第19話 異端審問官 ー6ー



 思えばその名には聞き覚えがあった。

 ラズロ・ラ・ズール。

 たしか書庫に記録があったのだ。

 彼は人一倍残忍で、嘘つきで、人の命など石ころよりも軽く考え、そしてなにより、その魔法の腕は魔法学校のゾビグラネを凌ぐともいわれる、猫背の男、と。

 なんでこの男がここにいるんだ?



 ラズロは爬虫類のような目つきで品定めでもするかのように僕らの顔を見てきた。 首が左から右へグルンと向きを変え、僕と目があった。

 心臓の鼓動がより早くなる。

 それはまるで蛇がカエルを見つめるような目だった。


 いつでも好きな時に好きなように食べられる。

 さぁいつとって食おうか。その目はそう語っているような気がした。

 そして僕は情けないことに、まさに蛇に睨まれたカエルのようにその場を一歩も動くことができなかったのだ。


 心臓が二股に分かれた巨大な蛇の舌先でずっと舐められているような気がした。



 ラズロがニヤついた顔で一歩ずつ階段をゆっくり降り、一階に辿り着くと、次になんのためらいもなく僕に背を向けた。

 それは完全に僕を無視したような……、そんな立ち方だった。



「まだお前たちの方がやる気があるみたいだな」とラズロは正面の二人を見ながら笑った。



 紅のマリアと眉毛の太いゴーンが正面玄関付近で構える。


 次の瞬間ラズロは握りしめたその右手の手のひらから炎を放った。


 二人は後ろに飛び、炎を躱し、カスタニアの村の道に飛び出した。


 悲鳴の入り交じった村人たちの声が聞こえ、ラズロは二人を追いかけた。

 ラズロの両手から氷の剣が生え、カスタニア村の路上で凄まじい剣戟がはじまった。


 ラズロの氷の剣が上下左右から迫り、マリアは腰をひねり、バク転し、時には受け太刀し、それをどれも寸前のところで躱す。

 

 太眉のゴーンは盾を使い亀のようにラズロの攻撃を凌いでいた。


「はあああ!」と叫んだ太眉のゴーンとマリアが一斉に反撃にでた。


 二人が振り下ろす渾身の一撃をラズロは難なく氷の二刀で受け止め、口から炎を放つが、マリアとゴーンはそれを上手く躱し、ラズロから距離をとった。


 ラズロの口角の片方があがった。



「やるではないか、異端審問官」



 なんだこれは、と思った。

 ラズロはまるで僕の存在をまるっきり忘れてしまったかのように、僕の方を一切見ようとしなかった。

 そして、そんなラズロよりもおかしいのは僕だった。


 足が全然動かないのだ。


 それはまるで何十人もの老婆が僕の足首を掴んで放さないかのように、足が地面に張りつき、けっして離れようとしないのだ。動け、と何度も命令した。

 でも動かないのだ。



 ――く、くそ! なんで?


 膝がまるでダンスをしているように震えていた。

 僕の足は僕の命令をちっとも聞こうとしなかった。



「そういえば『支配』という言葉を知っているか異端審問官」とラズロは言った。「支配、というのは文字通り、何かを支配することをさす。では『支配者』ではどうだ? それも言葉のとおり支配をしている人を指すものだ。ではここで問題だ。

 このカスタニア村を支配しているものは一体誰なのだ?

 この村の村長か?

 それともローレンの領主を指すのか?

 それともその上の領主を束ねる国王を指すのか?

 答えは簡単だ。この場合、国王のみが支配者なのだ。

 領主も村長も国王の決定には抗えない。

 つまり、支配とは、たった一つの最上位の存在と他の服従者のみが織りなす構造を指すのだ。

 

 もしもこれが二つあった場合は支配ではない。

 対立だ。

 なぜなら、片方の支配をもう片方が受け入れようとしないからだ。

 ふふふ。この関係は、ちょうど私たちとお前たちとの関係に似ている。

 劣ったお前たちは優れた私たちを支配しようとしている。

 だからきっと対立が起きている。

 対立がおきると戦いがおきる。

 すると弱く、情けない方が死んでゆくことになる。

 なぜなら暴力とはそのために存在するからだ。

 私は、本来そういう暴力を好む人間ではない。

 平和が好きだ。愛も好きだ。

 この青い空や緑の草木と同じように平和と愛を愛している。

 お前たちもそうだろう?

 愛と平和が好きだろう?

 それがこの世に満ち溢れているならどんなに素敵か……

 なぁ物事の道理を考えろ。

 互いに平和と愛が好きな我々がどうして対立するんだ?

 本当は我々の間に対立なんて必要ないとは思わないか?

 そうだろう?

 実はな、自然の摂理にさえ従えば我々の間に対立なんておきっこないんだ。

 お前たちの神は嫌うが、生き物とは常に進化するものなのだ。

 そして、その中でよりよい存在が支配するようにできている。

 つまり、最初から我々とお前たちとでは我々の方が支配するようにこの自然はできているのだ。

 そうだろう。違うか?

