リリア編 特殊魔法「ホール」
第20話 特殊魔法「ホール」 ー1ー
時に人は“言葉”を必要とすることがある。
決意の言葉。
愛の言葉。
他愛のない会話に混じった、何気ない言葉。
言葉は情報の伝達手段という側面とは別に、人の感情に訴えかける効果がある。その一言によって、人を傷つけることもできるし、誰かを救う事だってできる。
私もそうだった。
私の場合、ある言葉によって救われ続けてきたのだ。
「あなたは1人で倍(ダブル)の価値がある」というアシュリーの言葉だ。
落ち込んでいるとき、彼女はきまってその言葉を私に投げかける。すると、不思議と体中に元気を取り戻すことができるのだ。
遥か昔、私が幼い頃につけられたあるあだ名が、この言葉のきっかけだった。
あの頃の私はとても弱々しく、魔力の乏しい少女だった。
他の子は年齢と共に魔力が強くなってゆくのに、私の魔力はいつまで経っても貧弱なままだった。だから、ハウスの子供たちは私をこう呼んでからかったのだ。
ハーフ(2分の1)、と。
双子だから、魔力のほとんどをアシュリーにもっていかれて、私には半分しか残っていない、だから「ハーフ」なのだ、と。
魔力も身長と同じように、人によって伸びる時期が違う。
だから、私はただ単に人よりも魔力の伸びる時期が遅いだけだった、という話なのだが、そんなことなど知らなかった当時の私は、この問題について真剣に悩んでいた。時にはそのせいで自分が劣った存在に思えてしまうことさえあった。
どうして私だけこんなにも魔力が弱いのだろう?
どうして私だけ劣っているのだろう?
どうして?
どうしてなのだろう?
そのように思い悩んでいた時、アシュリーは私にこう言ったのだ。
「あなたは断じてハーフなんかじゃないわ。むしろ逆。あなたは1人で倍の価値がある人間なの。そうでしょう? リリア。だからあんな奴等のいうことなんて気にする必要はないの」
何がどういう理屈で倍になったのだろう? とは思ったが、それよりも先に暖かい心が私を包み込んでくれた。
理屈なんてどうでもよかった。
アシュリーが倍の価値がある、と言ってくれるだけで、本当にそんな気がしてくるのだから。
アシュリーは、壁の上で立ち上がり、吹きすさぶ風の中で両手を広げた。アシュリーの青鹿の毛皮が左右に激しく揺れ艶のある銀色の髪が舞い上がる。
私はラウルハーゲンをぐるりと取り囲む壁の上で、英雄のように手を広げるアシュリーを見上げていた。
視線の先には不安になるほど突き抜けた群青の空と、眩いばかりの朝日とアシュリーがいた。丸い大きな石たちを何十個も固めてくっつけたような背後の雲が、左から右に流されるアシュリーの銀色の髪と混じり合い、不思議な光を放つ。
「こんなところでボォーっと座り込むことに意味なんてないわ」と彼女は言った。「いくら朝日が奇麗でも、私たちが向かうべき場所は希望でなければならない。そうでしょう? リリア」
それはまるで自分に言い聞かせているようなアシュリーのセリフだった。
私もアシュリーも昨日のゴードン・レラルフルの告白を引きずっていたのだ。
もはや魔法学校など、とっくの昔にこの地上から姿を消していた、という告白だ。
そこに行けば魔獣フェンリルに抗うことのできる何かしらの魔法があると思えばこそ、この地上に希望を見出すことができたというのに……
本当に私たちはどうすればよいのだろう?
