅のマリ――」という言葉を言い終わらないうちに、メルマナの額がレイピアで貫かれていた。

 それは、とんでもない速さであった。

 いつこんなに詰め寄られたのか。


 彼女は剣をメルマナの額から引き抜くと、次に剣を回転させ、私に狙いを定めた。


 ゾビグラネが「リリア嬢!」と叫んだが、間に合わなかった。

 レイピアは私の鎖骨の下あたりを貫き、剣が背中から飛び出した。


 雷に打たれたような衝撃が体中を駆け抜けた。


 ゾビグラネの氷の剣が黒髪の女へ振り下ろされるが、彼女は受け太刀せず、私から剣を引き抜き、バク転で後ろへと下がる。

 暗黒のような彼女のその目は、もうゾビグラネしか捉えていない様子だった。

 胸のすぐ上から血液が右腕を伝い地面に流れ落ちる。


「いくぞ、ゾビグラネ」と言った紅のマリアの黒髪が舞い上がり、低い姿勢でその赤い突剣をつぎつぎにゾビグラネに浴びせる。


「いけ!」とゾビグラネは叫んだ。「リリア嬢! 君は先にいけ! 早く! 気遣いは無用だ。この私が死ぬとでも思っているのか? 私は天才なのだぞ?」


 でも――と言いかけたその言葉は、本能によって喉の手前で押しつぶされた。

 肩を動かすと、激痛が走った。

 生きなければならない。

 私は生きなければならないのだ。


「早く!」というゾビグラネの声に突き動かされるように、私は胸の上を左手で押さえ、凄まじい剣戟の音を置き去りにするように山道を駆けのぼる。


 後ろで激しい雷の音が鳴った。

 道は細かった。

 茶色い水が小川のように坂を下り、私はその流れに逆らうように山道を駆けのぼっていった。

 一歩地面に足を着くたびに激痛が走った。

 目が血走り、頭の奥がじんわりと麻痺し始める。

 途中曲がりくねった道があり、その大きな水たまりに私は足をとられ、つまずいた。


 体が重かった。

 普段の何百倍も重く感じた。

 でも、私は尚も山道をのぼり続けた。

 昇り続けなければならなかったからだ。


 そういえば、ゾビグラネはどのぐらいで最初の村に辿り着くと言っていただろう?

 分からない。

 そんなことを言っていたような気もするし、言っていなかったような気もする。

 足元がふらつき始め、段々走ることが出来なくなっていった。

 でも、恐怖と使命が私の体を動かし続けていた。


 血がとめどなく腕から流れ落ち、目がかすみ始めていた。



 ――約束をまもるの。


 足を地面につけた衝撃で激痛が走る。


 私はアシュリーとの約束を守るの。

 フェンリルを倒さなければならないの。

 私は、絶対にそうしなければならないの。私の命はその為にあるのだから……


 段々と意識が遠くなってゆく……。

 その次の瞬間、私は足がもつれあい、山道から雑木林の中へ転がり落ちていった。


 世界が回転する。

 横殴りの風。

 強打する頭と体。

 緑色の雑草に。

 激痛。

 そして、まっすぐ伸びる黒い木に、黒い雲。

 何もかもが崩れ落ちてゆくみたいに、それらの景色と感覚は交互にやってきた。


 薄れゆく意識の中で、私はアシュリーを思った。


 あの微笑みは信頼の微笑み。

 彼女はこの世から消える刹那、私を心から信頼した。


 見ていてアシュリー……、私は……、絶対に……、やりとげる……から……

ねぇ、……見ていて頂戴。……みていて……ちょうだ……い……

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