 この素晴らしい魔法をお前たちが使えるか? うん?

 私たちのパワーは私たちだけのものなのだ。

 魔法を使える者はお前たちよりも優れた存在で、お前たちを支配するべき存在であるとお前たちはそろそろ知るべきなのだ。

 そうだろう?

 だから服従するチャンスをお前たちに与えているのだ。

 平和と愛のためにな。服従すればいい。簡単だろう?

 そこの黒髪の女。

 お前なんてそこそこ美しいから私の50番目の妻にしてやってもよいぞ。

 そこで最初の問いに戻るが、このカスタニア村を支配しているのは誰か、という質問だ。

 本当の答えは国王ではない。

 我々魔導士だ。

 理由は散々述べたので分かるな?

 この大地をあまねく支配するべき存在が我々魔導士であるからだ。

 だからこそ、私は私の土地で勝手に悪さをするお前たちを処罰する権利が私にはあるのだ。

 まぁでも、私に降伏するなら許してやってもいい。

 私にだって寛大な心はある。

 ここは私の家ではなく友人のゴードン・レラルフルの家だが、あの二階をまるごと吹き飛ばしたのは私であるし、それぐらいは許してやっても良い。

 だから、お前たち二人は降伏するのだ。

 あそこで棒立ちになっている青年のようにな」



 マリアと太眉のゴーンが僕の方を向いた。

 彼らがこちらを向くまで、その“棒立ちになっている青年”というのが自分のことであるとは気づかなかった。


 降伏? 僕がいつ降伏などしたのだ。



「あの青年がなんという名前か私は知らないが、彼は自分の立場をしっかりと分かっている。

 実に賢明だ。素晴らしい。

 魔導士と、お前たち猿共の間には大きな差がある、と彼はしっかり感じ取っているのだ。

 だから、あんなにも情けなく泣きそうな目をしている。

 今にも私の腰にすがりつき、全身で白旗をあげ、どうか許してください、と乞うような目をアイツはしている。

 これこそが我々とお前たちとのあるべき姿だ。

 これぞ愛と平和に満ち溢れた共存共栄だ」



「ぬかせぇえええ!」と叫び声をあげた太眉のゴーンが剣をふりあげ突進するが、それを予知していたかのようにラズロは振り下ろされたゴーンの剣を氷の剣で受け止めると、もう片方の氷の剣でゴーンの喉を一突きした。


「まったく戦闘狂の連中は困ったものだ」とラズロは笑った。「平和を乱すお前たちが、平和を愛する魔導士の私に勝てる道理はないのだ」



 氷の剣が喉から引き抜かれ、大量の血液が噴水のようにまき散らされ、太眉のゴーンは痙攣しながら崩れ落ちた。


 ひどい光景だった。

 まるで、バッタがカマキリにゆっくり捕食されるのを眺めているような……、そんな気持ちになった。


「見習い!」とマリアはこちらを向き、叫んだ。「挟み撃ちにするぞ見習い!! 聞いてるか!」


「ははははは」と猫背のラズロはのけぞり腹を抱えた。「あの青年をまだ戦闘員の数に入れているのか? すいぶん弱気じゃないか女」


 マリアの顔は歪み、眉間にしわが寄っていくのが見えた。

 その次の瞬間、彼女は猫のように飛び、ジグザグに走りながらラズロに飛び掛かっていった。


 すべてがゆっくりと見えた。

 とてもゆっくり。


 僕は言いたかった。

 僕こそが異端審問官のユーリだ、と。

 僕こそが魔導士たちを倒し、この世界に平和をもたらす男なのだ、と。


 でも言葉がでなかった。

 足も動かず、闘志さえも風に吹かれて何処かに飛んでいった。

 僕はあの時と同じように……父さんと母さんがやられた時と同じように……ただ見ていることしかできなかった。


 マリアのレイピアが光り、それがひとたび光るたびに、僕の意識が揺らいだ。

 恐怖に取りつかれた僕の意識は歪み、揺れ、光がまたチカチカと僕の目に飛び込んできた。

 すべてがゆっくり見える。

 本当にすべてがゆっくり……



 マリアの赤色のレイピアが猫背のラズロの腕を切り落とすが、同時にラズロの氷の剣がマリアの腹をつらぬいた。


「くっそおおおおおおおおおおおおおおお!」というラズロの声が聞こえ、口から血を吐くマリアが見えた。


 光が……、光が揺れる。

 すべてがコマ送りのように見える。

 青い空が見え、叫ぶ村人たちの声が聞こえ、渦を巻く白い雲が見えた。

 まわる。すべてが回り始める。

 何もかもが回り。

 太陽が僕を照らし、僕の意識は光の中に溶けてゆく。

 何もかも訳が分からなくなってゆく。

 もうどんどん何もかもが回転し世界が反転し、混ざり合ってゆく。


 僕は何をみているのだろう?

 これは一体なんなのだろう?