土砂の中にすっぽり埋まってしまったように心が冷え、足元に這いよる黒い感情がまるで蛇のように私の心にまきついていた。
視界の下に揺れる小麦がちらつき、冷気を含んだ風が赤鹿のコートの隙間から侵入し、私の体温を奪ってゆく。
「私たちは1人で倍(ダブル)の価値がある人間。そうでしょう? リリア。だから私たちは前を向かなければならないの」
いつものアシュリーのセリフだった。
いや、少し違う。それは“あなた”ではなく“私たちに”変わったいつもの言葉だった。
私はその変化だけで手に取るようにアシュリーの気持ちが分かった。
自信や希望を無くしかけているのはアシュリーも同じなのだ。
だけど、自分と私をその言葉によって奮い立たせようとしているのだ。
その時、突風が吹きつけ、両手を広げたアシュリーの体が揺れ、銀色の髪が乱れた。しかし、炎の宿ったアシュリーの瞳が必死にそれに抗った。
「負けるものか。落ち込んでたって仕方がないわ! 切り替えましょう。魔法学校がもうないというのなら別の方法を考えなければならない。そうでしょう? リリア。今の私たちには落ち込むなんていう贅沢をする暇なんてないはずよ!」
私は壁の上からダランと垂れ下がっていた足をひっこめると、静かに、ゆっくりとうなずいた。たしかにそんな暇は私たちにはない。
「リリア。もう一度この地上の全てを見て! あなたもこの壁の上に立って、すべてを見回すのよ」
私は言われたとおりに立ち上がり、目の前に広がるすべてを見回した。
青々とした空。
燦々と光る太陽。
流れゆく平べったい雲。
風に一斉にたなびく背の高い雑木林。
揺れる丈の長い草と黄金の小麦。
背後には文明の息吹を感じさせる煉瓦造りの建物。
迷路のような通路と、赤茶色に光る屋根と、街の真ん中にぽっかりと穴が開いたように広がる広場。
そのどれもが美しかった。
そして、最後に石の壁のうえに立ち尽くすアシュリーが映った。
アシュリーの顔は朝日を浴び、その白い肌がより一層白く光った。
「この地上は、その値打ちの分かる者に支配されるべきだわ。そうでしょう? リリア。この価値の分からない毛むくじゃらの化け物に支配されるよりもね」
心の底から、そのとおりだ、と思った。
でも、一体どうすればよいというのか。
私の視線を感じ取るようにアシュリーは三本の指を立てた。
「3つ。私の心に引っかかったことがあるの」とアシュリーはしゃべり始めた。「まずゴードンの言っている言葉は本当か、ということ」
「え?」と思わず私は声を発した。「ゴードンが嘘を言ってる、と思っているの?」
「嘘だとは思わないわ。でも、それでも私はこの目で見なければ魔法学校が廃墟になっただなんて信じられないの。そうじゃない? あの頭のおかしな老いぼれの言葉だけで信用できる? あのゴードンの言葉をよ」
たしかに……、そうかもしれない、と思った。
百聞は一見に如かず、というし、私たちはまだ聞いただけで見たわけではない。
狂人の言葉を鵜呑みにし、それで未来を決めるのはあまりにも危険だ。
「次に、何故ゴードンは生きているのか、ということ。肝心のこの謎が解けていない。ゴードンの言葉によればフェンリルは永遠に死なないものらしいけど、フェンリルが生きているというのなら、何故ゴードンは生きているの?」
白い顎髭が垂れ下がったゴードンのしわだらけの顔が頭にちらついた。
「もしも仮に、フェンリルが永遠に死なない生き物だという前提をゴードンが間違えているのなら、私たちにも希望がみえてくるはずよ。ねぇそうよね?」
私は細かく顎を動かした。
アシュリーが大きなため息をついて、背後に広がるラウルハーゲンの街を見ながら言った。
「それと、これが最後の疑問なのだけど――」私はアシュリーの言葉を待った。
「――予言の子ってなあに? あいつが頻繁に私たちの顔を見て言う言葉……。あれはなんなの?」
私は深くうなずいた。というより、私もその言葉が気になっていたのだ。
ゴードンは私たちを見るなり、いきなりその言葉を吐き出した。予言の子、と。
あれは一体なんだというのだろう?
分からない。さっぱり訳が分からなかった。
でも、なんにせよ、この状況の鍵を握るのは間違いなくあの老人なのだと、私とアシュリーは確信していた。
そう、私たちはショックを受ける前に、あの老人を問い詰める必要があるのだ。
「今度は容赦しないわ」とアシュリーが言った。「止めないでよリリア。たぶん、私たちにもそれほど時間は残されていないだろうから」
心臓がドクンと跳ねた。
そう、魔獣フェンリルはただの一匹たりとも人間を逃がさない。
一度狙われたら、その時こそ私たちの命が終わるときだった。
だからこそ、私たちには時間がないのだ。
手段を選べる時間さえも。
私はもう一度深くうなずいた。
それは覚悟のこもった首の動きだった。
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