 光が……、光が僕をつつんでゆく……






 僕が、気づいたのはだいぶあとになってだった。



「大丈夫ですか?」という男の声が聞こえた。

 朦朧とする頭をかかえ、僕は瞼をあけた。


 馬車に乗っていた馭者が仰向けに倒れていた僕の肩に手を置いていた。


「すさまじい戦いだったみたいですね」と馭者は言った。



 そうだったのだろうか?

 僕はたぶん恐怖心に負け、途中で気絶してしまったから何も覚えていないのだ。

 情けなかった。でも、僕が生きているということはラズロ・ラ・ズールが勝ちそのまま僕を見逃してくれたからだろうか?

 それともマリアさんが勝ったから僕は生きているのだろうか?



「マリアさんは?」と馭者に聞くと馭者は深刻そうな顔をし、首を左右に振った。


 やはり、ラズロが勝ったのか。



 目に涙が浮び、胸が締め付けられた。

 徐々に嗚咽が漏れ始め、鼻水が流れ、目からとめどなく涙が流れ落ちた。


 臆病者! この臆病者が!


 情けなかった。

 こんなにも自分は情けない臆病者だったのだ。

 死の覚悟なんてまるで出来てなかったじゃないか……、何もできなかったじゃないか……。


 何もしようとしなかったじゃないか……。

 一歩も足が動かず。……まったく声がでず。

 仲間を見殺しにするほど臆病者だったのだ……僕は……。


 僕は馭者の前でむせび泣いた。

 恥ずかしくて、情けなくて、ただ泣くことしかできなかった。



「そんなに泣くことないじゃないですか。あなたはよく戦ったのだし」と馭者は僕の背中をさすってきた。


 僕は自分がそんなことをされる資格がないことをよく分かっていた。

 ただ、仲間にすべてを押し付け、僕は土下座するように誇りを捨て生き残ったのだ。



「まぁとにかくこんなところに長居は無用です。帰りましょう」


 僕は抱きかかえられ立ち上がり、日が沈みかけたカスタニア村を見た。




「え?」と思わず声がでた。




 カスタニア村の建物がほとんど崩れ去っていたのだ。

 ある場所は壊れ、ある場所は燃え、それは酷い有様だった。

 村人たちもいなかった。あるものといえば村中に散りばめられた赤黒い血痕だけだった。



 ラズロは村の住人をも残らず殺したのだろうか?

 分からなかった。全然分からなかった。


「ラズロは何故こんなことを……」と僕がつぶやくと「魔導士は神の敵でございます。だからこんなことをやったとしても不思議ではありません」と馭者は言った。



 たしかに……言われてみればそうかもしれない。

 あいつならそんなことをしそうだ。

 支配者に服従しない住民を残らず殺したのかもしれない。


 その時、僕の瞳に何かが映った。

 肌寒い風がつむじをまき、土埃が僕に向かって吹きつけてきた。

 そのせいで一瞬まぶたを閉じる。



 あれ? と思った。

 頭が少しおかしくなったのかと思った。

 不思議だった。

 この一瞬が僕には永遠のように長く感じられた。



 瞼をあけると、吹きすさぶ風の中に“アレ”が映った。

 やっぱりアレが僕の瞳に映っているのだ。

 僕はアレに向かってゆっくりと歩いた。


 馭者は言った。


「あなたはもっと自分を誇りに思ってよいのです。

 私の馬車に乗っていたのはいずれも劣らぬ歴戦の勇者ばかりでした。

 デル殿も“銀盾のゴーン”殿も、そして“紅のマリア”殿もです。

 この惨状を見ればわかります。

 とてつもなく強い魔導士だったのでしょう敵は。

 でもユーリくん、あなたは……、あなたはそれに打ち勝った!」



 そう、僕の目の前に血みどろになり倒れていたのは、他ならぬあのラズロ・ラ・ズールだった。


 体の至る所を引きちぎられ、苦痛に顔を歪めたまま、その瞳は虚空を見上げていた。


 マリアさんと相打ちになったのだろうか?

 分からなかった。

 全然分からなかった。

 でも、なら何故村人が死んでいるのだろう?

 これはなんだ?

 なんだというのだ!?


 背中が大きく上下し、息遣いが荒くなる。

 混乱で頭をうまく整理できない。

 胸が気持ち悪い。

 僕は馭者に倒れ掛かり、懇願した。



「帰ろう。ラウルハーゲンに……帰ろう……な?」

「は、はい……、もちろんです……」


 馭者に肩を担がれ、僕はふらふらになりながらなんとか歩き、馬車の中に寝転がった。


 訳が分からなかった。

 何から何まで分からなかった。



「僕が……勝った?」



 声に出してみたが、やっぱりおかしかった。

 

 戦ったのは皆で……僕ではない……


 僕は揺れる馬車の中で目をつぶった。

 とにかく、眠りたかったのだ。

 いつものようにまた悪夢を見るだろうが、それの方がマシにさえ思えた。


 とにかく、僕は、一刻も早くこの混乱から遠ざかりたかったのだ。

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